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福島ツアー2023②原子力災害伝承館へ。

福島の今を知るツアー2日目(1日目はこちら)。

蓮笑庵@田村市

8月20日。つなかもで長らくご縁がある〈蓮笑庵〉さんへ。山の中に佇み、蓮の花と紫陽花がお出迎えをしてくれる民画家・故 渡辺俊明さんのアトリエ。

自然に囲まれたアトリエ。
こんな所で仕事したい。
本棚で発見!昭和47年発刊の『みそ汁風土記』。一人で読み込んでました(笑)。情報収集。

蓮笑庵さんについてはこちらの記事に素敵に紹介されていました ↓ ↓ 。

印象的だったのは、俊明さんがお母様との思い出を元に描いた画「嘘」。

幼い頃貧しくて、学校の給食費を支払うことができなかった。支払うことができない母は、「先生に『忘れました』と言って。」と私に嘘をつかせた。
大人は子どもに「嘘をついてはいけないよ」と言うくせに、自分に嘘をつかせることがすごく嫌だった。
でも、大人になってから思うのは、”やむを得ぬ嘘” や ”いたわりの嘘” があるということ。僕にとって「嘘」というのは母との思い出の言葉なんだ。

俊明さんの奥様からの解説より

原発の安全神話が崩れ、コロナ騒動があった今、政府の言葉を真実と捉えるか嘘と捉えるか大きく分かれる。
以前、事実と真実の違いは何か?と考えたことがあるけれど、嘘が真実になることもあり得るよなぁ。洗脳にも近い。
嘘か本当かを見分けることはとても難しい。だから「本当かな?」と自分で調べること・自分なりに答えを見つけることが一番大切なことだと思う。

浪江町請戸小学校@浪江町

浪江町の復興のシンボル・道の駅〈なみえ〉で甘酒ソフトなどを堪能し、震災遺構となった〈浪江町立請戸小学校〉へ。
(甘酒ソフトはちゃんと糀の味がしておいしかった!)

外からでも惨劇の様子が容易に想像できる。

私たちは時間が無かったので見れなかったけれど、請戸小学校は資料館として当時の様子が観覧できるようになっている。

荒れ果てた元集落に佇む校舎は、外から見ても当時の様子を映し出す。
震災当初、気仙沼に入った時に見た、ビルの鉄骨に大型トラックがL字型に折れ曲がっていたことを思い出した。
私の父親も震災当日は石巻にいた。「すごい津波。高台へ逃げる。」とメールが届いて3日間音信不通。幸い私の直接の知り合い・友人・親戚は亡くなっていないけれど、兄の友人や母の知人は帰らぬ人となった。

東日本大震災・原子力災害伝承館@双葉町

そして本旅の第一目的である〈原子力災害伝承館〉へ。

2011年3月11日14時46分。
あの日、あの時間から何が起こり、人々がどう動いていたのか。
地震、津波、そして放射能汚染。
自衛隊の動き、自治体の判断、政府の規制、医療や物流の現場…。未曽有の混乱の中で、人々が手を取り合って「生きること」「生かすこと」に必死だったこと、そんな中でも助けられなかった命への憤りが伝わってきた。

地震や津波を逃れて生き残った私たちにも、放射能問題は付きまとう。放射性物質の健康被害は3世代後に出るとも言われているし、その症状は人によって異なるため、それが放射性物質によるものかどうか原因を特定することは難しい。

2023年8月24日午後1時3分。
事故の直後から発生している汚染水を処理した後に残る、トリチウムなどの放射性物質を含む処理水の海洋放出が始まった(NHK News web)。これによって地球環境・人間の健康・日本の経済にはどんな影響が出てくるのか、それは今はわからない。

原子力発電が日本の経済成長を支えてきたことは事実。
「夢のエネルギー」と呼ばれて研究し続けられてきたが、人間が制御しきれない技術であることも事実。

果たして、これからの未来に原発は必要か?
捨て方がわからないものを作り続けていいの?

伝承館の最後に「未来の街を作ってみよう!」というゲーム式の体験モニターがあった。その中のエネルギーの選択に原子力発電がなかったのは、この伝承館からのメッセージだと受け止める。

みんなで楽しく未来の街づくり体験

ちなみに、双葉町はアートの町を目指していて、建物の壁が絵画になっていました。

3日目へ続く。

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