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『凪のお暇』第8話、と悶える私


まずはじめに、わたしは、とある人との間に起こった「解せない経験」を分かるために、凪のお暇を見ている…(たぶん)

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うわあああ。凪と慎二は…表現形は全然違うけど…大元の…心の穴(?)の形が似てるんか…。見てるこっちまで個人的な記憶が思い出される~。

それはさておき、凪と慎二はアパート・バブルまわりの共同体に癒され解される必要がある。既になされてるけども!…ゆるい共同体、だいじ。

慎二とゴンも、凪&慎二とは別の方向性で似ていると思う。
表面上だけでなく相手に寄せられる所。二人とも空容器みたいで、その時々の相手の感情が容器の中身…的な。
なぜそうなるんだろう。似た生い立ちでも、そうなる人とならない人がいる気がする。

慎二が豆苗に水をあげていたのは、自分の中に流れる気持ちに従う、ある意味で自分を大切にする行動だったと言えそう…(以前だったら「尊い尊い」とか言って避けてそうじゃん)。
慎二のお暇は、結果として自分自身を丁重に扱ってみる余裕を与えたのかも。

見てるだけで凪ママの呪いにかかりそうだった…片平なぎさすごい。
ああいう母親の前では、何歳になっても過去に引きずり戻されてしまうよな…あれを「呪い」と言わずになんと言うのだ。

とはいえ、凪ママもまた「抑圧サイクル」の犠牲者なのだろう。

凪ママが台風被害を「たいしたことなかった」と言われて気に食わなそうにしてる場面や、リフォームのくだりで思ったけど、彼女は「大変な状況なのに頑張ってる自分」「かわいそうな自分」というイメージへの執着がやばそう。

凪パパ蒸発がそのきっかけになったのかも…?

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凪  「慎二、結婚して、私をここから助け出して」と、
凪ママ「凪、お母さんをここから助け出して」を
「誰かに依存する弱さ」と表現するのはなんか、微妙に違う気がする…上手く言えないけど…。

たしかに息苦しい環境から自力で脱出できた人もいるかもしれないけど、「強い/弱い」じゃないと思うんだ。

でも、凪ママは凪に、凪は慎二に「乗っかろうとしていた」のはそうかもしれない。

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なるほど~、たしかに。

凪が母に気圧されて坂本さんとのコインランドリー計画をおじゃんにしてしまったことを理解できず許せない人は、それはそれで幸せなのではと思ってしまった。(もちろん凪の行いは駄目なことなんだけども)

穏便に済ませて早く立川に戻ろうと、凪はサラストヘアー&ワンピで実家へ向かったわけだけど、結果として、母に搾取されコインランドリー計画が潰れてしまった。
こういう、「最終的に目的が達成できればいい」とか大義名分のために過程を妥協しまくってたら……ってこと、現代社会あるあるな気がする。

こういうことがあるから私は、「一時的に魂を売る」とか「長期的なゴールのために過程の妥協を許す」という戦略を信用していないのだ。
(「妥協」というのは、信条を曲げたり倫理を見て見ぬふりしたり)


…というまとまりのない感想でした。

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