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愛するものを持っているものは仕合せだ(武者小路実篤)

それが人であれ物であれ、
愛する対象をもっている
ということは幸せなことである。

愛するものの存在は、
人の心をゆったりと
充足させてくれる。

幼い子供が大好きな
ぬいぐるみを抱いて
眠っているのを見ると、
愛する対象の存在が
どれほど心を
なごませるもので
あるかがよくわかる。

仕事から疲れて帰宅したとき、
愛する家族の「お帰りなさい」の声を聞けば、
疲れがすうっと消えていくのを感じる。

コレクションを眺めているときの
至福の時間というものがあるだろう。

愛する者のために
身を犠牲にすることも、
愛はいとわない。

死すらもそこで至福をもたらす場合がある。
愛は他人の幸福も
望まないではいられないのである。
愛する対象がなければ、
人生は索漠として寂しい。

索漠(さくばく)……心を慰めるものもなく、
           味気ない、ものさびしいさま。

なぜ?「幸せ」ではなく「仕合せ」なのか?

もともと「幸せ」は
「仕合わせ」と書き、
「為(し)合わす」が
変化したもので、
言わば「巡り合わせ」を
意味しています。

「都合が良い状態や調子」
を指す言葉です。

例えば、「仕合わせが良い」というと、
物事が順調でうまくいっている
状態を表現しています。

また、「仕合わせが悪い」というと、
逆に状況がうまくいかない
状態や都合が悪い状況を
指すことがあります。

よって、「しあわせ」という言葉には、
いい意味と悪い意味の両方が
含まれていたのではないかと
言われています。


Wikimedia Commonsより

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)
(1885~1976)の小説『幸福者』のなかの言葉。

『幸福者』は大正8年(1919)の作品。
弟子が亡き師を語るという形式で、
作者の理想とする人間を描いたもの。

「師」の人間像や
周辺の登場人物の設定の仕方に、
遠く「新約聖書」の影響が
あるとされています。


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