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生きる力

 家のボイラーから水がもれまして、今日は日曜日なので、ボイラー屋さんも休みなので、今日は水が出ません。
 晩御飯は久しぶりにコンビニ弁当を食べました。ちょっとしょっぱかったけど、美味しかったです。

 父に分けてもらったサラダを座布団に落としたり、トイレに設置したバケツに穴が空いていて床が水浸しになったり、二次災害も起こっています。
 
 それでも、外の畑用の蛇口からは水が出るので、なんとかなりそうです。

 このように、「なんとかなりそう」と、思えるのは、東日本大震災の時、一ヶ月位ガスが使えなかった時の経験があるからだと思います。あのときも、お風呂のお湯やガスコンロが使えなかったのですが、カセットコンロなどでお湯を沸かしてなんとかなりました。

 経験が役に経つということを実感した出来事が、もう一つあります。それは、「教室閉じ込められ事件」です。
 高校生の頃、私は書道部で、放課後遅くまで一人で、作品を書いていました。教室の奥にある準備室で書いていたので、守衛さんが気づかず、教室の鍵を締めてしまったのです。ガチャガチャという音がしたので、変だなと思ってドアの所に行って見たのですが、時すでに遅し。ドアは開かず、守衛さんは行ってしまいました。私は、教室に一人閉じ込められ、帰れなくなってしまいました。しかし、私は焦りませんでした。すぐにロッカーによじ登り、欄間から廊下に出て、守衛さんに鍵を開けてもらいました。

 私はこの事件のことを、先日親に聞くまで、すっかり忘れていました。そして、こう思ったのです。これって、この時の経験が生きてるんじゃね?!と。

 こちらの冒頭部分には、鍵っ子だった私が、鍵を家に忘れた時の対処法が書かれています。以下に、それを引用します。

たいていは窓の鍵が空いていたので、窓から入っていました。けれど、窓と言っても、アパートの一階で、ちょっと高い位置に窓があったので、なかなか大変でした。
窓にある柵につかまり、必死でよじ登り、ようやく乗り越えるという感じです。子どもだったから良かったものの、今考えたら完全に不信者です。

 この時の、壁をよじ登る感覚。それが体に残っていて、ロッカーを見たとき、「いける」そう思ったのではないでしょうか。

 人は生きていれば、なにかしら毎日起こるので、その度にちよっとずつ、生きる力を身につけていくのだなと思います。

 でも生きる力が付きすぎて、壁をよじ登るドロボーにだけはならないように、気をつけたいと思います。