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自分を楽しむ

今回は予定を変更して、留学初期に経験したことについてのエッセイです。
「”日本人にとっての”英語の4技能」は、次回書きたいと思います。

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25年以上昔のことである。

アメリカに留学して半年が経った頃、カナダのトロントまでひとり旅をした。

留学先からトロントまではバスで5時間ほど。陸続きの国境の検問所は高速料金を支払うブースのような簡単な作りで、バスを降りる必要もなく、運転手がまとめてパスポートを職員に渡す。まるでちょっとドライブにでも行くかのような気軽さだった。
そうはいっても、英語に自信のなかった私は、バスの運転手にパスポートを出すよう言われただけで寿命が縮まりそうなほど心臓がドキドキして、ひとり旅なんてやっぱりやめておけば良かったかな、と早くも後悔し始めていた。

親の反対を押し切って渡米したものの、留学生活は楽ではなかった。
授業は聞き取れず、教科書もろくに読めず、話すのもたどたどしいまま数カ月が経ち、このまま自分の英語はうまくならないのではないかと不安だった。無駄にチャレンジ精神を発揮して日本人の少ない大学を選んだせいで、話し相手もほとんどいなかった。寮のひとり部屋でよく泣いていた。

そんな生活を変えるきっかけが欲しくて、突然思い立ったひとり旅である。
宿泊先も決めずに勇ましい気持ちで出発したものの、その勢いは何時間と持たなかった。
トロントに到着し、市内観光をしていても不安であまり楽しめない。映画館で映画を観ても、案の定ほとんど聞き取れなかった。夜はシャワーもトイレも共同の安い宿の固いベッドで、小さく丸まって眠った。

次の日、ハンバーガーレストランで昼食をとった時のこと。
オーダーをするために並んでいると、モップを手にした掃除のおじさんと目が合った。最近は日本でも増えたようだが、客が食事をしている最中にモップや掃除機をかける感覚は当時ちょっと考えられず、つい不思議なものでも見るかのようにじっと見ていたらしい。
目が合うと、おじさんはにっこりと微笑んだ。通りすがりの他人でも目が合えば微笑むのは、アメリカでもカナダでも当たり前のことではあるが、私はうまく笑えずに下を向いてしまった。

前に並んでいた客がハンバーガーと山盛りのポテトを載せたトレイをもってカウンターを離れ、私の番が来た。何度か行ったことのあるチェーン店のものとは少し勝手の違うメニュー。冷や汗をかくほど緊張しつつ、多分とても小さな声で、発音しやすいものを注文した。
ハンバーガーもフライドポテトもドリンクも巨大に見え、トレイは想像以上に重かった。そして支払いを済ませてテーブル席のある方に向かった瞬間、バランスを崩し、店中に響き渡るような大きな音を立ててドリンクを落としてしまった。一瞬、店内はしんと静まり返った。

私はかろうじて落とさずに済んだ食べ物を載せたトレイを手に、頭が真っ白になって固まっていたらしい。ふと気づくと、すぐそこに掃除のおじさんがいて、私が作ったばかりの大きな水たまりをモップで拭いていた。手際よく済ませてモップを壁に立てかけると、カウンターの店員と何か話しながらドリンクを受け取り、一歩も動けずにいた私のトレイにそっとのせてくれた。
そして満面の笑みで「エンジョイ ユアセルフ!」と元気よく言ったのだ。

直訳すれば、「自分を楽しむ」というこの表現を聞いたのはこの時が初めてだった。楽しんでね、と誰かの肩をポンとたたくようなこの言葉。この一言のおかげで、ひとり旅の残りの時間を楽しく過ごすことができた。
そうか、楽しんでもいいんだ。
それまで肩に力が入り過ぎていたことに気が付いた。英語だって、半年前に比べたらうまくなっている筈だ。もうおどおどしていたくない。もっともっと、と上や先ばかり見ずに、今の自分を認めてもいいんだ、と思うようになった。

楽しむということを、当時の私は真面目に努力することの正反対のように捉えていたが、楽しくがんばることもできると今は思う。
今やらなければならないことが楽しくなかったら、どうすればなるべく楽しめるようにできるか。努力するならまずはそこから、と考えるようになった。
自分のすること、そして自分自身でいることを楽しめたら、人生は変わっていくだろう。

曖昧な記憶の中で、着いた頃には暗く曇っていたトロントの空が、その昼食の後からは青く広く晴れ渡っている。
いつか私も、見知らぬ誰かの心が晴れるような親切をさらっとできる人になりたいと思う。

あの日、あの場所で出会ったおじさんの顔ははっきりとは思い出せないが、あの一言を忘れることはないだろう。

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