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霞食って生きてる

外国に住むには、よくわからない書類の提出が避けて通れない。

在独17年。書類を提出することに慣れた。とは言えないけれど、避けて通れないことは、よく理解している。

KSKというアーティストが入れる社会保障制度に参加するために、春ごろから書類を2度、提出した。

先日、再度KSKから文書が届いて、どうやらわたしが工芸作家ではなく画家か彫刻家であることを証明する必要があるのだという。

ミュンヘンの美術大学では絵画を専攻していたし、展覧会の際には絵画も同時に発表している。私は工芸作家ではなく、絵描きだというのは、語弊がある気もするし、妥当な気もする。
2022年、ジャンルを厳密に別けることの必要性は果たしてあるのだろうか。
創作活動において、マテリアルの自由度というのは重要な問題だ。

文句ばかり言っていても埒があかないので、友人の中で一番文章力のある天才Sに泣きついた。

彼とは、わたしがノイケルン(現在はヒップなエリアだがその当時は割とラフなエリア)
のカオスなバーで働いていた時に知り合った。

オープンからお店が閉まる朝の6時まで女子一人で全て切り盛りするというのは、今考えると異常事態だけど、そのバーでの経験で、酔っ払いと頭のおかしい人の対応はある程度心得ている気がする。
そのバーでのことは、沢山おかしな話があるんだけど、また別の機会に。

天才Sは、お役所が理解できる言語でカタカタタイピングして完璧な文章を書いてくれた。
その後お礼も込めて、二人で韓国料理を食べに行った。

ドイツは芸術に対して深い理解のある国ではあるが、制度が時代に全く追いついていない。どころか置き去りになっている。Sは現在非常勤講師として大学に勤めている。教授になるためにも試験が必要らしいが、その試験に通ってしまうと他のことで生計をたてることが許されないらしい。(教授のスポットが得られるかは保障されない)KSKもしかり、学者やアーティストは、純粋な意味においてのアートや学問の定義に当てはまらないと、制度からは認められない。経済は急速に変化して、今や一つの仕事を全うすることはほぼ不可能に近いのに。
社会は、アートや学問をどこか雲の上のワンダーランドで繰り広げられることとして捉え。私たちワンダーランドの住人は、着ぐるみを脱いだら、リアルな社会の問題に直面している生々しい存在であることを無視されている。
ワンダーランドの住人は飾りとして呼ばれることはあっても、ワンダーランドの住人で霞を食って生きているから、無給でも平気なのだ。と思われている。

そんなことを、牛丼のような味のプルコギを食べながら話した。

外に出たら、車種は違うけど、おんなじメタリックな青い色の車が仲良く隣り合って駐車されて、よくわからんけど二人で爆笑した。色々文句はあるけど、こうやって助けてくれる友人がいて、結局は結果オーライだなと思った。


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