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日記 2020年5月 肉じゃがに醤油を入れすぎて死にたくなる世界から一歩遠ざかる。

 5月11日(月)

 本日、とある知人の一年目の結婚記念日のはずだった。
 朝、仕事へ向かう間にLINEの文面を考える。僕はカクヨムでエッセイの連載をしていた時、2019年の一番の後悔として、この方が結婚した際にお祝いをしていないことと書いた。
 実際まだ、お祝いの品などは贈っていない。

 エッセイを載せた半年後くらいにコメントで「実行しましたか? まだなら、早めにするのがいいかもです」といただく。
 おっしゃる通りだ。
 そして、このコメントがあった日に、この知人からカクヨムのエッセイに関する感想をもらう。
 タイミングが良いのか、悪いのか。

 なんにしても、お祝いの品は贈っていないけれど、おめでとうは言いたいと思い、文章を考えるも結局は無難な内容になる。
 仕事の休憩時間に送る。
 ひと笑い取るための文章を忍ばせておくべきだったかな? と少し後悔する。

 仕事終わりに返信がきていた。内容の中に「凄い!」とあって、前後の文章的に覚えていて、凄い! という意味だろうと察する。
 ふむ。
 確かに僕はこの知人の方の誕生日は知らない。教えてもらったことがあるかどうかさえ覚えていない。
 けれど、結婚記念日は覚えていた。
 単純にカクヨムのエッセイのネタにしてしまったから、というのが浮かんだ。

 それもあるのだろうけれど、おそらく僕自身が結婚という法律行為がすごいことだと思っているからだろう。まったくの他人が夫婦となって、互いの残りの何十年という時間を共に過ごす。
 どんなに控え目に考えても、それはすごいことだ。
 と考えて、僕は素直にこの知人を含む結婚している多くの人たちを尊敬しているのだと気づく。

 だから、僕はこの知人に可能な限りの敬意を払おうとしているのだろう。まだ、お祝いの品は贈っていないけれど。
 などと、ぐるぐる考えつつ、帰り際に本屋に寄って佐々木敦が編集長を務めた「文学ムック ことばと Vol.1」を購入する。

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 最寄駅に到着して近くのコンビニミネラルウォーターを買う。
 レジでお支払をしている間に募金箱が目に入る。「新型コロナウィルスに対する(第2次)支援募金」と、おそらく書かれていた。
 財布に入っていた数百円の小銭を入れる。
 レジで対応してくれているアルバイト風の男の子はおそらく、それに気づかなかった。なんとなく、ホッとする。
 良いことをしているはずなのに、居心地が悪くなるのは、どうしてだろう?
 おそらく慣れていなからだろう。

 部屋に戻って、豚肉のつけそばを作って「ゲーム・オブ・スローンズ」の続きを見た。
 カクヨムの「南風に背中を押されて触れる」に連続でコメントをいただく。その返信をして、少し文章を書いた。


 髪の毛が伸びてきて、鬱陶しく感じる。明日はちょうど休みなので、美容室をアプリで予約して眠る。

 5月12日(火)

 休みだが、朝には起きてシャワーを浴びて部屋を出た。
 予約をした美容室へ行く間の電車の中で更新されたカクヨムの小説を読む。
 少し早くついた為、近くの本屋で立ち読みをしてから美容室へ行った。カットとシャンプーだけで、髪色はそのままにした。

「マスク外されますか?」
 と髪を切る前に聞かれて少し悩んだが、外した。カットしてくれたお姉さんはマスクをつけたままだった。
 髪を切った後、近くのブックオフへ行った。

 やっていなければ、そのまま帰ろうと思ったが、開いていた。
 入口に消毒液があって、通路の至ところに立ち読みは遠慮するよう注意書きがなされていた。気になっていた本をいくつか買った。
 二千円分くらいで、と思っていたが、三千五百円分ほど買った。給料日二日前だが、後悔はなかった。
 経験上、五千円以上買うと持ち帰るのがしんどくなる。


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(※買った本。阿部和重のピストルズ上、下が買えたのは嬉しかった。)

 帰りの電車の中で「ハイキュー!!」の41を読む。
 40まではネットカフェで読んでいた。
 スーパーで買い物もせず、まっすぐ部屋に戻って続きの、42まで読む。三度、咽るように泣き、ベッドの上でのたうち回った。
 最後まで読む頃には、泣きすぎて疲れていた。
 まるで、子どもだ。

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(※この表紙と「なにもの」の文字だけで泣ける。)

「ハイキュー!!」を読んで、思い出すことがある。
 僕はある時期、マッチングアプリをしていた。その中で、一人「ハイキュー!!」の熱心なファンの方がいた。
 当時の僕は本誌で「ハイキュー!!」を追っていて、暇があればアニメの「ハイキュー!!」を見るという生活をしていた。
 その為、熱心なファンの方の話について行くことができたし、こちらから話題を提供することもできた。
 そういうやりとりを続けた後、「どうして、そんなにハイキュー!!がお好きなんですか?」と尋ねてみた。

「昔、私もバレーボールをしていて、全然弱かったんだけど好きで。でも、怪我しちゃって、続けられなくなっちゃったんだ。ハイキュー!!を読むと、怪我をして続けられなかった私の代わりに、彼らがバレーボールをしてくれているような気持ちになるんだ」

 彼女のバレーボールに対する行き場のない気持ちが「ハイキュー!!」という作品にそそがれているんだとすれば、それは素晴しいことだなぁと思う。
 強度の高い物語というものが、世の中にはある。僕はそういう物語を好む人の話を聞くのが好きだった。
 それは僕自身が行き場のない気持ちを物語にそそいでいた時期があったからかも知れない。

 夜、倉木さとしからLINEが届き、電話をすることになる。
 僕がnoteをはじめてから、電話していなかったので、一ヶ月以上ぶりに倉木さとしの声を聞く。
 話はじめると、いつものクセなのか、ぱっと思いついた関係のない話を幾つかしてしまう。
 倉木さとしは明日から三日の連休に入るらしい。
「もう、おじさんだから、小説だけに時間が使えないんだよ。しないといけない他のことがあるんだ」
 と言っていたのが印象的だった。

 電話を終えて、日を跨いでツイッターを開くと、倉木さんの奥さんが誕生日だったみたいで、画面上で風船が下から上へと飛んでいく演出があった。
 倉木さんは奥さんの誕生日だから三日の連休を取ったのかな? と考えると、良い人だなぁと思う。

 僕は倉木さんの奥さんに会ったことがない。付き合った当初に、話の流れで、今度会わせてくださいよ、と言ってみたことはあった。
 その時、「君はチャラいからダメ」と言われたのを、今でも覚えている。
 チャラいって……。
 ひとまず、そのような理由で今後も倉木さんの奥さんに会うことはない気がしている。

 カクヨムの方でお手紙が届く。
 時々、スマートフォンの画面上で見ているだけなのに、その言葉一つ一つが温かく自分の中に染み込んでくることがある。
 多分、それは僕に向けて書いてくださっている文章だからなのだろう。
 そういう温かいものも含めて、お返しをしたくて、その方との以前のやりとりを読み返してから文章を書いた。
 その方からのコメントや感想を読めば読むほど、感謝以外の言葉は浮かんでこなくなった。

 5月13日(水)
 
 朝、電車に乗っていると、電線にものが引っかかっていると言う知らせがあって、電車が止まる。二十分ほど停車していた為、朝の散歩(仕事へ行く道を三十分ほどかけて歩いている)を諦めて真っ直ぐ職場へ行く。

 職場の上司が「ゲーム・オブ・スローンズ」を見ていた話になる。僕はシーズン1の4話まで見た話をすると、「この先の感動を今から味わえるのは羨ましい」と言い出す。
 後輩は「え? ドラゴンとか出てくる、ファンタジーでしょ?」と言い、上司が更に力説をはじめる。
 一応、仕事時間な気がすると思いつつ話を聞く。

 昼過ぎに「4月の自殺者数、前年比約20%減」というネットの記事を見つける。「先月(4月)の全国の自殺者は前の時の同じ月に比べ359人少ない1455人で、19.8%減ったことがわかりました。少なくとも最近5年間では最も大きな減少幅だということです」
 とのこと。
 記事は「新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、家族や同居する人が外出せず家にいることや、職場や学校に行く機会が減り、悩むことが少なかったことなどが要因とみられています。」と締めくくられていた。

 この記事を読んで、浮かんだのは瀬尾まいこの「卵の尾」に収録されている「7's blood」という短編だった。

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 その中で、七生という小学生の男の子が、同じ小学生の子が自殺したというニュースを見て「宿題をやっていないことに気づいたとか」「体操服忘れた」という理由で自殺したんじゃないか、と話すシーンがあった。
「そんな忘れ物で死んだりしないわよ」
 と主人公の私は断言する。
 七生は以下のように続ける。

「でも、子どもなんだもん」
「子どもだからってそんなに簡単に死ぬわけないでしょう」
「子どもって大人より体が小さい分、ショックが回るのが早いんだよ」

 更に七生は自分も「さっき肉じゃが作ってる時死にたくなったもん」と言う。「醤油入れすぎちゃって」「取り返しがつかないことしてしまったって」
 主人公の私は「肉じゃがぐらいで思い詰めるんだったら、七生には他にもっと死にたくなるようなことたくさんあるじゃない」と言ってしまう。
 七生はへらっと以下のように言ってのける。

「母親が刑務所入ったり、愛人の子どもだっていじめられたり、そういうことでは死にたくならないよ。そういうのって死んでまで僕が解決しなきゃいけないことじゃないし」

 つまり肉じゃかは自分で作りはじめて、失敗してしまったから、自分が解決しなきゃいけないことで、その選択肢として自らの「死」というものがある。
 確かに新型コロナウィルス(という皆で悩んでいること)によって人は死にたくならないのかも知れない。それよりも職場や学校という個人的な、自分が解決しなきゃいけないことの蓄積の方が人は死にたくなってしまうのかも知れない。
 あくまでかも知れないで、それが結論だと言う訳じゃない。

 仕事終わりにスマートフォンを開くと連載していた「西日の中でワルツを踊れ」が完結していて、レビューなどをいただいている。
 部屋に戻って、完結したことの報告としてカクヨムに近況ノートを書く。
『「西日の中でワルツを踊れ」は言わば、過去のもはや他者となった自分の罪を如何に受け入れて背負うのか、という物語でした。』
 という言葉が出てきて、本当にその通りだなぁと思う。

 夕食にチーズリゾットを作って食べる。味付けがいまいちだった。
 noteにも「西日の中でワルツを踊れ」についての文章を書く。なぜか、部屋に戻ってきた時に遭遇したカメムシの話を冒頭に書いた。

「西日の中でワルツを踊れ」の主人公とヒロインはその後、どうなったのか、という点を気にしてくれている方がいた。そういえば、昨日の倉木さとしとの電話でも、彼らの話になった。
 プロットすら書いていないのだけれど、「西日の中でワルツを踊れ」の二人は、物語の後に「ワルツ」という探偵事務所を開く予定だった。

 僕はこの「ワルツ」という探偵事務所の設定を使って、ライト文芸っぽいゆるい短編の日常ミステリー小説をいっぱい書くつもりだった。
「西日の中でワルツを踊れ」を書いている頃のライト文芸はそういう日常ミステリーの短編が流行っていたのだ、確か。
 ライト文芸の今は少し違う方向へ行っている気はするけれど、どこかのタイミングで探偵事務所「ワルツ」の小説は書いてみようかな、と思う。
 いつになるか分からないけれど。

 5月14日(木)

 朝、仕事へ行く時に「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」を聴く。今週も先週に引き続き、相方の矢部浩之が登場した。
 日記に書いたのもあるけれど、岡村隆史が抱える問題意識や矢部浩之が伝えようとしたこと、それに対する世間の反応について、僕は考え続けたかった。その為に、ラジオをしばらく聴くことにする。

 今、僕が聞いているラジオは「菅田将暉のオールナイトニッポン」「ファーストサマーウイカのオールナイトニッポン0(ZERO)」「伊集院光 深夜の馬鹿力」「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO)」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」「水溜りボンドのオールナイトニッポン0(ZERO)」「オードリーのオールナイトニッポン」「高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと」になる。

 仕事は変わらずで、昼過ぎに緊急事態宣言が39県で解除された。僕の住む県は引き続き、延長となった。
 僕が属していた部署はクローズとなっていて、緊急事態宣言がもし解除されたとしても、再開するかは分からないとのことだった。
 仕事がなくなる訳ではないと知って、ひとまず安心する。

 僕の周囲で仕事がなくなった方が何人かいる。失業保険などを受け取りつつの方もいるし、この状況で新しい仕事を探す方もいる。
 いろんな事情や経済状況が絡んでいるのだろう。
 以前であれば、ご飯を奢るし、話も聞くよと軽く誘うことができたけれど、今はそういう形で会うことは難しい。
 いろんなことが変わってきているなと思う。
 このまま以前のようには戻れないものもあるだろうし、以前と同様の状態に戻るものあるだろう。
 何にしても、僕たちは他人と関わらずに生きていくことはできないということは忘れないでいたい。

 夜、部屋に戻って、「塩こん部長のざく切りチーズキャベツ」というのが美味しそうだったので作ってみる。
 お酒によく合うおつまみになった。見た目が不恰好になったので、またチャレンジしたい。
 
 5月15日(金)

 休日だった。
 朝、何度か起きるも体が動かず、寝て過ごす。
 昼過ぎに流石に動こうと無理矢理シャワーを浴びた。
 体はだるかったが、外に出て、近所の電気屋さんに行った。

 平日ということもあって、人は少なかった。
 そこでエアコンを買った。
 実は僕の部屋にエアコンがない。
 ここ二年ほど、エアコンのない部屋で夏を過ごしてきた。我ながら狂気の沙汰だと思う。
 部屋にエアコンがないことを理由にネットカフェなどで小説を書いたり、カフェに行って本を読んだりしていた。
 けれど、今年は極力部屋にいないといけない為、購入しようと決意した。また去年、一昨年と理由はまったく覚えていないけれど、エアコンが買えるような経済状況ではなかった。

 電気屋さんを出ていつもの業務用スーパーへ行って、冷凍野菜などを買って帰る。冷凍のほうれん草とカット玉ねぎと中華ミックスとピーマン。
 これだけあれば、いろんな料理に応用できる。
 最近、何も入っていないラーメンやお肉だけの炒め物というのが、見た目的に食欲を感じなくなっていた。
 野菜などの色があった方が食べるのは楽しい。
 昔はそういうことを気にしなかったなぁと考えると、年を取った気がする。

 部屋に戻って、倒れるようにベッドで寝転がり、すぐに眠った。夜に目覚めて、洗濯ものをし、夕食をとった。
 カクヨムの小説でコメントがきていて、DMで誤字脱字の指摘があった。
「華金の誤字脱字報告」とあって、なんだか恒例になりつつある。指摘いただけることは本当に有難い。

 とある方のブログを読みにいくと、以前、僕が「新型コロナウィルスの騒動が落ち着いて、カラオケに行ったらなにを歌うか?」というテーマを提案したことがあって、それに対する回答が書かれていた。
 一曲目に菅田将暉の「さよならエレジー」を歌うとあって、理由が歌いやすいからとあって、ちょっと嬉しくなる。

 僕も菅田将暉の曲で歌いやすいと思ったものがあって、それが「7.1oz」という曲だった。
 セカンドアルバムに収録されていて、作詞が菅田将暉と柴田隆浩(忘れらんねえよ)で、作曲も柴田が担当している。
 ファーストアルバムの「ピンクのアフロにカザールかけて」という曲も、作詞が菅田将暉で作曲が柴田隆浩(忘れらんねえよ)となっている。
 僕はこの二曲が菅田将暉の曲の中でも特別、好きだった。菅田将暉の不器用な人生観とか、恋愛観が垣間見えるからかも知れない。

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(※セカンドアルバム『LOVE』のジャケット)

 ブログに書いてくれた方はその後に、何の曲を歌うか書いて下さっていて、曲の選曲もそうだが、どうしてこの曲が好きなのかとか、魅力的な歌詞の部分が書かれていて、読んでいるだけで楽しくなる。
 カラオケは誰といくかで選曲は変わってくる部分はあるけれど、好きな曲を好きなだけ歌えるカラオケが一番楽しいと思う。
 
 僕がカラオケによく行っていたのは高校生の頃で、メンバーは僕と弟と弟の親友のハマの三人だった。
 弟の親友のハマは毎日うちで夕飯を食べていて、母いわく第三の息子という位置らしかった。実際、今でも新年に僕が実家に帰った時よりも、ハマが顔を見せる方が母と父は嬉しそうな声を出す。

 そんなハマがいつだったかに僕が地元に帰ると「兄貴も、もう三十なんだよね」と言い出した。
 そりゃあそうだ。
「俺等も三十歳になったら、三人でカラオケに行って高校時代に歌った曲縛りでカラオケをしよう」
 と提案してきた。
 年を取ることの楽しみはこうやって増えるのか、と思った。
 もちろん、カラオケをしようと答えた。今から三十歳になるのが楽しみだ。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。