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誕生日会の、公園の子ども。

最近、何かのきっかけで…たとえば見ていたドラマのシーンとか、街のポスターとか、ほんのちょっとしたことで突然

「昔の話」

が、ものすごくリアルに思い出されることがある。


先日思い出したのは「誕生日会の公園」のことだった。
「星野源のオールナイトニッポン」を聴いてて、源さんが「マクドナルドで誕生日会をしてもらえる子がちょっとうらやましかった」みたいなトークをしたのが、きっかけだった。

そういえば、小学生の私はどんな誕生日会をしてたかな、と考えたけどよくわからない。あまりやったことがないんじゃないかな…親しい友だちがいたのかも思い出せない。でもそのかわりに、すっかり忘れていた、「友だちの家に招かれた誕生日会」が、急に脳内によみがえってきた。

たぶん、クラスの女子全員が、招かれていたんじゃないだろうか。そのくらいたくさんの子が彼女の家に集まり、大騒ぎした。今考えると、あれを成し遂げたご両親すごい。リビングに、20人の小学生女子!
「クラスの子はみんな友だち」と考えられるその日の主役のポジティブさは、ご両親から受け継いだものなんだろうなあ。

お昼のごちそうを食べたあと、「かくれんぼをしよう」と、全員で公園にやってきた。初めて訪れた広い公園には隠れる場所がたくさんあって、ずいぶん盛り上がってたように思う。

植え込みの後ろに隠れて、なかなか見つからないな、鬼は誰かな、と外をのぞいたら、私は公園にひとりになっていた。

あれ、見つからないまま、かくれんぼ終わっちゃったみたいだ、あの子のおうちに戻ろう…と思ったけれど、初めて来た場所で、彼女の家がどこかもわからない。

途方にくれてうろうろしていたら、知らないおばさんに「どうしたの?」と声をかけられ、その瞬間に涙が出てしまった。
泣きながら事情を説明して「ああ、〇〇さんのおうちね、連れて行ってあげるわ」と親切に送ってもらえた。

戻った家のリビングでは、20人の女の子たちがケーキを食べていた。
部屋に入っていった私を見上げた彼女たちの瞳を見てわかった。
みんな、私がこの場にいないことを、気づいてもいなかったんだ。

大人になって思い返すとなんとなくわかる。「クラスの女子全員を呼ぶ」ってことにした誕生日の主役(と両親)の、優しさのつもりの残酷さ、とか。
一度も仲良く遊んだことがない、だから家の場所もよくわかってない子の家に、招かれたからとノコノコ行く私もどうかと思う、とか。

誰が悪いとかではなく、「人には相性というものがあるし、クラス全員と仲良くなければいけないなんてことはない」ということなんだと思う。
その後、クラスで私がなんか変なことになるわけでもなく、だからそのまま忘れてしまうくらいの、小さなできごとだったんだと思う。

でも今思い出して、なんか似てるなあと感じる。
あの日の、公園にひとりになっている自分と、今の自分と。

「みんなの一員」だと思っているのは、勘違いかもしれない。
この場所は、自分にはふさわしい場所ではないのかもしれない。
みんな、私がいることもいないことも、気にしていないかもしれない。

今も、公園のあの植え込みの後ろに小さく隠れて、スマホに文字を打ち込んでいる。鬼に見つかりたくはないけれど、鬼が私だけを探しに来てくれたほうが、まだマシなんじゃないだろうか。そんなよくわからない気持ちで。

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