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【小説】西日の中でワルツを踊れ⑧ 同じ道を進んでいた人が突然、いなくなった悲しみ。

前回

あらすじ。
記憶を失って入院している西野ナツキ。川田元幸という男を探す紗雪。ナツキの同室の空野有の同級生、田宮かの子が記憶喪失以前のナツキを知っていると言った。

「いやぁ、かの子ちゃん。良いと思うよ。将来、それなりの美人に育つよ、大丈夫大丈夫。今から唾つけといて問題ないって」
 と山本義男はかの子が帰った後の病室で言った。
 全国規模の指定暴力団の、下部組織の組長の娘だと知っても山本は普段と変わらぬ軽い口調だった。
 有は困った表情で首を振った。

「もしかして、有くん。かの子ちゃんに何かされた?」
 ぼくが尋ねると、有が青くなっていくのが分かった。
 そんな有を見て山本も只事ではないと思ったのか、座っていたパイプ椅子から身を乗り出す。

「有?」
 有は僅かな躊躇を見せた後に口を開いた。
「あの子に公園の隅に連れて行かれて、スカートをめくらされたんだ」
「おぉ」
 山本がよく分からない感嘆の声をあげる。

「それで、パンツを脱がれて、触ってって言われて……。嫌やったんやけど、恋人になるんやからって無理矢理、股のしわの部分に僕の手を持っていって……」
 有は目を瞑って、何かを吐き出すように続ける。
「僕の耳元でいいわよいいわよ、言うて。何ていうんやろ、よぉ分からないけれど、本当にばかなことをしているような気がして」
 有は以前関西に住んでいた為、感情が高ぶると時折関西弁が混ざった。
 山本が立ち上がって有の頭を撫でる。

「忘れて良いよ。今は綺麗に忘れなさい」
 有は俯いたまま、山本のお腹の部分に顔を埋めて小さく頷いた。
「わからへん、わからへんけど、なんか、してはいけへんこと、した気がして……」
 確かに同級生の女の子に突然スカートをめくられ、パンツを脱がれて、触れたことがないような場所に手をあてがわれれば戸惑うし、こわいと感じても仕方がなかった。

 有は山本の勧めでベッドにもぐると、人口呼吸器をつけた。
 山本が機器のスイッチを入れて、有に向かって笑った。
 有が頭を僅かに上下させて目を瞑った。

 空野有は病気の関係で眠ると呼吸が止まってしまう、らしい。
 その為に昼寝をする際も人工呼吸器が必要だった。人工呼吸器の低い控えめな稼働音が病室を満たしたのを確認してから、ぼくは電気を消した。
 山本が窓際の自分のベッドの枕元にあるスタンドを点けた。パイプ椅子をベッドの横に置いた。

「それで、ナツキくんの方はどうだい?」
 言いながら、山本はベッドの下からウィスキーの瓶を取り出し、備え付けの冷蔵庫の上に置いていた二つのグラスに注いだ。
 黄金色のウィスキーが入ったグラスを山本はぼくの方へ差し出した。
 礼を言いながらグラスを受け取り、パイプ椅子に座った。
 ベッドの上に胡坐をかいた山本がグラスをぼくの方へ傾けたので、それに応えた。
 ウィスキーを舌に馴染ませるように飲んだ。
 舌の上でアルコールが痺れるように残るのを少し心地良く感じながら、ぼくは今日あったことについて語った。

 昼に出会った久我朱美のこと、二週間前から行方不明になった川島疾風のこと。
 紗雪の力については語らなかった。あくまで朱美が疾風を探している、そういう風に話した。
「ふむ。で、その朱美ちゃんは美人だった?」
「え? んー、うん。スタイルの良い美人だったよ」
「はぁー。で、親友の男? それ、完璧にヤッてるやつだよなぁ。良いなぁ、親友で、ベッドの中もか。写真、撮らせてくれないかなぁ」

 山本は常にパジャマの胸ポケットにエロ本の切り抜きをストックするほどのオープンスケベだった。
 暇さえあれば病院内の看護婦や見舞客の可愛い子を見つけては写真を撮らせてくれ、と頼みに行っているのをこの二週間何度も見かけた。

「ホント、山本さん。そーいうの好きですよね」
「嫌いな人がいるのかい?」
 グラスに口をつけてから言う。
「有くんとか?」
「あの子は単純に幼いんだよ。十歳で望んでいないのに、性的なものを見せつけられるのは一種の暴力だ。こわくて当然。かの子ちゃんは焦りすぎたね」
「どうして、かの子ちゃんは、あんなに有くんにアプローチするんでしょうね?」

 有が提出した読書感想文の出来が良くて教師に褒められたからと言って、あれほど熱心になるものだろうか。
「さぁね」
 と山本は飄々と言う。「ただ、あぁ言う子ほど教室には居場所がないもんだよ。同じ立場の人間がほしかったんじゃないか?」
「なるほど」
 と、ぼくは頷いた。
 山本はぼくの背後にある窓の方を見ながら続けた。
「友達の『友』ってのは古語辞典では伴、供って言う意味でね。同じ道を進む人のことを言うんだそうだ」

「同じ道を進む人?」
「そう。だから、かの子ちゃんは有くんと仲良くなろうと思うのなら、もっと違うアプローチをすべきだったね。そして、その朱美ちゃんが親友の疾風くんを探している、というのは自然なことだろうね。同じ道を進んでいた人が突然、いなくなった訳だから」
 ぼくはとくに考えることなく、口を開いた。
「その考えで行くと恋人、夫婦もまた友達ってことになりますね」
「そうだね。私の一番の友は妻だろうね」
「へ? 山本さん、奥さんいるんですか?」
「いるよ? 時々、着がえを持って来てくれてるじゃないか?」
 何でもないことのないように言って、山本はグラスをあおる。

「じゃあ、どうしてエロ本の切り抜きを持ち歩いて、女の子の写真を集めるんですか?」
「妻がいる、いないはそこに関係はないよ。私は、そーいうものが好きなんだよ」
「エロが?」
「最高だろ?」
 性欲がない訳ではないけれど、そこまで表立って好きだと言うことはできなかった。
「まぁエロって言うか、私が好きなのは女なんだが、それは置いておいてナツキくん。かの子ちゃんに詰め寄っていたじゃないか? 何か、君の過去と繋がりがあったのかい?」

 分かっていて、とぼけたような物言いに、ぼくは僅かな苛立ちを覚えた。
 そんな表情に気付いてか、山本はぼくの手元にあった半分ほどしか減っていないグラスにウィスキーを注いだ。

つづく


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