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平和へとつながる❝すべてに魂が宿る❞という価値観

時代とアミニズム、宗教

古くから伝わる信仰—たとえばネイティブアメリカンやアボリジニ、ポリネシアンたち、そして私たち日本人の古神道。

他にも世界を見渡せばたくさんあると思うのですが
【自然霊】という考え方。

自然に霊魂が宿る
どんなものにも魂が宿る
という考え方がありますよね。

森全体にも魂が宿り
木1本
あるいは
葉の1枚にも宿る。

無機質な石、磐座にも宿る。


この考え方が好きです。

あくまで好きっていうだけで
それが正しいとかいうつもりもないのですが。


いわゆる縄文時代には
この価値観は当たり前に根付いていて。

もしかすると
キリストが生まれる前までは
それが世界中で当たり前だったのかもしれません。

そういう意味でキリストの誕生と言うのは
やっぱり時代の転換点。


キリストが生まれたから
世界がそうなった
というよりは
そういう時代がやってきたからこそ
キリストが生まれた
のだと思うのですが。

キリストが生まれたあたりからの
約2000年間は春分点が【魚座】にある
魚座の時代。
だから魚座には、救済、とか、キリスト
という意味も含まれています。

その前の時代は【牡羊座】。
ここが占星術の起点ですよね。
だからこそ、天の動きに気づき
占星術の基礎、天文学の基礎を築いた時代。

そしてこれからは【水瓶座】の時代に移行していく。
それは今の私たちからは想像できない
新しい時代です。

水瓶座時代はどうなるのか

前回の水瓶座時代は約26000年前なわけなので、
いったいいつなのかってくらい前です(笑)
だから想像するしかないんですが。

混沌とした世から
理性的な世になるのか。
はたまた宗教観だけでいえば
新しい宗教が台頭したり
これまでの宗教が瓦解するのか。

今わかっている範囲では
約3万年前にネアンデルタール人が絶滅したという
ことなどでしょうか。

同じようなことが起こるとすれば
後から考えたら【進化】したと思われる人間が
現れる、とかなのかもしれません。

また、暮らし方や身体の作りが変わっていったり
新しいDNAが出てくる・・・とかそういうことなのかもしれません。

魚座時代は救いを求める時代

魚座時代に、この時代を象徴する
宗教や目に見えない価値観が台頭し
それと同時に物質的なものを求める傾向に。

なんか不思議ですよね。
魚座といえば、目に見えないものや混沌としたものを
象徴します。

もっと愛に溢れていたり
やさしい時代になってそうじゃないですか?

それを学ぶための戦争の歴史、なんでしょうか。

ちなみに縄文時代は
極端に戦いや暴力によって死亡した人が
少ないそうです。

これは世界的に見ても稀なようで、
それくらい人類は殺し合いの歴史を歩んでいます。

動物としての本能なのかもしれませんが。


戦いがあるからこそ
救いを求める。

救いを求めることそのものが魚座の時代ということ
なのかもしれませんね。


平和だった(と思われる)縄文時代

縄文時代はまだ狩猟がメインで
稲作などは伝わってないとされています。
(実際には後半には伝わっていた、という話もありますが)

稲作が伝わり
【貯蓄】できるようになったら
争いが起き始めた。

【豊か】な集落と【そうじゃない】集落が
できてしまった。

だから争う。

貧富の差から争いが生まれたわけですね。


貯蔵できるからこそ
生き延びることができるようになったはずなんですが
それが本当に幸せか?
と言われたら手放しでそうだとも言い切れなかったりしますよね。


私たちは「持つ」「貯める」ことを求め
そこに幸せを見出してきました。

でも本当は何かを持っていなくても
何かをためていなくても
実はここにいるだけで幸せなんですよね。


縄文時代の人はそんなふうに
生きていたのかもしれません。

レムリアやアトランティス

最近、こういう大陸のときに生きていた
時代の記憶がよみがえっている人が
多いですよね。

それが本当にその人の記憶なのかは
わかりませんが
(というのは私たちは1つの点から始まって
 すべて一緒。だとするとその1つの点の記憶を
 共有しているだけなのかもしれない・・・)
少なくともその時代の映像や記憶を
多くの人が思い出しているんです。

それまでなかったのに
なんか不思議ですよね。


このレムリアやアトランティスが
存在していた時代も
縄文時代あたりなんじゃないか
とか言われています。
約12000年前。


古代ギリシャ時代の人が言っていたり
比較的最近の動物学者が提唱していたりする
この2つですが。

本当に存在していたかどうかはともかく、
非常に縄文時代と似ていたといわれるんですよね。
特にレムリア大陸の方ですね。


なので、これからの時代はもしかすると
そういう平和で調和的な時代になるのかもしれません。

もちろん26000年前~12000年前とは違う方法で。


今はAIとかが台頭していますもんね。
それを制御して使えるのか
平和利用できるのか
というのも大切なポイントかもしれません。

新しい時代が来る前の破壊

いずれにしても
新しい時代が来るということは
その前にこれまでの時代を破壊する出来事が起きます。

それは後の時代になってから
「これが新時代のための破壊だったのか」
って気づくことであって
今これだってわかるものではないと思いますが。

本格的な氷期が来るとか
ウイルスに感染することでDNAがアップデートされるとか
何かしら淘汰され、進化が起きるとか。

そういう可能性もありますよね。

最近はやっていた病もその1つかもしれないし
AIが暴走するとかかもしれないし
その前にどこかの国が暴走してしまうとかかもしれないし
本格的に人間が絶滅しかけるようなできごとが起きるかもしれない。


かといってそこに恐怖していても仕方ないし
いったいいつそんなことが起こるかもわからないので
ただひたすらに今を生きることしかできませんが。

すべてのモノに魂が宿る

こうして時代が移り変わっていきますが
だからこそ
【すべてのものに魂が宿る】という考え方を
改めて感じていくことが大切になるし
目に見えないものを感じ
神と人間との間に優劣をつけるのではなく
共に生きる、という姿勢が
必要になるんじゃないかと思うんです。


それが地球のサイクルともいえるし
調和的な生き方なんじゃないかと。

混沌とした世の中に指針を見出してくれたキリストは
この時代に必要な人で
必要な価値観、考え方だったと思います。

でもそれが曲解されたり
世俗的に使われたりして
本来とはずれてしまった。

だからその軸が正されるというか
真ん中に戻っていくことが
必要なんじゃないかと私は感じるんですよね。


いろんなものを習合してきた日本

日本って不思議な国で。

お宮参りや七五三は神社に行き
お葬式はお寺に
キリストのことを大して知りもしないのに
クリスマスパーティーもしちゃって。

すごく融通が利くというか
柔軟な国です。


蘇我氏と聖徳太子が仏教を取り入れて
広めようとしたけれど
結局神さまも残り、大切にしてきました。

また時代が下りザビエルが来て
キリスト教を布教しようとしたときも
結局そこまでは根付かず。

もっと言えば
神社というものができ
多くは天照大御神やほかの神さまを
お祀りしていますが
実はこれはもともとの日本にいた神さまではなく
比較的新しい神さま。

表向きというか、主にはこちらの比較的新しい神さまが
お祀りされています。

が、実はご神体が、
木であったり
磐座であったり
森全体であったり
島だったり。

そこに神さまが依り代として
いらっしゃるとも言いますが
要するにその一見無機質なものに
神さまが宿っていると考えていて。

実はこれ自体が
古来の日本が大切にしてきたもの。


今の神道すらも新しくて。

だけどちゃんと昔の自然信仰も残っている。


ベースには自然信仰があり
その周りに、
新しい神さま、仏教、インドの神様
キリスト教など
いろんな宗教や考え方がくっついて
とっても柔軟な捉え方をしている日本。


たぶんこんな国は
他にさがしてもなかなかないと思います。


この柔軟さが
今の世界、これからの世界には
必要になってくるんじゃないかと。

生かされている私たち

私たちは「生きている」のではなく
「生かされている」。

それはもう人智を超えた何かに。

地球そのものにも生かされているし
絶対的に体に必要な水
それから空気
空気をつくり出す植物
生命をつなぐ食べもの
太陽の光、大気、風、雨、土・・・

数えだしたらキリがないほどの
たくさんのもので
私たち自身がつくられ
生活が守られ
生きることができています。

この世を統べているのが人間なはずもなく。

私たちは地球からみたらウイルスみたいなものだし
宇宙から見たらもっと小さい存在です。

でも意識が世界を作り出すならば
そもそも私たちの存在があるから
この世がある、ということも真実。
確かに、私たち1人1人が世界を統べている、のかもしれません。


でも。
私たちが生きている感覚を感じられることは
ここにある自然やその他
人間が作り出すものも含めたすべてがあるからこそ。


だから、すべてのものに命が宿る。
魂が宿る。

そんな風に考えて生きたら
世界は生き生きとして
調和に満ちたものにならないでしょうか。

すべてを大切に想う心

すべてに命が宿る。
魂が宿る。

って考えたら全部を大切にすると思うんです。


ティッシュ1枚1枚だって
普段使っているスマホだって
自分の身体だって
メイク道具だって
食器やテーブル、椅子だって
家だって
車だって。


かわいがってあげたくなりませんか?
大切にしたくなりませんか?

たぶん本当は毎日
あなたに話しかけてくれていますよ。

それに気づけると思うんです。


家事だって楽しくなります。
おうちをきれいにしてあげると
おうちが喜んでくれるから。

靴をきれいに磨いたら
靴が喜んでくれるから。


忙しない現代で全部いちいち
そんなこと思っていたら
他のことができないよーっていうのも
あるとは思うんですが(笑)

できる限り心をこめる。
できる限り大切にする。

それだけで自分の心の平和。
ひいては世界の平和へと。
つながるんじゃないかと思います。


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