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ハンカチを捨てる。

引っ越してもう6カ月。それなのに家はどうにも片付かない。床にものが積み上がっているのをひょいひょい飛びこえる、障害物競走の日々。

片付けられない人間なのは子どもの頃から自覚していたけれど、なんとなく「今はまだ本気出してないだけ」「引っ越したらなんとかなる」「実は散らかってる方が好きなのかも」と思ってた。引っ越してみたら、違った。私は片付けが本当に下手なんだ。そして、散らかっている部屋は、私にとってとてもストレスだ。

美しいものを見るのが好き。だから美しい部屋が好き。それなのに自分にはそれが作り出せないんだという事実を毎日突きつけられて暮らすのは、もう耐えられない。

近所の散歩道

なんとかしなくては、と何冊も「片付け」「断捨離」「ときめきますか?」な本を読み、だんだんわかってきた。うちにはものが多すぎる。自分がコントロールできる量を超えている。そして初老の今、片付けられないということは、今後年老いて、体力がなくなったらもっと無理。
どうしてこんなにものを増やしてしまったんだろうと考えても仕方ない。とにかく、本でみんなが言ってるとおり、今使っているものと、ときめくものだけを残し、それ以外を処分しようと心に決めた。

でも、「捨てる」と考えただけで、心の奥がぎゅーっと痛む。

「せっかくいただいたものなのに」
「まだ新品同様なのに」
「壊れてもいないのに」
「高かったのに」
「いつか使うかもしれないのに」

脳内をだばだばと流れる「のに」の言葉。
この「のに」に逆らうなんて、できるのかなあ。やらなくちゃいけないんだけど。わかってるけど。

「のに」がたくさんびっしりくっついていそうな大物は、あまりにハードルが高いので、まずは小さいものから試しに捨ててみよう…と部屋を見回して、ハンカチの入った小さな引き出しから始めることにした。

タンスから引き出しを引っ張り出し、えいっとひっくり返すと、中からぎゅーぎゅーに押し込められていたハンカチが何十枚も出てきた。小さな引き出しに無理に突っ込んでいたので、しわしわでくしゃくしゃ。
それを一枚ずつ広げて考える。
…どれも、使える。別に破れてるとかではないし…。まだ、使える「のに」

でも、詰め込みすぎて、奥の方のものなんて、たぶん何年も目にしてない。繰り返し使うのは手前にあるものだけ。

よし、とハンカチ一枚一枚を「これは好き」「よれよれだ」「これは冠婚葬祭用」と触って確かめて「のに」を無視して選り分けた。たとえば、外出中に誰かに貸しても恥ずかしくないか。触って気持ちいいか。それを基準に考えて、残ったのは、三分の一、数枚程度。

入れ直して、好きなハンカチだけになった引き出しはとても美しい。どうしてあんなにたくさんの古いハンカチを捨てずにいたんだろう。

もしかしたら、「自分にはよれよれでゴワゴワのハンカチがふさわしい」と思ってたのかもしれない。

洗った後の手をきれいに保つ、体にいちばん近いものなのに、よく考えずテキトーな古いものにしてきたのは、自分の肌のことも自分の感覚のことも、ないがしろだったんじゃないかな、毎日。 

資源回収の日に出すために、古いハンカチを袋に詰めながら、気がつかなくてごめんね、と、ハンカチと自分に謝りました。

そのあとお店で、きれいなハンカチを少しだけ買いました。少しだけね。

新しいハンカチをさわるとふわふわと気持ちいい。増やしすぎず、自分の肌と相談しながら、これからも適宜入れ替えていきます。

大丈夫、私の肌も心も、新しいハンカチにふさわしい。

これからは好きな食器で
好きなものを食べる

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