晴子さんを生き返らせる計画
わたしはまた晴子さんのことを思い出していた。
失われた過去に対する態度というのは本当に人それぞれで、さっぱり忘れて新しい出会いへと脇目もふらず進んでいく人もいれば、いつまでも大切に思い返したり、失敗を気に病んだりする人もいる。わたしはといえば、まったく後者のタイプだ。
わたしの人生には、いくつか定番となっている「後悔の種」があって、それらの決まったメンツはかわるがわる思い出したようにわたしの胸に去来したり、夢枕に立ったりしては、いたずらにわたしを悲しくさせる。
それらの「定番」のうちのひとつに、晴子さんがいるのだった。
わたしにとって「晴子さん」とは
わたしは小さい頃、イラストを描くのがとても好きで、暇さえあればいろんなアニメキャラクターをらくがきして遊んでいた。そんなわたしの生み出した最高傑作のひとつが「晴子さん」、いわずとしれた名作漫画『スラムダンク』のヒロインである。幼稚園の頃、毎週土曜日の夜7時になると、『セーラームーン』と連続して放送されるアニメを楽しみに見ていた。
休日に父と母に連れられて行ったデパートでは、買い物につきあったご褒美として何度か『スラムダンク』のジュースを買ってもらった(こんなの。「きゃらかーん」っていうらしい、懐かしくて少し泣きそう)。キャラクターの絵が書かれた缶入りのスポーツドリンクで、おまけとして小さなメンコがついていた。
そのメンコに描かれていた晴子さんを、幼稚園生のわたしはきれいに模写したのだ。それは本当に、ひきのばしてトレースしたみたいにすばらしい出来に仕上がった。ずっと長い間お気に入りで、折に触れては取り出してながめ、ほれぼれしていたほどだ。
それなのに、なぜかわたしは中学生の頃、その絵を捨ててしまった。いつもは部屋を片付けようと思っても、とかく「捨てる」ということができないのでろくに片付かないのだが、あの日は妙なスイッチが入っていて、とにかく心を鬼にしてなんでも捨ててやろうと心に決めていた。
幼少の頃描きためたイラストを一枚一枚、確認しては丸めてごみ袋に放り込んでいった。そうして最後に晴子さんを見たときのことは、おぼろげに覚えている。わたしは逡巡したはずだ。でも自分自身を鼓舞して、晴子さんをぐしゃぐしゃに丸めつぶした。そしてほかのたくさんの絵と一緒に、ごみ袋に葬り去ったのだ。
正気に返ったときには、すでに遅かった。晴子さんはすでに大量の紙と一緒にごみ処理場であとかたもなく燃やしつくされたあとだった。
*
わたしはそれ以来、幾度となく晴子さんのことを思い出してきた。
たった一枚、0.09mm程度(コピー用紙の厚み)しかない紙を、わたしはどうしてとっておくことができなかったのだろう。悔やんでも悔やんでも、晴子さんは戻ってこない。
捨てた直後こそわたしは、思い切った自分を「よくやった」と思った。けれど違った。捨てたり壊したりすることは一瞬でできる。でもそうしてなくなったものは、もう二度と戻ってこないのだ。
晴子さんを生き返らせてみよう
先日、また、定期的にやってくるいつものお約束として晴子さんのことを思い出した。しかしそのときどういうわけか、わたしはこれまでに一度も思い至らなかったことを考えついたのだった。
いまもう一度、晴子さんを描いてみたらどうだろう。
思いついたらいてもたってもいられなくなり、わたしは実家に帰って、幼稚園生のわたしが見本にした晴子さんのメンコを探した。あると思っていた場所にはなく、手こずりはしたけれども。
L版に焼いた写真がたくさんファイルしてあるアルバムのポケットに、それは挟まって見つかった。
ひさしぶりにコレクションをひっくり返してみたら、そういえばこんなのあった! というものも、まったく覚えていないものもあって、面白かった。
晴子さんが写った上の写真には、一緒に仙道(右端)も写っているけど、正直にいえばわたしは仙道のメンコを持っていたことをあんまり覚えてなかった。ひさしぶりに見て初めて、ああ、仙道もいたのか、と思い、そういえばいたかも、とぼんやり思った。
こうやって記憶はかんたんに消えたり、塗り替えられたりしていく。本当は仙道の代わりに小暮くんを持っていたと思ったのだけど、彼の姿は見当たらなかった。失くしてしまったのか、最初から持っていなかったのか、それはもうわからない。
話を戻して。
わたしはひさしぶりに対面した晴子さんの隣に真っ白なノートをひらき、無印良品のペンを手にとった。
一筆一筆、線を加えるごとに本物と見比べては、慎重にインクを乗せていく。まぶたには二重の線。下がり眉に、口角は少し上がっている。ほっぺたに線を入れると、なぜかがぜん表情がついたように感じられるから、不思議だ。
そうして完成したのが、新生・晴子さんである。
描き終えて見本と見比べてみると、わたしの描いたのは目の位置が若干、下寄りになっていて子どもっぽく見える。
でも、じゅうぶんかわいい。いや、とっても。
あのときの晴子さんはもういないけれど。それでも少しだけ、いつまでも胸の奥につかえていた後悔が薄らいだ気がする。
晴子さんよ、永遠なれ。
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