見出し画像

「育児をこなす」から「子供に何ができるだろう」へ。育休で気がついたこと③

育休三週間目に、やっと気がついたこと

早いもので、育休に入ってから三週間が経過しました。そして僕の中では、育児に対する考えの大きな転換のあった週でした。今回もまた、この気持ちを忘れないうちに記録していくため、そしてもし同じ境遇の方がいたら、何かのヒントになるかと思ってnoteを書いていきます。

<前回の記事たち>
なぜ「育児の愚痴」は多いのか。育休で気がついたこと①
時短家電よりも育児を楽にしてくれるモノ。育休で気がついたこと②

僕は育児を"こなして"いた

最初はてんやわんやだった育休も、三週間も経つと、毎日のタスクや日々発生するトラブルも大抵が経験済みになり、こなれて来ます。

<毎日のルーティン>
6:30~9:00    息子と起床。朝ごはんのあと、お部屋遊び
9:00~11:00   児童館で息子と遊ぶ
11:00~13:00  昼ごはんの準備 + 息子と一緒に食べる
13:00~17:00 お外遊び + 息子お風呂 + 息子お昼寝
17:00~20:30 夜ごはんの準備 + 息子と一緒に食べる
20:30~21:30 息子寝かしつけ
21:30~     自分の時間 or ばたんきゅー

※ 妻がご飯担当の日はその間子供の相手。娘の対応は、この流れの中でミルク1回/日と主におむつ替え担当。

上記はあくまで"うまくいった時"の流れですが、大枠このように毎日を過ごしており、最初はとれなかった自分の時間も、少しずつ捻出できるようになりました。こう慣れてくると「なんだか、うまく育児回せているじゃん!」と思ってきます。そしてこう思いました。「このルーティンに慣れたら、もっと自分の時間を作れるなあ」それから数日、毎日毎日、同じルーティンの1日を繰り返しました。

室内遊びの中で、どうしても自分が疲れているときは子供にタブレットを渡してYouTube Kidsを見せることもありました。最初は「1歳時にタブレット」はかなり抵抗感があったのですが、あまりに楽なのでそれに甘えてしまい次第にYoutubeに子供の相手をさせる時間が増えていきました。子供も、おもちゃ箱には目もくれず、タブレットを充電器から取り出して起動するようになりました。

ある日、たまたま一冊のモンテッソーリ教育の本を読んで、自分が大きな過ちに足を踏みいていることに気が付きました。別にモンテッソーリの教育方法を取り入れなければ!と強く思ったわけではありません。「この数日、自分は自分を甘やかすことばかり考えていて、育児を効率的にこなすことばかり考えていた。子供の成長に向き合うための育休だったはずなのに!」そんな基本的なことに気が付きました。

育休の取得理由は人それぞれでしょうし、「自分の時間を作ることが悪い」とは全く思いません。それでも僕は「妻の健康と、子供の健やかな成長のために育休を取りたい」と思って2ヶ月間の育休を取得させて貰いました。効率的にタスクをこなして、妻の健康のサポートはある程度できたかもしれませんが、子供(特に1歳9ヶ月の長男)の健やかな成長に向き合おうとしていなかった自分に気が付かされました。

ルーティン化したら形骸化していた

息子が見向きもしなくなったおもちゃ箱を改めてよく見てみると、生後6ヶ月くらいから中身がほとんど変わっていませんでいした。息子の月齢に合っていないおもちゃが、ぐちゃっと大きな箱に詰め込まれているだけです。
「こんなにたくさんおもちゃがあるのに、息子はタブレットばかりしているな」と、さも息子の問題のように考えていましたが、これでは興味を示さないわけだと理解しました。

子供は日々成長を遂げているのに、親の自分が古いルーティンを引きずったままで、すっかり形骸化して、彼の成長の支えになるようなことはできていませんでした。

スクリーンショット 2020-08-16 22.59.14

おもちゃ箱のビフォー・アフター
無造作に箱につめていたおもちゃを厳選して減らし、棚に並べて子供が自分で取り出せるようにしてみた。

子供のためにどんなことができるだろう

先の書籍を読んだことや、自分自身がモンテッソーリ教育で育ったこともあり、その教育論をベースに2歳を目前にした息子に何ができるかを考えました。「もう指先をつかった遊びができるかもしれない」「片付けができるかもしれない」「スイミングも挑戦してみようかな」

月齢に合わないおもちゃは第二子のために片付けて、おもちゃ箱ではなく息子が自分でおもちゃを取り出して片付けられる棚を用意しました。新しいおもちゃを買いにも行けないので家にあるもので工夫して指先と頭を使えそうなおもちゃを作ってみたりしました。息子は一目見てピンセットで細かいものを掴んで隣の器に移すことや、小さな穴に細いストローを指す遊びをやってみせました。「もうこんなことが出来るようになっていたのか」と驚き喜ぶと同時に、成長に見合った発達のサポートが全く出来ていなかったことを自覚しました。集中して繰り返し繰り返し、ピンセット遊びをしていました。それ以降、タブレットは一切せがまなくなりました。タブレットが見たかったのではなく、他に面白いと思えるものがなかったのだと気が付きました。

スクリーンショット 2020-08-16 23.02.51

左:自分の眉抜きピンセットで妻のヘアゴムを隣のタッパーへ移す遊び
右:穴を開けたプロテインシェイカーにストローを差し込む遊び
DIY感がひどい。笑

モンテッソーリに関わらず、〇〇教育を子供に提供べき、とかそういうことを主張したいわけではありません。「子供のために自分は何をしてあげられるだろう」と考え、工夫し、試してみる。その姿勢が「子供の健やかな成長をサポートする」ために何より重要なことなのではないかと思っています。

出来ないときは出来ないで良いと思います。「忙しくて何もできていない!」という辛い思いを、他のパパママや、忙しいときの自分自身にさせたいとは思っていません。量の絶対値が重要なのではなく、自分の持っている時間やエネルギーの中で、子供に何ができるかなと思う、できる範囲のことをやる。それだけでよいのだと思います。

そんな当然のことに気がつくまでに、僕は三週間も掛かったのでした。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?