ミサイル発射のアラームで目が覚めた日のこと。
午前3時50分。
聞き覚えのないアラームの音で目が覚めた。
外はまだ暗い。
半分寝ぼけたまま、隣で寝ていたパートナーに「何これ?」とたずねたら、馴染みのない単語が聞こえてきた。
「ミサイル」「アラーム」
どうやら、北朝鮮の弾道ミサイル発射を感知してのJアラートだったらしい。
状況が飲み込めないまま、ぼんやりしているうちに、外から
「うーーーーーーーーーーーーーーー」
と、低い音が聞こえ始めた。
街の防災無線だ。
この音を聞いたとき、少し前に観た映画のことを思い出した。
何かと話題になっている「君たちはどう生きるか」。
その物語は、主人公の住む町が空襲被害に遭っているシーンから始まった。
「うーーーーーーーーーーーーーーー」
映画のなかでは空襲警報が響いていた。
戦闘機が飛び交い、街の向こうにある病院が炎に包まれている。
避難を急ぐ人もいれば、病院の様子を見に行こうとする人もいる。
ミサイル発射を受けての防災無線を聴きながら、私は、このシーンのことを思い出していた。
街の防災無線からは、
「ミサイルが発射されました。建物の中に避難してください」
と聞こえてくる。
だけど、その言葉は、私にとってまったくピンと来るものではなく、ただの無機質な「音」だった。
もしミサイルが近くに落ちたら、建物のなかに避難するだけで助かるものなのだろうか。仮にこの辺りが狙われているのだとしたら、もう抵抗することなどできないのではないか。
99%は落ちてこないだろうけれど「絶対に落ちない」とは言い切れない。
そして、落ちてきたとして抗う術がない。
「袋の鼠だな」と思った。
逃げようにも逃げられない。ただ死を待つだけの身。
結果として、ミサイルは太平洋に着水したらしい。
最初のアラートから10分少しで、警報は解除された。
ちなみに、解除の際にも、また物々しいアラームと防災無線の音がした。解除の時はこの音は鳴らさないほうがいいと思うよ。ほんとに。
あの音は、心にも身体にも良くないから。
心も身体も落ち着かず、もう一度寝付くまでに時間がかかり、寝不足のまま翌朝を迎えた。朝日が、いつもよりキラキラと輝いて見えた気がした。
「ミサイル騒ぎ」から思い出したことがある。
私たちは致死率100%。
今日とも知れず、明日とも知れず、誰が先に逝くのかさえわからないけれど、誰もが死を待つ身だ。
そう考えたとき、私はミサイルで死ぬのは嫌だなと思った。
だって、一撃でドカーンとされると、突然すぎて死んだことに気づけないかもしれないもの。
死は、自然の営みであったほしいと思う。
だから、暴力的な力で生命を奪われるのではなく、植物が少しずつ朽ちていくように徐々に死んでいきたい。生命の灯火が少しずつ弱まる様子を最期の一時まで感じきるように、「できなくなること」を一つずつ味わい尽くすように、この世を去っていけたら理想的だ。
* * *
書き忘れましたが、今は沖縄に滞在中です。
まったく話は変わるけれど、今回沖縄に来て、一つとても困ったことがあった。野菜価格の高騰だ。
なんと大根1本が650円!
ほうれん草は1束398円!(にも関わらず欠品…)
そして、家計の味方のモヤシでさえ55円……(税込で60円)
台風6号の影響で沖縄県産の野菜は壊滅的な被害を受けた。まだまだ物流も安定していない。
画面のなかの出来事は、フィクション(つくりもの)ではないのだよなぁ。そして、報道されなくなった後も、現実は続く。「去れば全てが元通り」のはずはなく、時間差でやってくるダメージだってある。
野菜価格高騰は、家計にとっては相当な痛手だ。
「野菜高いですよねー」と、沖縄に着いてから何度話しただろうか。
だけど、今日、同じお店に行ったら大根の価格は350円まで下がっていた。「いつも通りの日常を取り戻そう」とする力もまた強いのだ。
私は、こういう「日常への求心力」みたいなものが、とても好きだ。これこそが、人の知性であり、強さなんじゃないだろうか。
だからこそ、強く思う。
毎日たべる野菜とか、毎日のご飯とか、暮らしとか、何気ない人の営みが、暴力的に奪われるようなことが、これ以上起こりませんように。
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