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過程があるから今がある

当たり前のことなんですが
物事が最初から成功するってことはなく
それと同じように「自分に還る」のにも
過程があって、
「還る」というからには
そこに至る道筋があります。

結果を求めがちな現代

私たちって最初から結果を
求めがちだし
求めすぎる生き物ですよね。


使命とか天職とかも
いきなり求めようとしますし
ビジネスを始めて最初から成功したいと思う。


もちろんそうじゃない人もいると思うんですが。


過程や道のりが生きることの本質

だけど
生きていることの本質は
あくまで「過程」であり「道のり」であり
「結果」でも「成功」でもないんですよね。


そこに気づかずにか
わかっているけど気づかないふりをしながら
現代社会を生きていますね。



私自身も頭でそのことは理解していたんですが
つい最近、突然ストンと肚に落ちたんです。

大学くらいまで順調に
社会が良しとする道のりを歩んで
いい企業に入って
挫折して(笑)
そこから心理学に興味を持ったり
アロマテラピーや健康のことに興味を持ったり
オラクルカードや数秘に興味を持ったりして
今星読みというところに興味を持っていますが
ずっと「何か」を探していて
それが天職であってほしいとか
生きる意味のようなものとイコールであってほしいとか
内心思っていました。


社会人になって
いろんな意味で躓いてから
ず~っと何か探して
闇の中にいるような感じでした。

で、宇宙や星という分野に行きついたとき
ああ、なんだこれか
って思ったんですが、
その後でもずっとずっと模索し続けているんですよね。

自分の中の迷いや
自分が何者かという迷子感はなくなったんですが
おそらく死ぬまで勉強というか
ずっと探求し続けるんだと思うんです。

たぶん探求したいことがなくなったら
今世もういいかな
っていう時なのかなと思います。



私から見て成功しているような方や
憧れるような方も
やっぱりいきなり今のその状態になっているわけでもなく
最初があって
模索して
今に行きついて
たぶんこれからも進化し続けるんですよね。

だから永遠に終わることはなく。


だからといってそれは「不足感」から
自分磨きをしているというわけでもなく。


満たされている自分を
どんどん磨き上げて行ったら
そうなっちゃった

みたいな感じなんだと思います。



そしてそれは、別に特別なことでもなく
ごくごく普通のこと。


人によって、何をするのか
どこに向かいたいのかは
もちろん違うでしょう。


だけど、そうやって探す過程も
見つけた、と思った後に通る道も
それ全部が必要なことで必然なことで
そのどこかの過程がなくても
今に至らないんだなぁ
としみじみと思ったのです。

目的地に至るためのルートは無限にある

何か叶えたいことがあるときに
どういうルートがあってもいいんですよ。

楽なルートを選んでも
険しい困難なルートを選んでも。

行きつく先は同じ。


それなら最短ルートで行きたい!
って(頭では)思っていたタイプなんですが(笑)

ちゃんとゆっくり進むことにも
つまづいたことにも
いろいろ見てから目的地に着くことも
意味があるんです。


私の場合

たとえば星を読み始めて
最初は「自分らしさとはなんだろう」
ということだけに興味があって
特に「予知」とかには興味がなかったし
私が知っている科学的、天文学的な星の知識と
占星術がつながるなんてあまり思っていなかったんです。

だけど、全然別のルートで得てきた知識が
ここにきてつながって
さらには魂や、魂の根源という哲学的なスピリチュアル的な
ところにまでつながって。
最初から魂やスピリチュアルなことにしか
興味がなければ
理論的に納得することはなかったんだと思います。

でも科学的なところも含めて理論があり
そのうえで占星術を知り
スピリチュアルな感覚が出てきたことで
なんかもう降伏するしかないなって。

非現実的だって言葉で済ますんじゃなく
事実としてなにかある
理論でまだ説明できなくても
理論を重ねてきたところの
延長線上にある気がする・・
というふうになっていったんですね。


だからこそ数年前は
「まぁそういうこともあるかもね」
くらいだった目に見えない話が
「ああほんとだったんだな」
に変わっていきました。


一番は「思考は現実化する」という
言葉かもしれません。

最初、アロマテラピーを始めた時に
先生に言われた言葉。


まぁ考えて自分でそれをやろうと思うから
現実化するんだろうけど。
って思ってたのだけど、
もちろんそれはそうなんだけど、
この言葉って結局、量子力学でいうところの
波動性と粒子性だと思いますし、
もしかすると量子もつれの話も入ってくるのかも。


これだいろいろつながり
星ともつながったときに
「ああ、ほんとだったんだな」って
腑に落ちたんですよね。


今ここにいる自分で生きる

言葉にすると当たり前すぎるんですが(笑)

肚に落ちた瞬間は
心がす~っと静かになります。

この感覚を伝えられないのがもどかしいのですが。


頭でわかるのと
肚でわかるのは
全然違います。


もっと言えば魂という奥深いレベルでわかるのも
もう1つ段階が違うように感じます。


すでに肚の底で、魂でわかっている人にとっては
「今さらなにを・・・」
な話だと思うんですが(笑)


本当にただ今を一生懸命に生きる
今を感じきる
今の自分を積みかねていく
ということがとどのつまり人生で
自分へと還っていく過程なんですよね。


自分へと還るうえで
どんな過程を通ってもいいし
どの過程も全部意味がある。


というのを体感として
感じたのでした。


前に一度書いた気もしますが
25歳くらいからずっと焦っていたんです。
何かしなきゃ
生きている意味をつくらなきゃ
と。

焦っていたけど
どうにもならなくて
もがき続けていて
早くちゃんとどこかにたどり着きたい
って思っていたけれど
最初からたどり着いていたし
永遠にたどり着かないともいえるし。

なにも焦らなくても
ちゃんと自分と一致して
自分を生き手入れば
そのこと自体が答えというか
人生というか。


というわけで
どこにも行く必要はなくて
ただただ今を生きるだけ。

その言葉も
何度も言われてきたし
聞いてきたけど
わかっているようでわかっていなくて
今回本当に肚に落ちたように感じます。

この肚落ちも何度も重ねていくのでしょうけど。

前も「今を生きる」でいいんだ!
って思ったことがありましたしね(笑)

今回はそれが別方面から腑に落ちて
深くわかった気がします。



ということで、
過程である今
過程があるからこその今
どちらも楽しんでいきましょう。


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