大学院を中退した話

昨夜担当の教授にその旨を伝えた。正確には退学届を出していないからまだ中退ではないが、そんなことはどうでもいい。大学院を去ることを決めた。

大学院に進学してから一年と半年。自分が志すべきものを見つけるために意気込みして臨んだが、残ったのは数百万の奨学金と消費者金融の支払い、荒廃した一人暮らしの部屋、ベランダに溜まった吸い殻。

大学院に籠もって研究する日々は、自分から求めていた環境のはずだったのに、時間が経つにつれてその熱量は冷めていった。僕はどうしようもなくなって、なんとなく街に出て、酒を呑んで、時間に身を委ねていた。

大学からどんどん離れていく感覚は、自分はなんのためにこの街にいるのか迫られるような焦燥感と、あの場所から離れることができる安堵感が入り混じっていた。なんの根拠もないけど、僕はあの場所にいないほうがいい人間だとなんとなく感じて、自分が大学を去ることを肯定することでいっぱいいっぱいになっていた。

同期にも何度か相談に乗ってもらって、中退を踏みとどまったりもしたが、人生を掛けて自分が目指すものに真っ直ぐな彼らの言葉は、僕はやはりこの場所にいるべき人間ではないのだとなにかを悟るような感覚にさせた。それは嫉妬でもないし、悲しさや焦りでもない。静かにゆっくりとした断絶を僕はつくってしまっていた。

心の底では誰からも愛されていたいし、優しくしてほしいと思いながらも、今の僕はそれをまっすぐに受け取ることすらできないのかと自分に苛立ちを覚えた。優し過ぎる同期に対して、その言葉に答えることができなかった自分の情け無さと、その同期への贖罪を持ちながら、それでもどうしようもないから街を転々とする。これまで支えてくれた大学の友人や恩師を裏切り、もうすでに熱くクタクタになった胃に惰性でアルコールを入れる。ゆっくりと沈んでいく感覚をタバコの煙を眺めながら感じとる。

居酒屋のモニターには尾崎豊の太陽の破片が流れていた。尾崎のあの儚さは、あの愛おしさは死んだ人間だから、尊い存在だからそう見えるのか、もしくはその死生観そのものがそれを創り出しているのか。

大学院で見出せたものなんてほとんどないが、大学から逃げるように街を放浪したあの悶々とした時間たちはこれから先、忘れることはない気がする。なにが価値があって、なにが無価値なのか、そんな問いの脆さは分かりきっていたことだが、自分自身に向き合うことを拒むための口実であったことははっきりした。

なにかを見出そうとするのではなく、今自分の与えられた状況や時間に身を委ねてみる。なにかを目指すのではなく、自分が生きていくその時間そのものを拾い集めて、大切にたいせつに自分というものをつくっていく。

明日からフリーター。学生も終わって税金や年金、借金の支払いと、生きているだけでいっぱいいっぱいになりそうだけど、それも大切な自分の人生として愛でてみる。時間に身を委ねる。