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ベンチ旅 頭痛が消える日

20年来の偏頭痛もちだ。

15年前の春、コントラバスを新幹線に乗せて上京してきてからの数年間がピークで、1日に数回発作が来ることもあった。今は1〜2ヶ月に1回あるかないか。このまま偏頭痛とさよならできる日がいつか、来るのだろうか…。


ちくま文庫の『整体入門』という本に出会ったのは10年前。

「頼ることやすがることばかり考え、他人の力をあてにしているから、自分の力が働かないのである」『整体入門』野口晴哉

偏頭痛の発作がきたら薬を飲み、とにかく安静にすること、という医者の言いつけしか頭になかった当時、この長細い体の中に眠っている動物的な力を想うことは、鮮やかな驚きだった。そこから、自分の体を見つめることを覚えた。

JRで東京の西、立川駅へ向かう。そこから多摩都市モノレールに乗り換え、多摩丘陵の長閑な車窓を眺めながら約20分、終点多摩センター駅に到着。ここからさらに京王バスに乗り換えて10分程。公園と街路樹の緑が続く郊外の停留所で降りた。この日、バス停の近くにあるコミュニティーセンターで野口整体をベースにした講座があり、それに参加するために電車とバスを乗り継いでここまでやってきたのだ。

講座は10時から1時間半、その後整体の施術30分程を受ける。コロナウイルス感染予防や重症化しないためのセルフケアについてわかりやすくお話しされる講師のYさん。実際に体を動かしながら、全身の血流を良くする体操やストレッチを幾つも教えてくださった。講座散会後、施術へ。偏頭痛のことなどお話ししながら全身触れてもらう。講座の際の穏やかな語り口の印象とは別に、気を高め、集中して進めるYさん。終われば体がじわーっと温かくなり、まるでサウナに入ったかのような心地良い脱力感に全身が包まれた。

2時間弱の旅気分と術後の脱力が相まって、帰りのバス停へ向かう足取りはなんだか地面から少し浮いているような夢心地。上りのバス停は道の反対側だ、大きな歩道橋を一段ずつ確かめるようにゆっくりと登り、体がスライドしていくようにすうと道路の上を横切って、そしてまた階段をとんとん降りる。そこでいきなり目の前に現れたのは、

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このベンチ。
なんだろう、体が緩んで脱力しているせいだろうか、思わずふっと吹き出してしまった。随分と年季が入っている様子。

バス停のベンチはほとんどの場合道路と並行に置かれている。この停留所にもそんな普通の置かれ方のものもあるのだが、加えて少し隔ったところ、ちょうど歩道橋の階段を降り切った眼前に、このなんともファニーなベンチが潔く置かれているのだ。

時刻表を見るとあと6分ほどでセンター駅行きのバスが来る。迷わず当該ベンチに腰掛ける。
なぜか高校時代のバス通学のことが頭に浮かんだ。雨の日だけのバス通学。別府駅から高校までの車内の時間、ティーンの僕はおそらくほとんど自分の頭の中を見続けていた。いや、学校に着いてもそうだった。そうやって何本も、バスや電車や、至る所に傘を置き忘れた。あまりにも忘れるので自分は何かの病気なんじゃないだろうかと、本気で悩んだ時期もあったなと、思ってまた独り笑ってしまう。

バス停に人が集まってきた。ベンチに無造作に置き去られているiphone充電用ケーブルが少し気になりながらも、そのまま立ち上がり列に並ぶ。今年は遅い梅雨明けになりそうだ。7月半ばの緑はまだ全力本気の様子でもなく、しっとり濡れて真夏の太陽を待っている。

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多摩センター駅行きのバスがきた。平日の昼間だが、車内は10名ほど。施術の際のアドバイスを携帯にメモしながらあっという間に到着。大きな多摩センターのバスターミナル。停留所の長いベンチに座る人々を横目に眺めながらモノレール乗り場へと進む。

時刻は13時半。さすがに胃がぎゅるると空腹を訴えてきた。
待て待て、もう少し。モノレールに乗り込むまで待ってくれ。どこでどうなってもいいようにと、コミュニティーセンター併設のパン屋で旨そうなスコーンを買ってきたのだよ。ドライトマトとブルーチーズのスコーン。どうだ、旨そうだろう。さあ、もう少しで立川行きのモノレールがやってくるから。車内で少しバツが悪いが、周りに人のいない席ならまあ大丈夫。そら、やってきたぞ。

ホームに車両が滑り込む。好都合にも、先頭車両左最前列の二人がけシートが空席だ。すっと乗り込み座席を確保。よしよし、これで景色を眺めながら立川まで、ゆったり小腹を満たせるぞ。腰掛けて、スコーンを鞄から取り出そうとしたその時、何かに気づいた。

あ!

傘、忘れた。


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ベンチファイルNo.3
時:2020.7月
場所:京王バス落合四丁目停留所
天候:曇り時々雨、風あり
材質:座面プラスティック。背もたれ木材、骨格金属製。
メモ:道の向かい側から歩道橋を渡って降りてくると目の前にある。ハッピーメガネと椅子張り替えの広告が印象的。バス停の屋根の下にある普通のベンチが満席の時、ここに誰かが座るのかもしれない。置き去りのiphone充電用ケーブルが遠目に白蛇のようで少したじろいだ。道沿いの街路樹の緑が美しい。もう少し座っていたかった。

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