フェミニズムについて(1/2)

自身の前記事を公開するにあたり、他の著者の記事へ送らせていただいた過去の自身のコメントが言葉足らずの部分を補う役割を果たすだろうと思い、こちらに自身のコメントを2回に分けて自己転載させていただきたいと思います。

元記事はHatena Blogのよしき (id:tyoshiki).さんの2017年9月2日の記事『 フェミニズムの基本的4類型についてのおさらい - 頭の上にミカンをのせる (tyoshiki.com) 』( https://www.tyoshiki.com/entry/2017/09/02/003801#comment-6801883189088249544 )です。
以下【】内における『』内の言葉は上記の記事よりの引用です。

以下【】内に自身のコメントの原文をそのまま転載いたします。


【こんにちは、はじめまして、おもしろい記事をありがとう。

先日ネットでフェミニズムをかじったものの端くれだと自称してしまいまして。知識不足も自覚しているし、活動的ではないですし、すこしかじったくらいの私が本当に自称しても良かったものかとすごく悩んでここに辿り着きました。

結論を先に書くと、まさしく「フェミニズムをかじったものの端くれ」という表現で間違いがなかったのかなと思いました。良い振り返りになりました。


ラディフェミ→『何かを告発する際に自制のルールを持つ』部分だけはかすっているのかなと思いました。
 自衛の場合以外ではなるべく戦いたくはない。マイノリティや社会的な弱者同士で主導権の取り合いをしていたりお互いに傷付け合っていたりしている事には抵抗感があります。(LGBTのトイレ問題などに対して、女子トイレの普及を訴えてきたフェミニストの方々の歴史を聞きかじっているが故にトイレ問題に際し両者の意見に対して安易な発言は出来ないと自覚しているつもりではあります)

リベフェミ→かすってはいるのかなぁ?
 男女の溝はなるべく広げたくはない。女性の権利だけを一方的に追及するのであればそれはもはやフェミニズムと言えない。アファーマティブ・アクションに関しては、なるべくならしたくない必要悪として肯定する立場なのだと認めざるを得ない。男女の賃金格差も問題ではあるが、夫婦単位での負担が増加する昨今、婚姻の主目的が「夫婦がお互いに稼ぎと家事の押し付け合いをすること」になりかねないのも問題だと感じている。(先のトイレ問題の続き 極論を言えば対象が女装した男性であってもフェミニズムは生じる問題に対してなるべく偏ることなく問題解決に取り組むべきで、男女別のトイレは大前提とした上でも今後は共用のトイレの併設義務化へ移行していくという応急処置などは今すぐにでも可能だし始めるべきだと考える。一方で特例法はマジョリティ社会側が用意した切符であり、その提案に当事者は合意するのか出来るのかというのも、すごくフェミニズムらしい考え方だと思っています)

マルフェミ→微妙にかすってはいる?
 資本主義は自己論理矛盾しているとは思う。ホモ・エコノミクスを「人は暮らしていけるのならば働かない」と理解するのであれば不労所得は止めるべきだけど、誰が止めさせる事を出来るのかという問題は残される。私はフェミニズムの敵は社会構造そのものであり男性はその社会構造の歯車あるいは作用点の一つにすぎないと考えています。故に女性に対するものだけでなく色々な差別や偏見や格差があるのだろうと思っています。とはいえ目の前にいる個人を許せるかどうかはまた別の話としてね。あと階級闘争を意識しているわけではないのだけれど、社会構造の分析というのは一つの武器になり得ると思っています。

草の根フェミ→少なくとも「女性であれば誰でも女性学の担い手になれる」というのには同意できない。「フェミニズムは一人一派」と言うのには抵抗を感じる。フェミニズムの応用段階においては個々人の主張の余地が残されるべきとは思うが、それもフェミニズムとしての体をなしていなければもはやフェミニズムとは言えないだろうと感じています。また、『「自分の感覚がフェミそのものだ」』と思えた事は一度もない。これまでに誰かを弁護しなければならなくなった時に言葉にしてきた言葉がフェミニズムに適っていたならば幸いと思うだけです。少なくとも”私”は「性差別を無くし、男女の平等な権利を訴える」というフェミニズムのお題目(本当はこんな言い方しちゃダメなんですけどね)に従っていないものをフェミニズムだとは認めがたいです。

以上です。ありがとうございました。】(2024年3月5日 satomi_favilla)

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