日記 2020年12月 「知れば知るほどわからなくなる」世界を歩いて渡る。

 12月某日

 僕の職場の隣の席にいる後輩の男の子。
 彼と僕は気が付いたら、仲良くなっていたのだけれど、きっかけらしいものを探すなら、岡田和人の「いびつ」をお互い読んでいて面白さを共有できたからだと思う。

 そんな後輩に僕は志村貴子の「青い花」を最近、読んでいると話をした。

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「志村貴子って聞いたことある気がするんですが、他に何を描いている方でしたっけ?」
「放浪息子とか描いていた方だね」
「最高じゃないですか! 俺、放浪息子のアニメ大好きでしたよ」
 という話になる。
放浪息子」のアニメが傑作であることは心から同意した。

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 ってな感じで、漫画やアニメに関しては趣味の合う後輩に「青い花」の紹介をしようと思ったのだけれど、はたと気づいて言葉が続かなかった。
 仕方なく、適当な言葉で話題を変えて、その場を乗りきった。

青い花」の紹介をしようとした時、僕の頭に浮かんだのは今、話題に上がっている性的同意年齢で、これは「性行為の同意能力があるとみなされる年齢の下限」が日本は13歳で、低すぎるだろ、ということがツイッターなどで問題視されていた。

 この性的同意年齢を僕が知ったのはいつだったか覚えていないけど、おそらく高校生くらいで、当時の僕は「江戸時代じゃねーんだぞ」と思ったし、今も思う。
 性的同意年齢を上げることに、どのような問題があるのか、いまいち理解できない。

 大前提として、十代の多感な時期の性的な行為によって、後に色んな歪みが人生の中で生じるってことは想像に難くない。
 最年少で芥川賞を受賞した綿矢りさが17歳で書いたデビュー作の「インストール」に関して、「インターネットで見なくて良い性的コンテンツを見てしまった為に書かれた」という意味のことをインタビューで語っていた。
 性コンテンツが18禁になっているのって、意味があるよね、と僕は普通に思う。

青い花」はそういう話と少しだけ繋がっているような気がして、またそれを仕事中の雑談で後輩の男の子にするのはどうだろう? というブレーキがかかった。

青い花」のあらすじをウィキペディアで調べると、以下のような内容だった。

 江ノ電沿線の女子高「松岡女子高等学校」に入学した万城目ふみ(ふみちゃん)は、入学式の日に同じく江ノ電沿線のお嬢様学校「藤が谷女学院」に入学した幼なじみの奥平あきら(あーちゃん)と10年ぶりに再会し、一緒に登校するようになる。失恋を思い出し涙目となるふみちゃんに、あーちゃんはハンカチを差し出す。
「ふみちゃんはすぐ泣くんだから」10年前と全く同じセリフだった。

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 万城目ふみこと「ふみちゃん」は親戚で年上の千津ちゃんと性的な関係を持っていて、そんな千津ちゃんが実は婚約ないし、結婚していたことを知って、ふみちゃんは傷つく。

 その時の千津ちゃんの台詞は「ごめんね だまってて――――」だった。

 対して、ふみちゃんの幼なじみ、奥平あきらこと「あーちゃん」は冒頭で兄が当たり前みたいに、彼女の布団に潜りこんでいるシーンからはじまる。
 そして、それに特別、怒らないあーちゃん。
 別のことで文句を言うあーちゃんに対して、兄が言うのは「寝てるときだけだ お前が かわいいのは」だった。

 性に対して踏み込んで傷ついていたふみちゃんと、性に対して無頓着なあーちゃん。
 そんな二人の対比が「青い花」の前半では描かれている印象があった。

 ちなみに「青い花」もアニメ化されていて、これも「放浪息子」と比べても引けをとらない出来の良さだった。原作で言うと、3巻までの内容で、4巻以降はふみちゃんとあーちゃんの対比が混ざっていくような印象だった。

 と言っても、僕はまだ4巻までしか読んでいない。
 最終巻の8巻まで買ってはいるのだけれど、年末の連休の楽しみに取っている。

 12月某日

 スマホの通知で「容量がいっぱいです」というものが届く。
 仕方なくデータの整理をしていった。「写真」も消そうと思って見直すと、ツイッターのスクショ画像が殆どだった。
 その中で、ちょっと面白いものを引用したい。

 浅井ラボのツイッターのスクショ。

「ダイの大冒険」はとても影響を受けた。中盤から後半が凄いので、是非見て欲しい。最初は鼻水垂らして倒される魔王ハドラーや、何回も逃げるポップの驚くほどの成長。どうしようもない人まで頑張る。そしてフレイザードや大魔王の魔族の論理の怖さ。最終版におけるダイが突きつけた力への問い。最高。

 僕にとって浅井ラボは少し特別な作家で、そんな彼が「ダイの大冒険」に影響を受けていた、というのは意外だった。
 そして、僕は「ダイの大冒険」を見ていない。
 見なければと改めて思う。

 佐々木敦のツイッターのスクショ。

 どうしてニッポンはこんなになっちゃたのか、それは「それやって得するの?」と「自分のことしか考えられない」という二つの密接に繋がった心性が国民の大半を覆ってしまったせいなのだと思う。つまりエゴイズムの肯定。80年代に胚胎し90年代に芽吹きゼロ年代にすくすく育ってテン年代に完成した。

 僕は佐々木敦に多大な影響を受けている。
 そういう自覚がある。
 今もYoutubeにあるかは分からないけれど、一時期佐々木敦と作家や評論家たちのトークショーの動画が大量にアップされていて、それを僕は繰り返し見たり、聞いたりしていた。
 そこで僕は3.11というショックな出来事を、どのように処理すれば良いのか、を学んだような気がする。

 千葉雅也のツイッターのスクショ。

「本を読むときは自分の意見を持つな」、これが読書を中級レベルに最短で持っていく方法。書いてある構造をただスキャンするように読む。その内容に賛成せよという話ではない。ただスキャンし、そして記憶する。あの本はこれこれこういう論理で、と後で説明できる記憶力も鍛える。意見はその後の段階。

 千葉雅也の「勉強の哲学: 来たるべきバカのために」をまだ読んでいない。
 読まなきゃ、読まなきゃと思いつつ、ここまで来てしまった。
本を読むときは自分の意見を持つな」は本当に心から同意する。21歳くらいから、僕も似たような意識で読んでいる気がする。

 12月某日

 最近、気づいたこと。
 今日マチ子と藤田貴大による「mina-mo-no-gram」という漫画を読む。

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 女子高生の閉塞的で息苦しい日常が描かれた後に、恋人とセックスをしたベッドの上で「外に 外に出してよ 外に 外 外… 外」は痺れた。
 こういう言葉使いができる人を天才って呼びたい。

 最近、気づいたこと。
「夢とか目標ってある?」
 と尋ねられた。
「好きな人と一緒に年を取ることが夢で、死ぬまで小説を書くことが目標」と僕は答えた。
 後から気づいたのだけれど、この回答は僕の素直な気持ちが混ざっているなぁと思う。

 最近、気づいたこと。
 12月23日の夜。
 帰りにスーパーに寄るとパーティ用のお惣菜が半額になっていて、思わず購入。
 一人で豪華な夕食となり、男4人のグループLINEは酒を飲んだ報告が流れていた。
 なんというか、独身を謳歌するって、こういうことを言うのかな? と思う。けど、寝る頃には妙な虚しさも込み上げてきた。

 12月某日

 クリスマスプレゼント、欲しくね?
 と悪魔だか、天使だかの僕が耳元でささやいた。
 欲しい、欲しい! と少年の僕が飛び跳ねるので、自分に向けたクリスマスプレゼントを考える。

 職場に入った時、いつも差し入れやお土産のお菓子が置かれているカゴの中に、Huluの一ヶ月無料体験チケットなるものが入っていた。
 直感で、これだ、これが僕のクリスマスプレゼントだ! と思いチケットをポケットに入れて、休憩中にHuluで見れる作品を調べた。

 ゲーム・オブ・スローンズの最終章が観れると分かって(Amazonプライム・ビデオだと最終章だけレンタルだった)、テンションが上がって、休憩終わりに隣の席の後輩の男の子に報告した。

 年上の独身男性が、また訳の分からないことを言っているわ、という顔をしてきたけれど、すぐに切り替えて「Huluだったら、バカリズムの『架空OL日記』もありますよ」と教えてくれた。

 架空OL日記も楽しみだ。
 けれど、仕事終わり頃に、それだけでは物足りなくなって、調べたら近所の古本屋がクリスマスのセールをしていると知って、仕事終わりに寄ってみる。
 クリスマスのセールで、本当にクリスマスに来るヤツっているんだ、と悪魔だか、天使だかの僕が耳元でささやく。
 若干、悪魔よりの発言じゃね? と思いつつ、本の棚を見て回ったが、セール最終日なので気になる本は少なかった。

 部屋に帰って、夕食を食べている時に、ふとLINEのタイムラインを開くと「だからクリスマスなんて大っ嫌いなんだよな」という魂の叫びみたいな投稿をしている友人がいた。

 個人LINEするか少し悩んだけれど、これからHuluの登録があって、その後にゲーム・オブ・スローンズの最終章を見る、という楽しみに負けて、いいねだけ押した。
 LINEのタイムラインにいいねを押したのは初めてだった。

 12月某日

 ゲーム・オブ・スローンズの最終章が最高で、土日の休日だけで全部見てしまった。

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 さすが、世界中大ヒットした人気シリーズで、世界に蔓延る常識をゲーム・オブ・スローンズで変えてやるぜ、みたいな熱意だか、使命感みたいなものを持ってラストは描かれていた。

 人々を団結させるのは、軍隊か、金か、旗印か、……物語だ。
 良い物語ほど強いものなどなにもない。止めようがない。適うものは誰もいない。

 という台詞には、痺れた。
 令和で物語を作りたい人達に向けた教科書を作ろう会議なるものに呼ばれたら、絶対に挙げる一作だと思う。

 12月某日

 仕事納めの日だった。
 隣にいる同僚の女の子と「年末年始の連休はなにをする?」と言う質問を互いにして、うーんって顔をする。

 僕は小説やエッセイを書くかなぁと思っているけれど、職場で、その手の話はしないと決めているので「Huluを見て、本を読んで、ひたすらだらける。あ、バターが冷蔵庫にあるんで、バター料理を大量に作る」と答えた。

 同僚の女の子は、考えているのかどうなのか、よく分からない顔で「何しないなぁ。まぁでも、新年一発目にパチンコに行くって言うのは楽しい気がするんだよなあぁ」とか言い出す。
 楽しい気がする、ぜひ行ってほしい。

 仕事も終わり、コインロッカーでコートを着て、荷物を持って帰ろうとしたところで、同僚の女の子が目についた。
 普段なら、いの一番に帰っているのに珍しいと声をかけると、「ダウンがないんだよね」とのこと。

 僕らが荷物を預けるコインロッカーは、それほど大きくない為、コートやダウンをかけるハンガーラックが置かれている。
 そのハンガーラックにかけていたダウンがなく、同僚の女の子は困っているらしい。

 幾つかあるハンガーラックをめぐったがない、誰かが間違って着て帰ってしまったんだろう、と同僚の女の子は結論付けてコインロッカーの部屋から出て行った。
 上司に相談しに行ったのか、そのまま帰ったのか分からない。ただ、彼女からすれば、あまり良い仕事納めではなくなったな、と思い、新年に会う時にはちょっと良いお菓子でも渡して、どうしたのか尋ねよう。

 12月某日

 連休に入って、途端に寒くなった気がした。
 昼過ぎまで寝てしまって、それからカクヨムのエッセイを書いて(49 父も母も、そして僕も、今のまま変わらず生きてきた訳ではない。)、夜に「岸辺露伴は動かない」を見る。

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 原作を読んでいなかったのだけれど、高橋一生の喋り方がちゃんと漫画っぽくて良かった。
 あと、中村倫也も登場しているので、「凪のお暇」好きとしては最高だった。

 第一話の「富豪村」と第三話の「D.N.A」は登場する子供が、謎そのもので不気味な印象を持たせていた。
 乙一や舞城王太郎あたりのミステリー作家たちが時折、子供を不気味に描いていたけれど、それに通じる空気があった。

 第二話の「くしゃがら」は漫画家仲間の志士十五の森山未來が空気の全てを持って行っているような印象だった。
 森山未來は荒木飛呂彦、原作「死刑執行中脱獄進行中」の舞台にも出ていたらしいので、荒木飛呂彦の空気をもっとも知っている方だったのかな? とも思う。
 舞台とドラマは違う気はするけれど。

 などと考えつつ、深夜に東浩紀の「ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる」を読んでいて、面白すぎて止まれずに最後まで読んだ。

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 現実には世の中の問題は複雑で、長い歴史があったり利害関係が込み入ったりしていて、「知れば知るほどわからなくなる」ことや「わかればわからなくなるほど動けなくなる」ことが多い。その状況で問題を単純化して強引に社会を動かそうとすれば、かえって状況を悪くなることもある。ほんとうは、「知る」と「わかる」のあいだに、そして「わかる」と「動かす」のあいだに、「考える」というクッションが必要なのです。
 ゲンロンカフェが大事にしているのは、まさにこの「考える」という行為です。思考は誤配=雑談から生まれます。そして無駄な時間を必要とします。ひとはたいていの場合、まったく思いも寄らないことをきっかけに「考え」始める。

 考える為には無駄な時間を必要とするし、思考は雑談から生まれる。心に刻みたい言葉だ。
 来年はもっと雑談したり、無駄な時間を持って色んなことを考えて行きたい。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。