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モネは「傍観者ヒロイン」として朝ドラを生きている。

いつものヒロインとは違うヒロイン、モネ

今期の朝ドラ「おかえりモネ」、いつもの朝ドラとはずいぶん違うなあと思いながら見ています。
朝ドラの主人公といえば
・子どもの頃はおてんば
・水に落ちる、あるいは高いところに登るなどの無茶をするシーンがある
・「やりたいこと」「叶えたい夢」があって、情熱で周りを巻き込んでいく
・戦争など、とても大きな悲劇と試練がある
・何度も失敗するけどそのたびにめげずに立ち上がり、最後には夢を叶える
・生まれながらの明るさでみんなから愛される
だいたいこういう感じの人が多い。
そんな熱くて危なっかしい主人公を、テレビの前で毎朝ハラハラしながら、がんばれーと応援して見守ることになる、そういうのが朝8時15分の習慣。

しかし、今回の主人公百音=モネは、こういう「朝ドラヒロインあるある」をすべて裏返してるんですよね。
・無茶はしないおだやかな「おねえちゃん」な人
・やりたいことがない…というか、やっと気象予報士という夢を見つけて、すでに叶えた
・テレビに出るようになったけど、やりたかったというより頼まれたから引き受けたという方が大きい
・本番に強くて失敗しない

…危なっかしさが、ない。熱くなくて、全体に平熱。
だから彼女を応援するというよりも、見守る朝が続いている。清原果耶さんという独特の存在感を持つ女優さんだからよりいっそう感じるのかもしれないけれど、わーっと実況しながら見るよりも、画面を黙って見つめる時間が長くなってきている。ここもいつもの朝ドラと違う。

そして何より彼女は

・大きな悲劇の場に、いなかった

ここが、大きく違う。彼女は悲劇を回避してしまった。そして悲しみの中にある人たちを「外から見る」人となってしまった。

ヒロインっぽくないヒロインの周りに、ヒロインっぽい人たちがいる

こうしてみると、むしろモネの周りの(フルネームで呼びたい)神野マリアンナ莉子さんや妹の未知=みーちゃんの方が、朝ドラヒロインっぽい。

本当はハードなファッションが好きだけど、ふわふわ女の子っぽい格好の方が視聴者に喜ばれるとわかっているからそういう装いをする神野さん。でもハイヒールに慣れなくて、失敗してしまう神野さん。「はー、やってらんない!」と炭酸水でうさばらしする神野さん。野望と野心のかたまり、ほんと大好き。

おじいちゃんの牡蠣のことを愛し、辛い経験をして、それをこえて島に残って水産試験場で働くみーちゃん。日々こつこつ研究し、幼馴染の男の子に一途に片思いをしている。

二人とも健気で一途で前向きで、失敗や挫折を乗り越えて、夢を叶えていく人。ほら、ヒロインっぽい。

しかし今作のヒロインは、彼女たちではなく、モネなんです。

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ヒロインっぽいのにヒロインではない神野さんやみーちゃん。彼女たちがどうしても勝てないのが、自分では欲しくても手に入らないものを、簡単そうに(実際は見えないところで淡々と努力して)手にする、モネみたいな人。
初登場で失敗しない「クソ度胸」を持つ人。
好きな人に電話すれば、すぐ出てもらえる人。
「なんでモネばっかり。ずるい」という風当たりの強さを、これからも彼女は感じるんだろうなあ。隠された努力を知らない人から、嫉妬されやすいタイプですよね、きっと。‪ …とツイートした翌日の回に、神野さんがモネにちょっときつい言い方して「嫉妬した」と自分の気持ちをあっさり認めたの、さすがだわやっぱり好き、と思いました。

実際には、モネはモネなりの悩みを抱えているんだけど。

・大きな悲劇の場に、いなかった、いたかった

という、過去には戻ることができない苦しみを。

役に立てなかった「傍観者」として生きるヒロイン

悲劇の場に不在で、誰の助けにもならなかったことが苦しくて、島を出て、「誰かの役に立ちたい」と気象予報士になって、なってからも心配のあまり暗い話をしすぎて空回りして。
そんなモネに「役に立ちたいって、結局自分のためでしょ?」とはっきり言う神野さん、やっぱり好き。

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「誰かの役に立ちたい」という呪いに縛られたままのモネは、悲しむ人の「傍観者」にしかなれない、とも言える。
自分が出来事の中心になるのではなく、中心にいる誰かを外から見て、自分が彼らの役に立つことを願っている、傍観者。あるいは応援団。
同じ気象予報士仲間の朝岡さんも神野さんも「私は気象予報を通じてこれがやりたい」がある。モネには(今のところ)それが見えない。
悲劇の地にいなかったことで「傍観者」となったけど、本人もすべてにおいてそのまま傍観者でありたいと思っているように思える。
職業だけでなく恋も、菅波先生への気持ちはほんとに恋なのか、ひとごとのようにぼんやりのんびりとしていて、まだデートにすら行けてない。

…あ、冒頭に書いた「朝ドラヒロインあるある」に、菅波先生の方がモネよりもまだ近いかもしれない。やりたいことがあって、失敗と挫折があって、立ち上がる人。でもやっぱり彼も傍観者。二人とも、日々の出来事の中心からちょっと離れたところにいる。悲しみの中にいる人(たとえば病気の人、大事な人をなくした人)を、外からためらいながら見つめている人たち。

でもそういう「外にいる人」だから、相手を抱きしめるとかひっぱりあげるとかをせず、そっと背中に手をあてるようなことができるんですよね。
ぎゅっと力強く相手との距離を縮めるのではなく、少し離れて体温だけつたえる。
菅波先生とモネには、そういう優しさがある。
りょーちんが島の人たちではなくモネにだけ弱音をはけるのは、その「外にいる」傍観者的な優しさがありがたいから、じゃないかなあ。
モネにはモネの「役に立ち方」があるんだけどな。本人はまだわかってない。

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「私は役に立てている」を喜ぶ先に待っているのは「役に立たない人は不要」という切り捨てか、「役に立たない人より私は偉い」という見下しの道と、「役に立つ場がほしい」という絶え間ない欲求ではないかと思っていて、私はその「役に立ちたい」がちょっとこわい。

「傍観者」同士の…恋?

傍観者同士の菅波先生とモネの、核心に踏み込もうとせず、なかなか距離を縮めない、もどかしい関係性がこのままどこまで続くのか、むしろ最終回まで手もつながないくらいでもいいぞ、と思ってはいるのですが。

でもやっぱりどこかでモネは、「外」から「中心」へ、進むことになるんじゃないかと思うんですよ。恋だけでなく、仕事も、人生も。
「誰かの役に立ちたい」をこえて、「私のために」と、いい意味で自分勝手に、物語の真ん中に自分を据えて生きる日がくる、はず。
「傍観者ヒロイン」が文字通りの「ヒロイン」になるのが、最終回だと思ってるのですが…どうでしょう。

その時隣にいるのは菅波先生でいてほしい、たのむ、がんばれ菅波。今度こそモネに触れてくれ。あなたもヒロインの相手役としてはめちゃくちゃ異質だけど…それはまた別の話。

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と、ここまで金曜に書いたところで、土曜の予告を見てぎゃあああっとなり、そして月曜の朝を迎え、頭を抱えております。みーちゃん…!
モネと違って「外の傍観者」にはなりようがないみーちゃんの苦しみはわかるんだけど、菅波先生にそれをぶつけたらダメなんだよ…。

あーもーみんなしあわせになってくれー。

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