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ジョージ・フロイドさんの事件を機に考える、人種問題に対して私たちができること


「アメリカで黒人が、白人の警官に殺された。無抵抗の黒人の首を膝で押さえつけている警官の動画がシェアされている」

ミネアポリスの警官にジョージ・フロイドさんが窒息死させられた事件について、先に知った夫から聞く。

「まさか、殺しただなんて。何かの間違いでしょう?」

と言いながら、ソーシャルメディアで拡散されていた例の映像を見る。

「息ができない」と苦しむジョージさん。「やめてくれ」と懇願する周囲の人々。権力者特有の灰色の正義を顔に貼り付け、非人道的な行為をやめない警官。動かなくなるジョージさん。涙なしには見られず大きなショックを受ける。

こんなに酷いことが2020年にもなって未だに行われているという現実と、アメリカの長い歴史の中で何度も繰り返されてきた事実の拡散は、ここ一週間で人々の意識を大きく変えている。

かつて革命はテレビに映らなかった

ジョージ・フロイドさんの事件は、瞬く間に世界中へ拡散された。黒人女性の友人は「これ以上、動画を拡散しないで。同胞が殺される動画を何度も目にするのは、私たちにとってトラウマになる」とインスタにポストしていた。

多くの人がテレビではなくインターネットで事件のあらましを知っただろう。人々はソーシャルメディアを経由して関連ニュースを読み、ジャーナリストや知識人が発信する意見に触れて感化される。心の内から湧いてくる怒りや悲しみの感情に従って、自らの意見も言葉にして発信する。

自分の中にある意思を確認すると、それを表明せずにはいられない。人間が悲しみや怒りを持つことは正しい反応だ。瞬時に言葉にするのが苦手な者は、同じ気持ちを抱いている他人が上手に紡いでくれた言葉を借りる。言葉はどんどん拡散され、さらに大勢の気持ちを動かしていく。

ポスト、リツイート、リポスト、ライク、スタンプ。

こんなことをして何か世界を変えた気にでもなるのか、と言う人もいるかも知れない。こんな事しかできないことが悔しいと思うかも知れない。それでも、今この瞬間に何もせずにはいられない。

スクリーン越しに指先で強い思いをフリックし、拡散し合う。その数はどんどん増えていく。世界を変えたいという意思たちは増殖し、もう止められない。

The Revolution Will Not Be Televised. とギル・スコット・ヘロンが言葉を紡いだように、かつて革命はテレビに映らなかった。今は個々が携帯する小さなデバイスとPCに、革命は確かに映っている。


ジョージ・フロイドさんが亡くなった翌々日の5月27日、カナダのトロントでも事件が起こった。

まだ捜査は進行中で明らかにされていないが、29歳の黒人女性のコルチンスキー・パケさんが24階のバルコニーから転落死した。警察官が突き落としたとコルチンスキーさんの母親が主張している。

カナダは「ダイバーシティ」「多文化主義」「移民に寛容な国」など、まるでユートピアのようなイメージで固められている。しかしながら、先住民族の女性が行方不明になる事件も後をたたない。

アメリカと最も長い国境を持つカナダ。銃が規制され、医療制度も整っているカナダ。

お隣のアメリカと比べて良い面ばかりを称賛する声も多いが、アメリカと同様に先住民から奪った土地で人々は暮らしている。


社会で生きる一員として、私たちにできることを考える

夕暮れ時に、夫とバンクーバーの水辺を散歩する。この日、私たちは歩きながら感情的に議論をする。企業が今回の事件に関連する投稿やコメントを発信し始めていること、自分が所属する組織がまだアクションを起こしていない場合、リーダーにキャンペーンの発足を勧めてみるかどうか?みたいな話の流れだった。

「じゃあ、もしも自分が少しだけ知名度のある企業のCEOだとする。会社としてコメントを出す? 出さない?」

「個人としては意見を表明するけど、企業として出すには、従業員やフォロワーなど多くの人を巻き込むことになるから慎重になるんじゃないかな。よく理解していないのに、意見をするべきではない気もする」

「巨大なナイキやアディダスのような企業が出しているのは?」(※アディダスが競合のナイキの人種差別抗議ポストをリツートしたことが話題となった)

「それは、黒人文化からの恩恵や繋がりが大きい企業だから、アクションを起こして当然なんだと思う」

「黒人文化からの恩恵を抜きにしても、少しでも影響力がある企業ならば、アクションを起こすべきだと思う。意見の表明をすることで、従業員やフォロワーに気づきを与えることができるのならば、出すべきだと思う」

「企業のイメージアップにも繋がるだろうね。今回ばかりは逆に沈黙していると、この企業は大丈夫か?ってなるかも知れない」

「単なるイメージアップに過ぎないことは、分かる人にはバレるけれど、それでも世の中を良い方向に導くための社会に貢献ができるのなら正しい行いだと思う。シンプルに考えてみるのが一番良くない?」

「そうなのかも知れない」

「企業がお金儲けだけを考える時代は終わったよ。いかに社会貢献をするのかが重要だし、企業はより良い世の中を作る要素の一部として機能するべきじゃないかな」

「自分は、自分株式会社のCEOであるとして、個人で何をするかどうかって話になるね」

「黒人文化から産まれた音楽に、人生において多大な影響を受けている私たちは、何もしないわけにはいかない。今まで過去の自分がこの問題に対して、何もしてこなかっただけにね」


10代の頃にヒップホップやR&Bを好きになり、黒人に憧れてファッションを真似していた私は、20年経った今でもずっと黒人文化から産まれた音楽を聴き続けている。

ジャズ、ブルース、ロックンロール、ファンク、ソウル、R&B、ディスコ、ハウス、テクノ。

私のレコード棚からSpotifyのプレイリストまでが、黒人文化から産まれた音楽で埋め尽くされ、もうすっかりDNAに染み付いている。だからアクションを起こすのは当たり前のことで、今からでも決して遅くない。

バンクーバーでの抗議デモに参加する

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ニュースやソーシャルメディアはアメリカで過激な暴動に発展しているプロテスト(抗議デモ)を報じている。報道によって抗議デモのイメージが悪い形で伝わっているけれど、プロテスト=暴動を起こすことではない。

プロテスト(抗議デモ)は、一般人の私たちが「これはおかしい」と思うことに対して、純粋に異議の申し立てをすることだ。

今までも日本で「原発の再稼働反対」「集団的自衛権行使の反対」「憲法第九条改正の反対」などのデモに何度か参加してきた。私にとってデモは特別なことでも何でもなく、友だちを誘って仕事や学校帰りにカジュアルに行くものだ。

メディアで取り上げられているデモは目を覆いたくなる有様だが、今回の事件に関連する多くの抗議デモは暴動が起こっていない「平和なデモ」が大半だ。

私が住んでいるバンクーバーのデモもそうだった。

ここバンクーバーでは、コロナウィルスの感染者数の増加はおさまりつつある。ロックダウンは徐々に解除され、週末はショッピングモールや小売店に日用品を買いに出かけた。約2ヶ月半ぶりのショッピングに心が踊り、少しずつ街の活気が戻ってきている様子が嬉しかった。

飲食店もイートインができる場所が増えていて、私たちは「久々に外でラーメンを食べよう」ということになった。鮮度が命のラーメンだけはUber Eatsしたくない。のびたラーメンなんて食べられたものか。

近所のラーメン店へ出かける準備をしているときに、バンクーバーでも抗議デモが行われていることを、夫が同僚のインスタグラム経由で知る。場所はバンクーバー美術館前で、家から歩いて行ける。「ラーメン食べるついでに、デモに行こう」ということで、プラカードを印刷し手元にあったダンボールに貼り付けた。

バンクーバー美術館の方向に向かう。背筋を伸ばし、早足で歩き、目には炎が宿る。すれ違う人たちの中で、デモ帰りの人はなぜかひと目で分かる。みんな背筋を伸ばし、早足で歩き、目には炎が宿っている。

写真で見た60年代のブラックパンサー党のように。

デモの会場に着くと、プロテスターたちが順番にスピーチをしている。遠くからそれを見守る。スピーチが終わると歓声が起こる。

「Black Lives Matter!」
「No Justice, No Peace!」

私たちも印刷したプラカードを手に持って掲げる。デモに来たからと言って、無理に声を出さなくたっていい。その場にいるだけでもいい。叫びたくなったら、自分のタイミングで叫べばいい。

プロテスターの1人は、マスクを着用していないプロテスターに「マスクはいかがですか?」と配って歩いている。ソーシャルディスタンスにも人々は気を配っている。人が集まることが前提のデモなので決して完璧ではないが、お互いが自然と物理的距離を取ることがこの二ヶ月半でおのずと習慣化していた。前方の方に行くとさすがに密集しているので、後方で見守った。

マスクの下からマントラのように「Black Lives Matter」を唱える。ゆっくりと右手の拳を突き上げる。足元がスコーンと抜けて大きな既視感に包まれて涙が滲んでくる。私が10代の頃に出会った音楽と、全てがつながった。部屋のスピーカーで、クラブのダンスフロアで、屋外の巨大なサウンドシステムで、今までずっと聴いてきたあらゆる音楽が産まれた理由。頭の中で理解していたつもりだったけど、ようやく心と体で本当の意味に触れたような気がした。

ブラックアウト・チューズデーの意味

6月2日(火)の今日は、ブラックアウト・チューズデー(Blackout Tuesday)運動の日だった。これは、アメリカの音楽業界から発生した運動で「通常業務から離れて、自分たちのコミュニティをより良くするたことに専念する日。変革のために行動することをやめず、どうやって団結しながら前進できるかを考える日」。

実際に日々の雑務や仕事から離れ、自分自身を教育するためにも同ノートを書くことに時間を費やすことにした。

私たちができることは、オンライン上に溢れている。

まずは、知ること。深く掘り下げて、自分自身で学ぶこと。今回の「アメリカで無抵抗の黒人が、警官に殺された」ことがなぜ問題か。奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられた黒人の歴史。奴隷解放運動。公民権運動。法のもとでは平等と謳われつつ、現在も黒人に対する差別が続いていること。

レイシズムという言葉は「人種差別」ではなく「人種主義」という意味で、生まれ持った人種に特権が与えられている場合があること。ある人種が別の人種よりも優れているという思想を潜在的に持っていること。日本人もいつの間にか「自分たちが優れている」という思想を持ってしまっている危険性。周りを見渡して、その逆の立場である抑圧、差別を受けている人々の存在を知り、耳を傾けて支援すること。

まだまだ無知で勉強不足な私は、何が正しくて何が間違っているのか判断できかねることが多い。カナダに住み始めてから多人種と暮らす中で「この発言って私、レイシストだったかな?」と自分の行動を省みることもある。逆に他人からの言葉や態度を、「今のはレイシズムだろ」と傷ついたりモヤッとする経験は数え切れない。

今日一日いっぱい考えるだけでは、決して足りない。ブラックアウト・チューズデーは、今日限りで終わってはいけない。これから続く毎日で、ずっと頭の中で問い続けながら日常を送り、正しい判断を下して行動していかなければならない。判断を間違ってしまうこともあるけれど、その都度反省して自己教育し、行動を正していくのだ。

意思を持った行動を繰り返して個々が変わり、世の中が変革することを信じている。


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「いま私たちにできることって何だろう?」とブラックアウト・チューズデーの1日を使って考えていました。

日本から、カナダからできることの1つとしてドネーションが挙げられます。自分にできることの1つとして、寄付を受け付けている関連機関を日本語でまとめました。

ジョージ・フロイドさんの家族を支援するための基金をはじめ、過激なプロテストによって街が破壊されているミネソタ州の地域を助けるための団体、人種問題、人権問題、警察の暴力問題に取り組む団体など、ドネーションを受け付けている機関を以下のノートにまとめました。随時調べて追加していきます。

「BLACK LIVES MATTER」を支援するための寄付先まとめ



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