【徒然なる雑感】2.ミクロとしての研究思考とマクロとしてのエッセイ思考

 この【徒然なる雑感】には、ことばをもとにしたエッセイを中心に書いていくつもりです。この【徒然なる雑感】の位置づけは、「マクロとしてのエッセイ思考」を実験的に書き綴る場として自分のなかでは位置づけています。

 まず、「ミクロとしての研究思考」ということにおいて、私が意味するところは、言語の仕組みや本質を言語資料やデータ、言語理論をとおして「研究」することに他なりません。つまり、研究で得られた言語理論や法則やあり方は、基本的には「言語学」、つまり「言語研究」の枠において言えるものだということです。一応、私は言語の研究をしている者で、論文を書くことが仕事の一つです。私が書く、いわゆる論文は、調査資料、言語データをもとに分析した文法記述を研究の軸としています。したがって、論文は私にとっては、ミクロな視点に立つものという感じです。もちろん、文法体系という大きな枠組みはマクロとして捉えることもできるでしょう。しかし、文法体系それとて、言語研究の枠組み、言語の規則、言語理論、そういう研究分野の「枠」内での捉え方にすぎません。研究分野の「枠」内にとどまるというのが、「研究」であり、ミクロという位置づけです。昨今ではリベラルアーツだとか、文理融合だとか、様々な研究分野が有機的なつながりを持つような研究も盛んになってきましたし、そういうあり方は必要で、また魅力的でもあります。しかし、私が研究としておこなっている「方言の文法記述」ということの中心はやはり、「言語研究」という「枠」内でまずは整理しなければならないものです。もちろん、その方言の研究をとおして、地域や社会に研究成果を還元していくということも研究には含まれます。しかし、それは研究成果をとおして、この社会や世界に貢献していくということであり、研究と社会とが結びつくことであり、リベラルアーツのような複数の分野が有機的なつながりを持つということとは少し質が違うと思っています。

 一方で、「マクロとしてのエッセイ思考」とは、言語の仕組みや本質などをよりダイナミックに、そして自由に考えることを目的にしています。時間的、空間的、認知的、科学的、感情的、社会的…、もう少し具体的にいえば、歴史、地理、哲学、法則、芸術、音楽、人間、人間関係、生活といった世界を構成する様々なことと言語とを結びつけながら、この世界のあり方や仕組みとして考えたことを綴っていきたいと思います。研究のように分析考察を積み重ねるというよりは、言語をとおして、あるいは言語と様々な事象との関わりから見えたり直感的に捉えられたりした「この世界の仕組み」を書いていくという感じです。具体的にいえば、先に「【徒然なる雑感】1.感情は破壊と創造の源である」で書いた「感情は破壊と創造の源である」ということが「言語をとおして見えたり直感的に捉えられたりしたこの世界の仕組み」ということになります。

 と、ちょっと話がかたくなりましたが、「ことばにはこういう一面があるよね」とか、「ことばのこういうところって不思議だよね、おもしろいよね」とか、「ことばの仕組みと社会の仕組みってこういう点で似てるよね」とか、「世界ってこんな法則で成り立っているんだ」とか、ことばについて、なんとなく考えたことをそれこそ「徒然なるままに」書き綴っていきたいと思っています。


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