【Vol.603】「疑問」を「問い」へ変換させる!

【本のタイトル】
知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ

【著者】
苅谷剛彦

【インプット(引用文章)】
大学の授業や講演会などの場で、話が終わった後で司会や話し手が、「何か質問や意見はありませんか?」と聞くことがあります。その後によくあるシーンは、数十秒にもわたる沈黙、、、日本では、だれもが威勢よく手を挙げて意見を言ったり、質問をするといった光景は、めったに見られません。「質問といっても、特に手を挙げてまでするほどのことではないし、、、」「自分の意見と言われても、何を言っていいやら、、、」「少しは、自分の考えもあるけど、人前で話せるほどまとまっていないし、、、」ということで、意見や質問がなかなか出ないのです。そして、大抵は業をにやした司会者が誰かを指名したり、場を持たせるために自分から質問をしたりします。
大学の授業では、司会者はいませんから、こんなふうになります。
教師「何か質問はありませんか」
学生「無言、、、」
教師「〇〇について、みんなはどう思いますか」
学生「無言、、、」
というように、無言のやり取りが行われることになります。
「質問はありませんか」と聞かれた時、話の内容が大体わかったという場合には、取り立てて聞きたいこともないという反応が出てくるのも、不思議ではありません。特に、質問は相手の話がよくわからないときにするものだと思っている人にとって、わかったときには質問がないのが普通です。
確かに、人の話を理解するためには、静かに相手の言っていることに耳を傾ける必要があります。まずは、きちんと理解することが大切なことは言うまでもありません。しかし、このような話の聞き方は、受け身的な聞き方といえます。話し手からのメッセージをありがたく受け取ろうとする態度なのです。
何も疑問を感じないところでは、私たちは深く考えたりはしません。「そんなことは当たり前だ」と思っていたり、「そうは言っても仕方がない」と最初から疑問を持とうとしない間は、自分から進んで考えることはしないものです。従って、まずは物事に疑問を感じること、「ちょっと変だな」と疑いを持つことが、考えることの出発点になるのです。
とはいうものの、疑問を持ったからと言って、それがただちに考えることにつながるかというと、そうではありません。「どうしてだろう」「なぜだろう」といった疑問を感じても、そのままにしておいたのでは、考えることにはつながらないからです。そこで重要となるのが、どうしたら疑問を考えるための<問い>に変えていけるのかということです。
「ちょっと変だなぁ」「不思議だなぁ」というように、ここでいう「疑問」は感じるもの、思うものです。それに対して、<問い>は立てるものです。
感じた疑問はそのままにしておくことができます。ところが、問いを立てるということは、答える行為を前提にしています。
疑問を感じるだけでは、まだ自分から進んでその疑問を解いていこうということにはつながらない。その疑問を、回答することを前提とした問いとして表現し、位置づけし直すことによって、最初に感じた疑問を、考えることにつないでいくことができるのです。要するに、疑問と問いとの決定的な違いは、疑問が感じるだけで終わる場合が多いのに対して、問いの場合には、自分でその答えを探し出そうという行動につながっていくという点にあります。
漠然とした、大雑把なままの疑問では、なかなか考えるという回路に結びついていきません。「どうしたらいいんだろう」と思っている場合、「どうしたら」「どうしたら」と気を揉んでいるだけでは、考える道筋は見えてきません。「どうしたらいいのか」をもっとはっきりした問いに表現し直してみる。つまり、問いの表現の仕方次第で、考える道筋が出てきたり、出てこなかったりするのです。しかし、どうしたら、優れた問いの立て方ができるのか。そこにはやはり、それに相応しい方法があります。
例えば、問いのブレイクダウンという方法があります。この方法は、最初の大きなトイを複数の小さな問いに分けていって、それぞれの問いに答えることが最初の問いへの解答になるようにしていく方法です。
一つの漠然とした問いも、よく見ていくと複数の問いから成り立っていることに気づくことができるでしょう。一つの問いをそういう複数の問いに分けていく。さらには、分けられた複数の問いの間のつながりを考えていくことで、最初の大きな問いに、具体的な答えを与えていく。例えば、「どうやったらこの新製品は売れるか」という大きな問いは、「顧客として誰を念頭に置くのか」「販売網をどう活用するのか」「広告費はどこにどれだけ使えるのか」といったさまざまな問いによって成り立っています。問いを上手に立てていくことは、問いの的確なブレイクダウンと、その関係をうまくつけることにかかっています。つまり、どのように問いを立てるかという問題は、問いをどのように展開するか、ということなのです。
例えば、「どうしたら良い企画書が書けるのか」と思っているだけでは、その答えはすぐには見つかりません。なぜなら、この問いの形のままでは、「どうしたらいいのか」を具体的に考えていく筋道が出てこないからです。こんな場合、「どうしたら良い企画書が書けるのか」を出発点に、「そもそも、良い企画書とは、誰にとって良いのか」「どんな判断基準で良いのか」「説得力の点か」「わかりやすさか」「アイデアの良さか」。いや「そもそも、良いアイデアとは何か」「面白さか」「有効性か」「実現可能性か」などと、最初の漠然とした疑問を、いくつかの具体的な側面に分けてみる。そして、それぞれの問いにどう答えていくのか、それぞれの答えが、どのように関係し合って、出発点の問いへの解答になるのかを考えていくのです。つまり、最初の問いをいくつかの問いに分解したり、関連する問いを新たに探していく、問いの分解と展開によって、考えを誘発する問いを得ることができるのです。
何を問題にしているのかがはっきりしていて、どうやっていけば、解答に到達できるのか、その過程がわかりやすい<問い>に表現し直すこと。最初の素朴な疑問では見過ごされていた、問いの新たな側面を見つけて、最初の問いとの関係を考えていくこと。このように問いの立て方と展開の仕方を学ぶことは、複眼思考を身につけるうえで重要なプロセスとなります。
複眼思考とは、物事を単純に一つの側面から見るのではなく、その複雑さを考慮に入れて、複数の側面から見ることで、当たり前の「常識」に飲み込まれない思考の仕方です。従って、一つの問いを複数の問いに分解し、それぞれのつながりを考えていく方法を身につけることによって、私たちは複数の視点を得ることができるようになります。

【アウトプット(具体的アクションプラン)】
複数の視点を得るために、「疑問」は「問い」へと変換させる!

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