初めてのアメリカ2人旅 September 1990
アメリカ、初めての海外旅行。
写真をiPhoneに保存していたのを思い出して、日付けを確認してみた。
1990年の9月
カリフォルニアからNY、途中アリゾナやラスベガスを経由してトータル1カ月の旅。
同じチケットが取れず、友達とは別々の飛行機。
LAXの到着ロビーで待ち合わせた。
携帯のない時代に、出会えなかったらどうするつもりだったのだろう? ホテルも1日目だけはハリウッドに取り、2日目からは現地の安いモーテルを探した。
サンタモニカを走っていたらモーテルのサイン。受け付けに行くと優しそうなオーナーに子供さん達。すぐに決めて1週間くらい滞在する事にした。
子供達とも仲良くなり、学校に送ってあげたりモーテルの駐車場でバスケをしたり、ちょっとしたホームステイ気分だ。
ロスではほとんど日本人に出会ってないのに、ハードロックカフェに行ったら、たまたま光GENJIのメンバーが食事をされていた。友達と気がついていないフリをしたけど、凄い偶然。
その後、ロスにサヨナラしてサンディエゴ、アリゾナへと移動。州によって法律が違う事を知らずにユマで一旦レンタカーを返却してしまう。
ユマからフェニックスまでレンタカーで行き、そこから飛行機でラスベガスに行く予定だった。
ところが、ユマ(アリゾナ州)では年齢制限がありレンタカーを借りる事が出来ず、予定を変更して朝一のバスでフェニックスまで行く事にする。
早めにバス停に行って待っていると、バスが到着して次々と現金をドライバーさんに渡して乗り込む人々。もしや.....トラベラーズチェックは使えないかも....チケットを買うはずだったオフィスは閉まっている。
答えはやっぱり「No」
暗闇の中でボー然としていると、たまたまタクシーが通りかかった。少し強面のドライバーさんだけど、他に手段はなく、近くにあるユマの空港まで連れて行ってもらう事にした。一緒に撮った写真があるけど、今だったら絶対に乗らないだろう。
ユマ国際空港に到着したけれど、さすがに空港もまだ閉まっている。辺りを見渡すとぽつんと灯りが見えた。
コンビニだ!
荷物をゴロゴロ引っ張って中に入った。しばらくはここで時間を潰さないといけない。朝食を食べていないので、サンドイッチを買ってドアの方を見ると、警察官がキョロキョロと何か探している。「事件かな?」と思ったら「見つけた!」と言う顔で話しかけて来た。年齢だけ聞くと「あっ、じゃあ大丈夫だね」と直ぐに帰って行った。
「ティーンエイジャーを空港に下ろしたけど、危ないから様子を見てくれ」とドライバーさんが心配して警察に連絡してくれたらしい。
人は外見で判断出来ない。
そうこうしている間に空港も開いたので、カウンターでラスベガスまで行きたい事を伝える。フェニックスからラスベガスまでのチケットは日本で購入していたから、ユマからフェニックスまでのチケットが必要だった。どんなに短い距離でもやっぱり当日券は高い。諦めてまたバス停に戻ることにした。バスと飛行機の時間を調整してくれて、おまけに空港職員さんが自分の車でバス停まで連れて行って下さった。優しい!
「車の中が汚いから待ってねー」と言いながら掃除されているバックシートには、段ボールに入った雑誌やいろんな物が散乱していた。
アリゾナでの思い出は優しい人達と美味しかったメキシコ料理。未だかつて食べた事が無いくらい衝撃的な美味しさだった。
なんとかラスベガスへ無事到着。そこから、グランドキャニオン1泊オプショナルツアーに参加した。セスナはリタイアされた国際線のパイロットさん。日本にも良く行かれていたそうだ。
飛行機の中からは今まで見た事の無い壮大な景色が広がっていた。
到着してハイキング。崖っぷちに座って眺めたサンセットに、地球の広さを実感する。
一泊する事にして良かった。
グランドキャニオンから帰ると、あれだけ苦労してたどり着いたラスベガスを後にし、レンタカーでまたロスへ戻る。
あの時の私達にはラスベガスの綺麗なホテルよりも、あの小さなモーテルの方が魅力的だった。
UCLAでスウェードのバックパック、サンタモニカのビーチでLace up ankle bootsを購入。これらは長く愛用して擦り切れるまで使った。
一緒に西海岸を過ごした友達とは空港で別れ、私はNYに。
ラガーディア空港へ着いた時には8時を過ぎていて真っ暗。空港からマンハッタン行きのシャトルバスのアナウンスが聞き取れないので、止まるごとに運転席に行き場所を確かめた。ウンザリしたドライバーさんが「着いたら言うからそれまでは座っていてくれ」と。
バスが止まり運転手さんが
「ここを真っ直ぐに2ブロック、左側にホテルがあるから」と教えてくれた。
「Thank you!!」お礼を言って歩き始める。あの頃のNYは今ほど治安が良くなかったから、ホテルが見えてロビーに入った瞬間、体中の緊張がフッっとゆるんだ。
チェックインカウンターを見ると「タカハーシ!タカハーシ!」と受付スタッフとすったもんだしている人がいる。
日本人!高橋さんね!この名前も覚えてる。
東海岸は別の友達とホテルで合流した。彼女も初めてのNY。
ロスとの気温差を考えずに来たので、露店で安いセーターとジャケットを購入する。本当に行き当たりバッタリの旅。日本から来た友達も何を考えていたのか、ハワイ帰りの様な格好をしていた。
そのセーターを着て、いざナイヤガラへ。
ナイヤガラと言えば、私の中では「地球がガクっとそこだけ陥没している感じ」
では無かったけど、ボートに乗った時の迫力は凄かった。
黄色いカッパを着て乗ったと記憶していたけど、映画の「It」の印象が強いせいかもしれない。
写真を見るとそれは青だった。
その後ワシントンD.C.に行き、友達はNYから日本へ。私はロス経由で日本へと帰国。
ロス行きの飛行機の中で「Bonsai」のシニアグループの方達と隣り合わせになり、アメリカ人のおばあちゃんが、機内食の説明やらいろいろ話しかけてくれた。エンチャラーダはその時に初めて食べたけど、美味しい機内食だったのを覚えている。そうこうしていると、あっという間にロスに到着した。「Samurai Girl!!でも気をつけてね!」とハグしてくれて別れた。
NYでの思い出はエンパイアステートビルディングからの景色。本当に感動したのを覚えている。夜景も撮っているので、2回上ったのかな?
あとはバッテリーパークのサンセット
自由の女神をバックに。
初めて1か月間日本を離れてホームシックにかかるかと思いきや、空港で1人椅子に座って「帰りたくないな」と思っていた。
色んな事が起こったけど、記憶に残っているのは、驚いたり、感動したりドキドキハラハラした事。全てが上手く行かないから良かったのかも知れない。
書ききれないほどの沢山の思い出。
子供の旅だと思われていたから助けてもらえた。あの年齢だから何も考えずに行動出来た。
ロスのあのモーテルはまだあるのかな?
たぶん、あの子供達はもう40歳を過ぎているはず。どんな大人になっているだろう?
あの頃の自分は、30年後の事なんて想像もしていなかった。
特別な事をしている訳でもなく、今できる事を出来る限り楽しく普通に暮らしている。
自分の事だけを考えていれば良かったあの頃とは違って、今は家族や友達の喜びが自分の幸せになる。
みんないろんな30年間を過ごす。同じ人生は無いから面白い。
あれから30年
私は今アメリカで暮らしている.....
今回は大江千里さんのNoteを読んで、30年前にナイアガラに来られていた事を知り、自分も30年前くらいに同じ場所を訪れていた事で、この旅を振り返るキッカケになりました。
そして、音楽に触れたのも30年ぶり、Noteをされている事も去年知りました。
大江千里さんは30年後、NYに住み Jazzピアニストとして 6枚目のアルバム「Hmmm」を発売。オリコンデイリーチャート、ジャズク・ラシック部門、及び、ジャズ部門で1位を獲得。新たにSony Masterworks のアーティストとして活動される事になる。
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