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主語を「私」に戻す

今回はミネルバの授業をまとめるのはお休み。少し前になりますが、とても素敵なセミナー(の一部)に出席したので、忘れないうちにそのことを。テーマは、「二拠点生活」と、「欲しい未来を実現する」ということ。その2つのトピックは、「主語を「私」に戻すという」本ブログのテーマにつながっています。

いま見ている視点・角度を増やすための「二拠点生活」

「シシコツコツ~ないものは、山でつくれる」これが、そのセミナーの名前。一番最後の2セッションしか出席していないので、セミナー全体を語ることはできないし、背景もよくわからないものの、「長野県に暮らす人たちが、あらためて「生き方」について議論する場」ということらしい。

「面白い」と思ったのは、移住やビジネス創造の話をしているように見えるのに、「生活の中心にまず「私」がある」ということがテーマとして貫かれていた点。

最初に出席したのは「観光と移住のあいだ」というセッション。ゲストの武藤千春さんが長野県小諸市で農業をしていて、小諸と東京の二拠点生活を語ってくれた。「移住というと重いけど、二拠点生活だと重くならない。この先、自分のライフスタイルにあわせて小諸と東京ではない別の二拠点になるかもしれないし、三拠点になるかもしれない。」とのこと。

環境を整えて「自分が願うこと」にあわせて暮らしを整えたらいい。見えるものが増えると選択肢が増える。

「欲しい未来」を実現する話

2つめのセッションは「山で考えてつくる」というセッション。たまたま別の場で知り合った井上英之さんが登壇されていたご縁で視聴。井上さんは「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」共同発起人で「マイ・プロジェクト」と呼ばれるプロジェクト型の学びを展開されている。初対面の時にはそんなことはまったく知らなくて、話していると心の深いところが落ち着く人だなーと思っていた。

「私」という存在があって、欲しい世の中や願いがあるはずなのにそれを無視して暮らしている時間があるんじゃないか。「私」を主語にして自分が「欲しい未来」を語る。そうすることで、欲しい未来になるための道筋が見える。私の欲しい未来のことをナラティブに語ることから始まる、自分や世の中の変化がある。
うまくいかなかった時こそ、人が支えてくれたりもして、弱みがあることの強味がわかってきたりする。

「山で考えてつくる」井上英之さん

「自分が欲しい未来」があるはずなのに、周囲に遠慮して、自分を控えめにして、周囲の様子をうかがって暮らす。一見、組織のために働いているかのように見えるけど、周囲の様子をうかがっているうちに「自分の言葉」は薄くなってしまうから人の心を動かすことはできなくなる。真実かどうかもわからないような情報があふれた世界の中で、「人や社会への願い」のない言葉にはまったく心が動かないし、共感もできないから仲間と一緒に何かをするのは難しく、人とのつながりも弱くなる。
「私」を主語に暮らせないことは、人から多くのことを奪ってしまう。

身近な人が、主語を「私」に暮らせるように

「これまでの自分がどのように生きてきて、そのことにどんな意味があったのか。教えてほしい。」
去年12月、友人が亡くなる前に、Facebookにこんな書き込みをしていた。彼の顧客への願い、それを仲間と一緒に実現していく喜び、メンバーである私に作ってくれたチャンスや人と一緒に新たなものを作り出す豊かな楽しさ、そういうことを元気なうちに伝えておきたかったし、彼しかできない仕事をやり続けてほしかった。でも亡くなる直前じゃ遅い。

生きてたことが忘れられてしまう怖さもあったのだろう。でもそれは死を目の前にした彼のことだけではない。「あなたのことを知っているよ」「あなたの持ち味が見えているよ」と伝えることがどれだけ人の力になるか。

つい先日ある節目の時に、私自身も大切な友人たちから「強み」「周囲に出している価値やインパクト」「今後への期待」が書かれたレターをいただいた。ネットワークの異なる10人の大切な友人たちからのメッセージはどれも似ていた。ある人は高校時代の私の夢を記憶してくれていた。ある人は一緒に呑んだ時にも探究を続ける私の口癖を伝えてくれた。
彼らのメッセージによって、「私」という主語は以前にも増して強くなった。

身近にいる大切な人たちに、自分が願う未来を口にしてもらうことはそう難しいことじゃないのかもしれない。「あなたのことを知っているよ」「あなたの持ち味が見えているよ」と、大事な人に伝えたり、受け取ったりするだけで、世の中の一部の主語が「私」に代わるのだから。




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