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BLを「奇跡」の物語として語る「心中するまで、待っててね。」について。

男は男しか好きにならないようにしようと思う

 SFマガジン2022年4月号に掲載されている一穂ミチの短編「BL」は、そんな一文で始まりました。
 今回の特集が「BLとSF」とは言え、何とも直球なタイトルです。

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 話としては、とんでもなく頭の良い科学者である主人公が好きな女の子がBLが好きだと言うので、「好きなものに囲まれるのは楽しいだろ」と花束でもプレゼントするくらい気軽に、「男は男しか好きにならない」世界にしてしまった、というもの。

 一穂ミチの作品は今まで読んだことはありませんでした。ただ「スモールワールド」という連作短編が、各所で絶賛され、あらゆる文学賞の候補に上がっているのは知っていました。
 実際、今回の「BL」を読むと、なるほど上手い作家だと納得した次第です。

 なにより感心したのは「男は男しか好きにならない」世界にしたことによる切なさをちゃんと描いていた点。
 小説内のエピソードとテーマの噛み合いが非常に心地いいんです。
BL」はとても短くすぐ読めてしまうですけど、濃密で驚きを持って読み進められる良い作品だったと思います。

 個人的に作品のラストで「男は男しか好きにならない」世界を最も望みながら、願った相手は好きになってくれないと分かりながらの告白の台詞は切なく、ある種の清々しさもあって素晴しかったです。
 SFマガジンがいつまで売っているか分かりませんが、本屋で見かけたら読んでみても損はないと思います。

 と、今回は一穂ミチに関して書きたい訳ではなく、少し前に勧められて読んだ市梨きみの「心中するまで、待っててね。」についてなんです。
 けど、本題に入る前に僕がBLに惹かれた理由について改めて書かせてください。

 きっかけは「BANANA FISH」のアニメでした。
 その中で、アッシュ・リンクスを襲う様々な不幸に、どうしてこんなに辛い目に遭わねばならないんだ? と疑問になったんです。
 原作者の吉田秋生は鬼なのかな? と思って色々調べたりしました。

 いつだったかに買った「21世紀文学の創造⑦ 男女という制度」という本の中に、「ポスト「少女小説」の現在 女の子は男の子に何を求めているのか」という横川寿美子の論考がありました。
 その中に以下のような文章があります。
 少々長いですが、引用させてください。

「ボーイズラブ」系の話が女の子に好まれるのは〈同性愛志向を持った美貌の男の子は、物語の主人公として、場合によっては女の子以上に、女の子の抱えている「居場所のない思い」とそこからの救済の方向性を、鮮明に表現できるから〉ということになるかと思う。
 ここで言う、女の子の抱えている「居場所のない思い」とは個々人が抱える個別の問題ではなく、日本で暮らす多くの女性たちが、たまたま女によって生まれたことよって被るさまざまな疎外のことである。特に一〇代の切実な思いとしては、常に周囲から性的存在として客観視されながら、自らが性的主体として行動することは禁じられるという、性の二重基準に身をさらされている割り切れなさがある。その点、美貌の男の子は、一方では女の子と同じように周囲から性的視線を浴びながらも、一方では自らも欲情する主体であることを許される存在である。同時に男の子の身体というものは、女の子が抱える「居場所のない思い」を注ぎ込む器としての容量がとても大きい。

 つまり、「たまたま女によって生まれたことよって被るさまざまな疎外」をBLの主人公は「場合によっては女の子以上に、」抱え込まされた存在となります。
 BANANA FISHのアッシュ・リンクスはまさに、女の子が受ける「さまざまな疎外」をとことん引き受けていったキャラクターだったんだと思うと、僕の中ですとんと納得できました(もちろん、全てのBLがそのようなテーマを内包していると思っている訳ではありません)。

 これは言い換えれば、BLは女の子が受ける「さまざまな疎外」を読むことができる、ということなんだと変な理解を得た一面もありました。
 そういう意味で「窮鼠はチーズの夢を見る(と、俎上の鯉は二度跳ねる)」は、大好きな漫画ですが、BLというよりは同性が繰り広げる恋愛漫画だった、と考える方がしっくりくるんです。

 で、ようやく市梨きみの「心中するまで、待っててね。」です。

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 タイトルから分かる通り、少々不穏な空気感が漂っていますが、こちらも「女の子の抱えている「居場所のない思い」とそこからの救済の方向性」を探ろとした作品だったように思います。
 BLより少し話を広げてフィクション、物語の役割は、現実では起こり得ない救いや奇跡を示すことができる、という点だと言うことができます。
 読む人を救う為なら死者を生き返らせ、過去へも行き、災害を食い止めたり、物語は当たり前みたいにしてみせます。

 舞城王太郎が2004年に出版した「好き好き大好き超愛してる。」に以下のような一文があります。

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 人はいろんな理由で物語を書く。いろいろなことがあって、いろいろなことを祈る。そして時に小説という形で祈る。この祈りこそが奇跡を起こし、過去について希望を煌めかせる。ひょっとしたら、その願いを実現させることだってできる。物語や小説の中でなら。

 まさに、市梨きみの「心中するまで、待っててね。」は一つの祈りとして読むことが可能です。
 ただ、それがどのような祈りなのか、ということを説明してしまうと、この漫画の良い面が削ぎ落されてしまうような気がしてしまって、正直躊躇があります。

 あと、SFマガジン2022年4月号に瀬戸夏子が「世界の合言葉は《JUNE》――中島梓「小説道場」論」という論考が以下のように始まるんです。

 ひとつでも不用意に言葉を間違えれば苛烈な(しかし真摯な)炎上が起こる場所、現在でもボーイズラブ(=BL)は戦場である。かつてそれは、少年愛、耽美、やおい、JUNEとも呼ばれ、しかもこれらの言葉もまた現在でもはっきりとした明確な定義はない、というよりもできなかった。揺れうごいたまま使用されつづけ、定義しようとすればそのたびに真摯な炎上が起きるからである。

 僕はBLを最近読み始めた初心者なので、何か不用意な発言がないかとも少し心配になる部分でもあります(あれば教えてください)。

 とはいえ、「ボーイズラブ(=BL)は戦場」なのですから、ただ逃げ回るのもみっともないので、たよりないまな板でも、僕なりに料理をしてみたいと思います。

 まず、あらすじです。
 ちなみに「心中するまで、待っててね。」は上下巻に分けられています。このあらすじは上巻のものです。


 お人よしで皆に愛される福太(ふくた)は、
 子供の頃の記憶が一部欠けている。
 それは憧れていた葵(あおい)兄ちゃんの記憶。
 得体の知れない喪失感を抱えた福太の前に、
 葵兄ちゃんが昔と変わらない姿のまま現れて――!?

 ふむ。
 少々詳し目に書かせていただきます。

 冒頭は小学生の福太はふくよかな体型から「ブー太」なとどイジメられて、手袋を取られて泣かされているシーンから始まります。そんな福太に隣の家で仲の良い葵が「一緒に取り返してやるから! なっ? 嫌なことは 一人で立ち向かっちゃだめなんだ」と慰めます。
 そんなイジメられていた福太は身長も伸びてイケメンになって、地元の福井から上京し、現在はボロアパートで生活しています。
 福太はレストランで働いていて、葵の記憶を欠落させているのですが、葵が眼鏡をかけていたことから、職場や街中で眼鏡をかけた人を見かけると観察し、時に「待って…!」と手を取ってしまいます。

 なかなか、精神的にヤバい状態です。
 そんな福太が家に帰ると、葵が扉の前に記憶通りの姿で立っています。
 葵は「なぜか若返った」のだと言い、「しばらく匿え」と続けます。

 ここまでが一話のあらすじです。
 二話から葵のキャラクターの掘り下げと、二人の同居生活が始まっていきます。この同居の中で、福太と葵は同じ布団で寝ることになるため、福太が葵に対して徐々に発情していく、というか意識して行くのが、BL的なエロい部分です。
 そのエロい感じの中で葵が何かを隠していたり、小さな拒否が所々で描かれます。それでも、二人はちゃんと惹かれ合っていき、体を重ねたりもします。
 そして、上巻のラストで一つ大きな事実が明かされます。

 この事実によって、なるほど葵は記憶通りの姿でいて、小さな拒否を重ねていたのかと分かります。
 物語に慣れ親しんでいる人からすれば、僕がこう書くことでだいたい、どういう状況かは想像することができると思います。

 そのような大きな事実が明かされてから、下巻です。
 あらすじにもありますが、福太は「記憶が一部欠けて」います。それが何故か、ということが徐々に明かされていくと同時に、葵側の事情も描かれて行きます。
 福太から見れば手袋を「一緒に取り返してやるから!」と言ってくれていた、頼りがいのある「葵兄ちゃん」が抱え込んでいた事情は、上巻を細かく読むと一コマの端々で違和感となっていた部分を全て繋げていくような内容でした。

 まさに一話の冒頭で葵自身が「嫌なことは 一人で立ち向かっちゃだめなんだ」と言っていますが、それは葵自身が誰かに言って欲しかった台詞だったんだ、と下巻を読むと分かります。

 そして、そんな葵を現在から福太が「(舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」的に言えば)奇跡を起こし」「その願いを実現させ」ようとするのが、「心中するまで、待っててね。」という物語だったと言えます。

 僕はこの福太が現在から過去の大切なものを撮り返そうとするシーンで大号泣しながら読みました。
 ラストまで来ると、葵が抱え込んでいたものはまさに横川寿美子が書く「たまたま女によって生まれたことよって被るさまざまな疎外」に起因しています。
 葵は男の子で現実に、男の子もそういう対象にされることはあるでしょうけど、「心中するまで、待っててね。」で描かれる一つの犯罪行為に巻き込まれやすいのは、女の子の方が多いでしょう。

 つまり、福太が現在から葵を救おうとする行動は「たまたま女によって生まれたことよって被るさまざまな疎外」に対し、怒り救おうとしていたんです。
 これは物語で、BLだからこそ描けたことだと考えると、「心中するまで、待っててね。」は本当に素晴らしい作品であり、名作と言っても良いのではないでしょうか。

 少なくとも僕は名作だったと語っていきたい所存です。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。