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『人生はどこでもドア』 愛は無理でも

『人生はどこでもドア』 稲垣えみ子著,東洋経済新報社発行,2018年

 元朝日新聞記者で、今ではモノを持たない生活でおなじみの稲垣えみ子さんが、思い立ってフランス・リヨンに14日間滞在し、「日本でしていたような生活を海外でする」ことにチャレンジした滞在記である。

 ……読んでいて、しみじみと、稲垣さんは「人間」というものを愛しているんだなー!と思った。
 リヨンで「誰からも必要とされていない」という事実に落ち込み、どうしたら言葉が通じないフランス人たちと心を通わせられるかを試行錯誤し、周囲の人たちを熱心に観察し、最後に発つエアビーアンドビーの部屋を「本当にお世話になるばかりで何もお返しできないから」とピカピカに掃除し、宿主と上階の住人に手縫いの刺し子とお花をプレゼントしたりする。しかもそれら全てが、「私の生き方はこれだから!」というような美意識からではなくて、「そうしたいからそうしよう!」という自然な気持ちから出てくる。
 稲垣さんの心を通すと、エアビーアンドビーの宿主からの対宿泊者レビューさえも、評価システムの一部ではなく、「私がこれから世界のどこに行っても通用する『居場所』を作ってくれたのだ」という美しいものに変わる。私は、こんなに美しい「レビュー」というものの捉え方を見たことがない。このくだりには本当に感動した。

 一方で、私自身には、ここまで人間、他者に対する愛……というものは、ないな……という事実も実感してしまった。
 稲垣さんが笑顔をやりとりした市井の善良な人々を文章に追いながらも、私の脳裏には「こういういい人に見えたのに裏ではひどいヘイト発言をしてた、過去の知り合いを思い出してしまうなぁ」「すぐにセックスしようとする男も、最初はこういう好ましい言動をするから、気が抜けないんだよなぁ」みたいな哀しい疑いがちらちらと浮かんできたりしてしまった。

 稲垣さんは、モノがなくても幸せに生きていけるよ!と高らかに謳うのだけれど、そのためにはもしかしたら、人間や他者への愛が必要で、それがない私には、果たして「小さく生きていく」ということは不可能なのではなかろうか……という恐ろしい思考が、この本を読んで以来、ずっと沈殿している。

 まあでも実際、「ひとりで生きる」というのは言葉や観念の上ではチヤホヤされることだけど、あらゆる種類のエネルギーとリソースと金銭が必要だし、大抵の場合「ひとりで生きてます!」と思っている人はひとりで生きてはいない。本当は色々な人やものに支えてもらっているのだが、それを意識してないだけだったりする。
 そういう人も、意識しなくても回せるうちはいいのだが、たまに回せない状態に陥ってしまうと大変で、心が折れたり周囲に当たり散らして孤独が深まったりして、単なる人生の凹凸だったものがいきなり人生の一大ピンチになってしまうことすらあるので、厄介だ。

 他者への愛がそんなに強くない人間は、稲垣さんのように「愛あふれた交流世界」を構築していくのは難しい。
 難しいがしかし、「お互い悪くはない共存」くらいのレベルで、世界と繋がっていく……少なくとも「ひとりでは生きてません」という認識は、持っていた方がよさそうである。
 愛はなくても何がしかの相互信頼を作っていかなければ、「自分」のリソースを要塞のように周囲にめぐらせる羽目になるし、それはなかなか、持続可能性に乏しい。

 そんな風に考える私にとっては、この本の「他者との信頼を築いていく」ために最初に何をしていくのかという端的な方法論の部分が、一番ためになった。
 裏に悲しい疑いがちらちらしても、とりあえず、他人を可能な範囲で観察し感謝を形にするという行為から、始めていくべきなのかもね。

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