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「愛とかゆみと咳」の後にある結婚について。

 USBの中に「駄文」というファイルがあった。
 保存日時は2012/11/03になっていた。

 そこには以下のように記載されていた。

結婚とはなんぞや
 と敗戦間もなく、廃墟になった東京の街にぽつぽつ新しい建物ができてきた頃のこと、焼け崩れたコンクリートの塀などに黒々と、描かれていたらしい。吉行淳之介いわく、これは結婚式場のPRで、戦後のPR名文句の第一号との事だった。
 トーマス・フラーの言葉に「結婚前には目を見開き、結婚してからは目を閉じることだ」というのがある。敗戦後、誰もが目を閉じてしまいたかった時期にこのPRはちょっと面白い。

 2012年当時の僕は吉行淳之介にドハマリしていたらしい。
 トーマス・フラーの言葉は名言集の本にあったものを引用したはずで、トーマス・フラーが何者かも知らなかったはずだ。
 今回、改めて調べると、「イギリスの教会人で歴史家」だったとのこと。
 ネットの検索で「恋愛名言集」のページも引っかかった。
 読んでみると、普通に面白い。

・失敗ばかり気にする人は、失敗しか求めることができない。
 
・結婚生活に幸福を期待しすぎて、失望しないように気をつけなさい。ウグイスは春に2、3ヶ月だけは鳴くが、卵をかえしてしまうと、あとはずっと鳴かないものだ。
 
・愛とかゆみと咳だけは、どんなことをしたって、隠し通すことのできないものである。
 
・他人を許すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなものである。人は誰でも許されなければならないからだ。

 三つ目の「愛とかゆみと咳」は隠し通せない、というのはユーモアもあって良い。ちょっと愛を過大評価しているような気もするけど、考えてみると愛は世界で唯一過大評価しても耐えうる信仰だと思っている。

 多分、僕が心から信頼し、自分の全部を預ける信仰があるとすれば愛だ。
 同時に愛を言い訳にして好き放題にして理性的であろうとしない人を僕は軽蔑してしまうことがあるから、愛がどう扱われるかが重要でもあったりするっぽい。
 その辺は今後、僕が向き合うべき問題なんだと思う。

 さて、「結婚とはなんぞや」だ。
 なんだろう? 三十一歳の僕個人の認識からすると、「結婚」とは「恋愛の後に来るもの」になっている。
 もちろん、恋愛なしの結婚もあると思う。
 それはどういうものだろう、ということも含めて、ここ最近、僕は恋愛について考えている。

チェリまほ(30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい)」なんかを見ていると、正当なラブコメをする為には同性同士の恋愛にする方が良いっぽいのが分かる。
 相手を好きになって、アタックする場合、男性が女性にアプローチをすると、ハラスメント的なニュアンスが混ざってしまうけど、男性が男性へのアプローチなら大丈夫! みたいな空気が、チェリまほにはある。

 恋愛を物語で描くことが日に日に難しくなっていることを感じつつ、けれど、僕自身が何か物語を書こうとする時、恋愛的な要素はどうしても入ってしまう(その根底には「愛」があるんだと思う)。
 ということで、noteで書くのかは分からないけれど、今後は恋愛や愛について考えるような内容を書ければ良いなと思っている。

 具体的に言うと、もうやっていないけど、数ヵ月前までやっていたマッチングアプリの話とかを。
 ネタ切れ感あるけど、小説を書いていると、他作品の感想や批評っぽい内容が浮かばなくなっていくので、ご容赦いただければ幸いです。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。