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どこにもたどり着かない泣き言。

 エッセイを書いていると小説が書けない。そう思っていた時期があったし、今もちょっと思っている。
 であるなら、エッセイを書くことをやめれば小説を書けるようになるんだと思った。けれど、未だに僕が望む量の小説を書ける日々を過ごせずにいる。
 僕は小説を書くことをしんどい、辛いことだと感じているらしい。

 いつからそう感じるようになったのだろうか?
 僕が初めて小説のようなものを書いたのは十七歳の時だった。村上春樹の「ノルウェイの森」を読んで結末に納得ができず、僕が納得のできる結末を書いてみたいと思った。この小説は結局、結末まで書けなかった。以降、僕は小説を書こうと試行錯誤している。

 高校を卒業してノベルス学科のある専門学校へ通った。小説を学べるという広告を見たからだった。そこで小説家の先生に出会い、同じように小説家を志す友達ができた。
 もう十年以上前のことだ。
 この時期も小説がスラスラ書けるなんてことはなく、むしろクオリティの低い内容に頭を抱えていた。専門学校卒業間際に、とある先輩に出会った。彼は十代で純文学の賞の最終選考に残り、その後、二十代半ばである文学賞の佳作に選ばれた人だった。
 先輩は読書量至上主義者で読んでいなければ小説は書けないと言う人だった。僕は先輩の影響であらゆる本を読んだ。それ以前は気になった本を読む程度で読書量を増やそうと意識したことはなかった。

 二年か三年、ひたすら読む日々を過ごした。その間、フリーターの真似事をして、気づけば就職して働きはじめた。仕事が忙しくなると本が読めなくなる。誰もが通る壁にぶつかり、僕は本から遠ざかった。そして、二年で仕事をやめた。
 失業保険での生活が始まった時、一日すべての力を小説に注ぎ込めるし、本も読めると思った。実際、小説はめちゃくちゃ書いた。半年弱で長編小説を三つと中編を一つ完成させた。
 人生の中で考えた時、もっとも小説が書けたのがこの時だった。
 けれど、この時期が楽しいものだったかと言えば、そうではなかった。昼夜逆転していたし、金もないから友達とも遊べないし、食事もまともなものは口にしていなかった。

 小説は書けるが、他の小説は読めない。失業保険をもらっていた頃は一冊の本だって精読できなかった。当時もまた今から振り返って、辛い日々だった。
 失業保険の支給が終わる時、こんな生活をしていてはいけないと思った。
 ちゃんと働いて人と関わって、本も読んで、小説も書く。普通の人との生活の横に小説を書く行為を置きたい。でなければ、僕はいびつな人間として世間で生きていくことになってしまう。

「僕は僕がどうなっても良い」「すごい小説を書ければそれで良い」と言える人間ではなかった。僕は僕としての人生を豊かなものにしながら、その横で小説を書いていきたいし、何ならエッセイも書きたい。
 本も読みたい。自分の本棚とKindleのライブラリを見ると、たまに絶望する。読書のスピードが決して早くない僕がここにある本を死ぬまで全て読めるのだろうか、と。
 身も蓋もない結論になってしまうが、バランスの良い人生を送りたい。三十三歳の僕はそのために工夫した日々を過ごしたいと考えている。

 ただ、僕はエッセイでも何でも口を開けば、そんなことをばかり言っていて、けれど大きく改善されずに今に至っている。おそらく、来年も僕はもっと生産性のあるバランスの良い生活をしたいとか言っていると思う。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。