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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇18) 〜奇跡の漁り

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。

いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。


さて、今回からいわゆる「イエスの公生涯」に入っていく。

公生涯というのは、イエス・キリストが30歳で荒野で「悪魔の誘惑」に打ち勝ち、公の活動としての宣教を始めたことから始まり、十字架で亡くなるまでの約3年半の期間のことだ。

ちなみに、公生涯に入る前に言葉を整理しておきたい。
ネット上で調べても、わりと諸説あるのだけど、このシリーズではこういう定義で書いていきたいと思う。

宣教:
宣教は、マタイ福音書に出てくるイエスの行動から出ている言葉から来ているらしい。つまり、「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された」という行動。これを「宣教」と呼ぶらしい(異説あり)。
つまり、「宣教」は、教える、広く伝える、癒やす、などすべてを含む、布教や伝道より守備範囲が広いものと捉えられるようだ。なので、このシリーズでは「宣教」という言葉を使っていこうかと思う。

布教:
「布」という時は「布(し)く」と読み、隅々まで行き渡らせるニュアンスがあるので、大きく広める、という意味で使うのが原義かと思う。だから他国や世界へ宗教を広める活動は、布教活動、という言葉がしっくりくるかな。

伝道:
主にキリスト教で使われる言葉で、信者を増やそうと教義を説き広めること。特にプロテスタントの用語であり、教会のミッションは伝道だ。
こういう文章もあった。「伝道とは、教会がキリストの福音を持って人々に接触し、その福音によって人々が悔い改め、キリストを救い主として受け入れるように導く方法である」。つまり教会の仕事なので、イエスで使う場合は伝道は使わず宣教で行こうと思う。


さて。

イエスは、洗礼者ヨハネの逮捕(前々回参照)を聞くと、ガリラヤに行き、湖畔で本格的な宣教活動を始める。

最初にやったことは、弟子を作ることだった。

これ、実はイエスの「戦略」だとボクは思う。

洗礼者ヨハネの荒野での説教は人気だった。大人数が集まった。
でも、あんなに人気だったのに、ヨハネが逮捕されちゃったら普通に解散だ。

「あのやり方ではいかん!」


と、イエスは思ったのだと思う。

つまり、

大勢に浅く宣教するより、少人数に深く宣教する方が結局長く広く伝わる。


と、イエスは考えたのではないかと思う。

洗礼者ヨハネの例を見てもわかる。
大勢に人気になっても、その人がいなくなるとその教えは消えてしまう。
それではいかん。
それよりも少人数に深く教え、それを核としてその核から周りに広まっていく、というやり方だ。

これはマスコミ戦略からクチコミ戦略への変換であり、少人数のファンを先に作り、彼らをコアファンにしていく、という「ファンベース施策」ともイコールである。


イエス、進んでる〜!w


図にするとこういうこと。

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大勢に伝えて浅く人気を得るより、ちゃんとした理解者の核を作ること。
理解者をしっかりした後継者(使徒)に育てること。
後継者が後継者を作っていくように指導すること。

イエスは、その少人数を「12使徒」として選択し、まず「初めの一歩」としてきちんと「核」を作ろうとしたのではないだろうか。

そして実際、一人目の弟子であるペテロは後に「初代ローマ教皇」とみなされるようになるし、それぞれの使徒は各地に散って伝道し、それが世界に広がっていった。

つまり、キリスト教は優れた成功事例である(これについてはまた別途分析もしているので、そのうち共有します)。

そう、イエスは優れたコミュニケーション・ディレクターでもあったわけだ。


では、その「初めの一歩」である、一人目の弟子をどう作っていったか、を見てみよう。

このとき、イエスは一気に4人の弟子を釣るわけだが(漁だけに)、もうね、やり方が男らしい。

奇跡を見せて、「ついて来い」とひと言言う。


いやー、カッコええな。


もう少しエピソードをちゃんと見ていこう。

イエスは、ヨハネの逮捕を聞いたあと、40日の断食修行を経て、ガリラヤ湖にやってきた。

Googleで見ると、ここね。
現在はティベリアス湖と呼ばれているらしい。
地図だとナザレが左側に見えるね。
イエスはあと3年強の宣教活動のほとんどを、このガリラヤ湖周辺で行っている。


この辺、エルサレムから遠く、わりと田舎。
そう、イエスはずっと「田舎の過激な宗教家」だったのだ。最後にエルサレムに行くけど、ほとんどお上りさんだったし、言葉も(方言がきつく)伝わりにくかったらしい。


で、ガリラヤ湖畔に立って「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とか説教を始めると、群衆が集まり出す。

イエスは漁師のペテロに舟に乗せてもらい、舟の上から説教を始めた。

説教が終わると、イエスはペテロに「漁をしなさい」と言う。

ペテロは「は?」って思う。
実はこの日、まったく不漁でなにも捕れなかったからだ。

でも、イエスは重ねて「漁をしなさい」と言う。

ペテロは半信半疑のままアミを降ろすと、信じられないほどの大漁になる。
それこそ網が破れそうになるくらいの魚が捕れた。

この奇跡を見たペテロと弟のアンデレ、その仲間のヤコブ(のちに大ヤコブと呼ばれる)とヨハネは恐れおののくわけだが、彼らにイエスは「ついてきなさい」と言い、こう続ける。

「恐れることはない。今からあなた方は、魚ではなく人を捕る漁師になる」


誰がうまいことを言えとw

まぁでもこの「殺し文句」にほだされて、彼らはすべてを捨ててイエスに従った。

いや、家も家族もすべて捨てるわけ。この言葉に。
すごい説得力だなイエス。

・・・まぁでもあり得るな。
今の若者だって、話で感動させ、奇跡を見せ、そのうえで「あなたたちは今から変わるのだ!」と伝えると、感動してついていったりするだろう(オウム真理教とかの例を見てもよくわかる)。


とにかく「少人数の核」を作ろうとしたイエスの戦略がよく見える。さすがだ。


これが「奇跡の漁り」というエピソードの全貌だ。

ちなみに「漁り」は、「いさり」ではなく「すなどり」と読む。
馴染みがない日本語だけどね。

すな‐どり【▽漁り】 
1 魚や貝をとること。すなどること。「漁り船」
2 漁 (りょう) を業とする人。漁夫。漁師。


さて、絵を見ていこう。

一番有名なところから。

ラファエロ
システィーナ礼拝堂にかけるタペストリーのためのカルトン(下絵)である。
大漁に驚き、「もう、もう、いやマジでついていきます」とペテロが拝んでいる。後ろで手を広げているのがアンデレ。そして、後ろで網を上げようとしているのが大ヤコブヨハネだろう。

12使徒の覚え方は前回「12人の使徒たち」で書いたので、それを参照してください。まずは最初の4人、「ペアダイヤよ!」だw

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で、これを工場に送って職人たちに作ってもらうと、こうなる(↓)。
左右が逆になるんだね。
そして、意外とラファエロが使った色を使っていない。

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それにしても大漁だ。
舟が少し沈み込んでいるくらい大漁である。

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ここで描かれている魚はティラピアらしい。

ペテロが捕ったから、別名「ピーターフィッシュ」と呼ばれている。
そう、ピーター=ペテロだから、まぁペテロフィッシュということですね。

これ。
これをラファエロは描いている。

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バッサーノ

上のラファエロの絵の模写に近い。そっくりだ。
ただ、大漁感や重量感などもない。劣化版な印象。というかアンデレ(手を広げている人)がすんごい目立っているw

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ルーベンス
ちょっと地味な絵だけど、なんかリアルでいい絵。
イエスは白い服の人だろう。その前にいるのがペテロで立っているのがアンデレかな。そして奥のもう一隻にいるのが大ヤコブヨハネだろう。
絵の手前側は「信じられないくらいな大漁」に駆けつけてきた村の人たちだと思う。

つか、イエスの足が真っ白なのは何か意味があるのかな。

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タイツを履いているわけでもない。手と比べても白すぎだw
40日の断食修行で日に当たらなかったことを表しているのか?(それにしては手と顔が普通な色だけど) ルーベンスが塗り忘れることはないと思うけどなぁ・・・。

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セバスティアーノ・リッチ
左端のヒトがカメラ持って「いいよー、イエスさん、いいよー、あ、もうちょっと笑ってー」って言っているみたいだ(実際には魚を持ってるが)。

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イエスは指でくいっくいっと「ついておいで」と言っている(たぶん)。

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「はいーーーー! ついていきますーーーー!」って、ペテロの迫り方がすごいw

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後ろのアンデレたち、「あー、あいつ抜け駆けしやがったー!」って指さしているみたいだw

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ダフィット・テニールス (子)
他の漁師たちは魚を捕るのに夢中だが、ペテロとアンデレはもうイエスしか見ていない。「個人」に話しかけたのがよくわかる。

ただ、少なくともペテロは不肖の弟子だと思うけどな。なぜ彼を一番弟子に選んだんだろう。

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ヨアヒム・ブーケラール
イエスは奥でペテロを招いている。
手前ではそんなこととは関係なく人々が驚くほどの大漁を驚いて集まっている。日々の生活の中で淡々と奇跡や入信が行われている。そこが面白いなぁと思う絵。

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ジェームズ・ティソさん。
うら寂しい田舎のガリラヤ湖畔な感じがよく出ている。
田舎の貧乏な漁師たちだからこそ、イエスについていくんだな(最初は「魚とか捕らせてくれて食いっぱぐれなさそうだし」程度だったかも)。

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Jacob Andries Beschey
いや、小さい舟だな。ディンギー以下? 
ペテロはわかりやすいけど、どれがアンデレでどれが大ヤコブで、とか推理し合うのが信者間の楽しみだったのではないだろうか。

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Gaspar de Crayer
おお、なんかシチュエーションとしてとてもわかりやすいいい絵だな。ただもっと寒村だった気がするけど。

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Lodewijk Toeput
絵の中にイエスは2人いるね。頭に光輪がついているのでわかる。
奥はペテロが「ついてきますー」って言ってるところ。左のイエスは説教しているところだろうか。

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ジャン=バティスタ・ジュブネ
奇跡を行ったイエスとしてはわかりやすい絵だけど、こんな風にみんなにアピールした感じではなくて、個人的にそっと「ついてきなさい」と囁いた感じかなぁと思うけどな。
そうじゃないと、寒村の人たち、普通にもっとついてきちゃうよね。イエスはペテロやアンデレを選んで伝えたんだと思う。

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ジャン・バン・オルレイ
考えたら一番弟子ペテロとイエスの出会いだもんなぁ。しかもペテロはこのあといろんなことをしでかすし、最後は逆さ磔(はりつけ)で殉教する。そういう文脈を前提にみんな見る絵なのだろう。そう考えるとこういう何気ない絵でもちょっと感動的になる。

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ヨハン・ゲオルク・プラッツァー
この群衆の集まり方、すごいなぁ。もう大事件!って感じの大漁なのだろう。すごく細かく描き込んであって見ていて飽きない。いい絵。

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イエスの後ろのほうに「なんだ、なにごとだ!」って感じに描かれている権力者風の人は、たぶんこれから敵になる勢力ということかなと思う。

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ということで、今回もオシマイ。

最後に6世紀のモザイク(ラヴェンナの聖アポリナーレ・ヌォヴォ聖堂)を取り上げよう。ちょっと保存状態がよすぎるので複製かもしれないw

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なんか聖書からこういうのを描き起こし、みんなに宣教・伝道したんだなぁって、いろいろ当時を想像してしまう。

わりと古いモザイク、好きなのはそういう理由。


ということで、オシマイ。

次回は「カナの婚礼」。これまた奇跡のお話。



この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら

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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。


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