トラウマの克服について考える

「PTSD的なやつですね」
先生からは、いくつかこのあらゆる症状に名前をもらったけど。
「ふとした瞬間にそれは突然蘇り私をとても嫌な気持ちにさせるんだけど、それ消せないですか?」と言う問への回答。
トラウマというのは癖みたいなものかと思っていて、トラウマを抱えやすい体質になったら、ひとつ解消したかなと思ってもまた別の形で出現してる気がする。
どこが初めてのトラウマだったのかは、分からないんだけど、私がPTSDかなと自覚したのは、転落事故を目撃してからだった。
似たような建物の近くを通る時に上からものすごい圧力のようなものを感じて、見上げたり、似た建物に近づくのを避けた。
当時はまだPTSDなどという言葉もなかったし、そもそも今のように気楽に心療内科が身近にはない時代。これを克服するのには20年くらいはかかったと思う。
でも、それに変わるトラウマは軽いものはちょくちょくあって、音や気温などと関連づいているようにも思う。トリガーというらしい。
事件や事故などもあった。パワハラやモラハラなんかも、忘れていてもラフなフラッシュバックはあって、なんとなく、これは体質なのかなと思うようになってきた。
最近、思うのは、記憶をひだまりのような暖かい経験で塗り替えるのはできないだろうかと言う事。
音も気温も、心地の良いものをひたすら聞いて、心地良い体験をどんどん増やして、頭の中にあるトラウマを上書きできないのかなと考えている。
私の幸せは?という感覚の中にはいつも他者がいて、他者からはあまり幸せな気持ちをもらったことがない。キャッチできないだけなんだろうけど、わからないものは仕方ない。
身体をとことん冷やしてからお風呂へと言う行動。
ものすごく幸せを感じるんだけど、結局は、全てこの理屈だと思っていて、辛いことがあるから、幸せを感じるというのは、負荷からの解放。こういうの色んな瞬間に散りばめられているものだと思う。
だから、適度な負荷は適度な幸せを感じるのには必要なものだと思っている。
他人からもらう幸せで記憶を埋めようとすると非常にコスパの悪い作業なので、それはそれであったらいいねくらいの話で、自分で自分の心地よさを自家栽培して、ちっちゃく幸せな瞬間を貯金していく事で、記憶は塗り変わらないものかなぁ…

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