紙の学校


 僕は布団の中で、目を開けていた。

 学校のチャイムが聞こえた気がした。

 扉が開き、父さんが入って来た。
「転校するか?」
 そのことばに、思わず僕は振り返った。
「良い学校みつけたんだ」
 父さんの手には、きれいな封筒があった。

 封筒の中に入っている冊子はオレンジで、透明な封筒から透けて見える。
 クリオネみたいだ。


「校則は、工作」


 表紙には、そう書かれていた。そして、ページをめくった。

「紙でなんでも作れます」

 絶対的な紙への自信。
 なんだか楽しそう。
「ここに行きたい」と僕は言った。


 校門に着くと、職員さんが出迎えてくれた。

「この学校は、五角形になっています、中庭には紙庫があって、どの教室からでも入れます」
 円柱の建物の中には、無数の引き出しがあり、中に様々な紙が入っていた。
「ここにある紙は、いつでも、好きな時に使ってください。こちらが、時間割です。月曜日1時間目図工、2時間目図工、3時間目図工、4時間目国語、5時間目図工。火曜日1時間目図工、2時間目算数、3時間目図工……


 ほぼ図工じゃないか。

 次に行ったのは寮だった。広い、体育館のような場所だった。
「お疲れでしょうから、今日はここで布団を作って、寝てください」
「布団を作る?」
「自分で好きな紙をさっそく紙庫から選んで来て作ってください」
 そう言って、職員さんは去って行った。
 

 僕は紙庫にいた。けれど、引き出しの量が多すぎる。
 壁に矢印があり「2階は特殊な紙」と書かれていた。
 2階には男の子が一人いた。
「授業中じゃないの?」と聞くと「いつでも来ていいんだ。布団作るんなら、こっちのがいいよ」と案内してくれた。

 僕はその辺の引き出しを片っ端から開けてみた。紙とは思えぬほどの柔らかさだった。僕は、何種類かの紙を選んだ。

 寮のとなりに工作室があった。
工作室の床は、半分がカッターマットになっていた。

 まずは、敷布団だ。僕は大きな二枚の紙のはじを糊で張り付けた。そして、中に柔らかい紙をくしゃくしゃにして詰めた。かけ布団はやわらかい紙を何枚か重ねて貼り合わせた。そして枕は柔らかい紙の中に、紙で作ったビーズを入れた。
 僕は早々に布団づくりが完了してしまったので、寝てみることにした。最高の寝心地だった。
 
 目を覚ますと、何人かが僕をじーっと見ていた。
「本物みたいだな、これ」      
 みんなさっそく紙庫から好きな紙を持って来て、僕の真似をして布団を作り始めた。
 
 その時だった、何か不気味な音が鳴った。「カサ、カサカサ」
「何この音?」
「これはチャイムだよ。」
 後で聞いたところによると、この音はいろんな紙をこすり合わせている音らしい。その回数やリズムで、今が何時間目か、みんなにはわかるのだ。

「四時間目は図工だから、このまま布団を作ろう」と、誰か言っていた。

 夜になると、お風呂に入った。シャワーをして、熱いお湯に入ろうと思ったら、それは紙風呂だった。細かく裂いた紙が湯船に大量に入っている。そこに入ると、なぜかあったかかった。

 夜はもちろん、さっき作った布団で眠った。場所争いはなかった。
「明日からは、君も授業だね」ととなりの子に言われた。


 次の日は、金曜日だった。今日は、全て図工である。
「今日はみんな、好きなのりものを作ってみよう」
 みんな、紙庫に駆けて行った。

 僕はまだ、工作室で何を作るか考えていた。先生が近寄ってきた。
「紙でなんでも作れる。それがモットーだよ」

  自転車だ。そう思った瞬間、僕の頭の中では、設計図が作られていた。
 僕はそのまま紙庫へ走っていった。

 五時間目の終わりごろ、完成した。
 先生がみんなの作品を見ていった。 
 一人目は、そりを作っていた。まだ5月なので、冬になるまで乗れないと嘆いていた。
 二人目は、昨日の続きで、自分の布団を作っていた。全然のりものじゃない。けど先生は、「いいじゃない」と言っていた。
 僕の番が回ってきた。
 僕は紙でできた自転車に乗って足で地面をキックした。タイヤが回転して前に進んだ。

「すごー」と、周りで声がした。
「いいじゃない」と、先生は誉めてくれた。

 そんな風に、僕は色々なものを作って過ごした。家庭科の授業では、紙の料理を作った。巨大冷蔵庫の引き出しには、あらゆる味の食べられる紙が入っていた。それを、キッチンバサミで切り、食べられる糊で貼って、料理を作るのだ。僕は、紙を丸めてハンバーグを作った。けれど、ニラの味がする紙を混ぜ込んでしまったせいで、味は餃子だった。

 6月になった。僕は昼休み校庭にいた。歩いていると、何か白い綿毛のようなものがあった。その白いふわふわは、風に乗ってどんどん集まって来た。僕は、その元をたどって行った。

 その元は、木だった。真っすぐに立つ木々の下に、白いふわふわが、雪のように敷き詰められていた。

 その時、「カササ カサ」という音が聞こえた。
「あ、五時間目始まっちゃう!」僕は校舎に向かって走った。

 その日の夜、僕は工作室にいた。
 横では、リックが大きな紙をつなげて、そこに巨大迷路を書いていた。今作っているので、48作目らしい。
「あのさぁ、綿毛が出る木って知ってる?」
「それ、ポプラの木だよ」と、リックは早口で言った。
「ポプラ?」
「卒業生が、毎年一本づつ植えるんだ」 


  それから数日後、工作室に同級生が駆け込んできた。
「火事だ―!」
「どこが?!」
「ポプラの木のところ!」
 僕はとっさに立ち上がった。

 
「リック、ごめん」と言って、僕は、リックが貼り合わせたばかりの巨大な紙をくしゃくしゃにした。
「おい!」とリックが言った。僕はそれを持って風呂場へ行き、湯船に浸けようとして重要なことに気づいた。
「あ、紙風呂だこれ」
 僕は仕方なく、シャワーで水を出してその紙にかけた。
 
 僕はその紙を引きずりながら廊下を走った。けれど、重たくて思うように走れない。
 けれど、紙が突然軽くなった。紙庫で柔らかい紙の居場所を教えてくれた男の子が紙を一緒に持ち、走ってくれていた。


 煙がもうもうと立ち込め、焦げ臭かった。やがて、赤い炎が見えて来た。僕は男の子に目配せして、巨大紙を大きく広げ、火の上に覆い被せた。

ジュ―という音がして、火は収まった。

 僕は、草原に寝転んだ。
 大きく息をする僕の鼻の穴に、ポプラの綿毛が入って来た。寝たまま目線を上げると、そこにはポプラの木が立っていた。

 先生方が集まってきた。僕もようやく立ち上がった。
「ありがとう」
「良い紙があって良かったな」と男の子は言った。

「君の名前は?」と、僕は聞いた。
「おれは、一太だ」
「いちた?」
「今から森に行かないか?」

 もう外は薄暗くなっていた。
「無事を確認したい奴がいる」

「いいよ」
 僕たちはポプラの森に入って行った。


 ポプラの木は、ざわざわと音をたてた。
「これ卒業生が植えたんでしょ?」
「ああ、そうだ。そして、俺たちが切る」
「切るの?」
「これを原料にして、紙を作る。そしてまた俺たちが、木を植える。十年後、ここを卒業する奴らが、それを切る」
「そういうサイクルなんだ」
「だけど、一本だけ、ずっと切られてない木がある。それがこれだ」

 いつのまにか、僕の目の前に、大木が現れていた。幹がうねって、上に伸び、広がっていた。ポプラとは全然違う。
 
 僕は枝を見上げた。信じられない年月が、この木を育てていた。
「これは、第一期生の植えた木だ」 

 帰り道、僕は一太に聞いた。
「ねえ、転校した日から、見かけたことなかったんだけど、学校にいた?」
「ああ、授業ほとんどさぼってるから。寝る時も、工作室で寝てるし」
「何してるの?」
「自分の作品作ってる」

 一太が、帰ってから見せてくれたのは、紙を束ねて作った本だった。そこには、小説が書かれていた。
「おもしろいね!」
「紙の中に話が無限に広がっていくんだ。だからぜったいに飽きない」
「無限」そのことばが、僕の中に響いた。


 秋が来た。
 夜、僕は寮を出て、工作室へ向かった。一太は、一枚の分厚い紙を布団にして、カッターマットの床に直に寝そべって、本を読んでいた。
 僕は何をするでもなく、その横に座っていた。「なんか寒くなってきたよね」そう言うと、一太が「もうすぐ卒業だしな」と言った。
「え?だって、来年の春までまだ何か月もあるじゃない」
 一太が頭をあげた。
「この学校、9月入学制だぞ」
 僕は頭が真っ白になった。途中で転校してきたから、知らなかった。

 まだ数カ月、この夢のような時間が続くと思っていた。


 僕の気持ちとは裏腹に、卒業の準備は滞りなく進んだ。卒業制作もできたし、植樹もした。
 そして、卒業生が植えた木を切る時、僕は切ない気持ちになった。卒業式は、あっけなかった。そもそもみんな、個人個人で作品を作っていることが多かったのだ。


 それから、8年が過ぎた。
 僕は、工作アーティストとして仕事をしていた。
 僕は紙の学校から、特別講師を頼まれた。
 

 僕は、まっすぐあの森へ行った。あの時と変わらず、ポプラの木々は風に音をたてていた。僕たちが植えたポプラも、大きくなっていた。あと2年したら、これも切られるのだろう。

 そして、あの巨木にたどり着いた。けれど、予想と違っていた。一面が、黄色かったのである。
僕は地面に落ちている葉っぱを拾った。
「イチョウだったんだ」


 授業が始まった。僕は、事前に準備していたことを、一切白紙に戻した。

「今から、紅葉狩りに行こう」
 あのイチョウの木を知らない子も多く、木の前でみんな止まっていた。
「この葉を拾って、絵本を作ります。これが、なんの形に見える?」
「扇子」と、誰かが言った。「きつね」と言った子もいた。
 
  工作室に戻ると、僕は「自分で好きな紙をさっそく紙庫から選んで来て作ってください」と言った。


 子どもたちは、みんな、紙庫へと走っていった。