「画面が見えない」のは「努力不足」か「ハンデ」かって話 〜昔話と自分語り〜
12月だってのに、札幌にはまだ雪景色が訪れていません。たまに降ってはいるけど、それでもいつもみたいな辺り一面に〜感は無いですね。まあ、寒いのはあまり得意ではないので別にいいんですけど。車の運転も怖いし。
前置きは程々にして、どうもサトガミです。雪は降らずとも冷えて来ましたね。もうすぐ年明けですし、風邪など引かぬよう体調管理には気をつけていきたい時期です。
さてさて。今回の記事ですが、いつものようなコラムではなくタイトルの通り昔話です。かなり不愉快係数の高い話になるかもなので、そういうのが苦手・嫌いな人はブラウザバックおすすめです。大丈夫な方、あと他人の昔話に興味を持ってくれる優しい方のみ、続きをご覧下さい。
では、よろしくお願いします。
前置き
この行に辿り着いたという事は、上記の条件を全て満たしている方だと思います。そんな貴方に、まずはありがとうございますと言いたい。そして次に、先に謝っておきます。ごめんなさい。
かなり自分語りします。
この話をする上で、まずは私という人間の事を少し知ってもらう必要があるからです。許し亭許して。
私、サトガミという人間は、左眼があまりよくありません。それが先天的になのか後天的なのかも正直分からないです。というのも「これが見えていない状況である」というのに気付くのに私自身相当時間がかかったからです。変な話、右眼が普通に見えている分尚更分かりづらかったのと、左眼だけでもぼんやりとは見えるので本当に見えない訳じゃないというのもあり、学校の視力検査なんかでも「左眼がちょっと悪い子」くらいの認識だったので、それぐらい良くも悪くも「馴染んでいた」んだと思います。
結局視神経が弱いという事に気付くまでに十数年、今では少し特殊な眼鏡をかけたりかけなかったりして生活していますが、勿論裸眼でも生活自体は出来るのでこれを不利だと思ったり自身の障害だと思った事も無いです。そうでも無ければ今ほどゲームが出来てないとも思いますし。
さて、そんな私ですが、これまで私の書いた記事を読んできてくれている方や私と遊んでくれた事のある方なんかは知っていると思いますが、格ゲーが大好きです。FPSやRPG、シュミレーションやらもやりますが、恐らく一番時間を費やしているのは格ゲーです。しかしこの格ゲー、格闘ゲームといえば、瞬発力や認識力、正確さ等が試されるゲームですね。昨今ゲームスピードの速いコンテンツが増えている中で、その筆頭とも言えるコンテンツだと思います。つまり、物事を認識する為に「見る」必要がある訳ですね。
察しの良い方はもう分かったでしょうか。そうです。
「見えなかった」のです。
言い訳
以前記事でも取り上げた通り、私は格ゲーに触れる前からゲーム自体は遊ぶ人間でした。とはいえ、無双ゲーのようなアクションゲーやらペルソナのようなRPGやら、第三者視点かつカメラの動くゲームや止まる瞬間のあるゲームばかりやっていたので、格ゲーは正直遊びづらいジャンルだったと思います。でも、それ以上に面白さが勝ったので今日まで続けて遊べている訳ですが、慣れるまではまあ辛かったですね。
1P側って左側なんですよね。
ぼんやりとは見えるしダメじゃないけど、壁で固められたりとかするともう分からん。「咄嗟に見る」という行為が結構難しいという事はこの時学びました。今でこそ目線の送り方や楽な見方を開拓したり、そもそも眼鏡を使ったりして見れるようにはなったものの、繰り返しになりますが当時はまあ辛かったです。当時P4U2の家庭版で遊んでいた時は、ロビーの筐体の2P側をいつも占領していました。認識してすぐ見る、というのは本当に難しいものです。
というか、格ゲーを遊び始めて本気で「左側見づらい」というのに気付いたのもあるので、良いやら悪いやらですよね、ホントに。
対策と傾向
格ゲーを遊び出した頃、同時期にはFPSの流行り始めでもありました。FPSはFirst Person Shooting(一人称射撃)の略称でもある通り、カメラの向いている方向以上の角度は見えません。後ろから撃たれてたらそれっぽいマーカーが出て教えてくれるし、左右からならその方向からマーカーが出ます。「音を聞いて事前に把握、そもそも撃たれない」が理想とはよく聞きますが、まあそんな大層な領域にも行けずじまいな私は今でも撃たれて死んでから敵の位置に気付きます。それでも今では多少戦えるようにはなったと思いますよ。これでも頑張ったんです。必死に。
ただ、それでも慣れるまでは本当に悲惨でした。「左が見えてねェじゃねぇか!」って感じでまあボロッカスでした。右は兎も角分からんのですよ、左が。なので、当時は仲間が左に来るように立ち回ったりもしてました。
格ゲーに関してもそうです。先述の通り2P側占領もそうだし、左の画面端は飛び道具botになったり移動技とか無敵技振り回したりをやってました。サトガミ少年はアホだったので「コイツらよくこんなに動けるな」と思ってました。今は小さいモニター使ってるんですけど、昔共用で使ってた家のテレビが大きかったのもあって、目で追いかけるのは大変だったんですよね。
努力不足
それはさておき、そんな私と昔はよく格ゲーやらFPSやら一緒に遊んでくれていた友達がいました。彼とはもうあまり親交はありませんが、当時はまあそれなりに仲が良かったのかなと思います。
私が病院に行って初めて自分の目がおかしかったという事を自覚し始めた時、彼にもふと、その話をしました。「どうやら自分の左眼はおかしかったようだ」と。すると、彼からはこんな反応が返ってきました。
「でもそれってさ、実際どうなの?」
「え?」
正直、言葉の意味が分かりませんでした。どうなのも何も、見えづらいという事にそれ以上もそれ以下もありません。私が悩んでいると、彼は続けてこう言いました。
「いや、見えづらいって言っても見えてないわけじゃないし、お前も遊べてた訳でしょ?」
「それはそう」
「じゃあさ、正直それがどうしたって感じなのよ。急にそんな「見えてませんでしたー」って言われても、こっちとしてはどうしようもないし、それで手加減しろとかって訳じゃないでしょ?」
「まあ、そうだけども」
「というか、仮にそれで加減しろとかって言われてもこっちが困るしね。こないだまで普通にやってたヤツに突然そんな事意識しろって言われたってさ。ハンデかって言われるともう、正直怪しくない?それ」
彼の言葉には妙な説得力があり、私は成程と納得するとそれ以上は何も言えませんでした。しかしその一方で、謎の虚無感があったのも覚えています。傷ついたのかと思いましたが、そういう感じでもなかったような気もします。今となってはもうよく分からん感情です。
結局、その話以来彼とはもうあまり親交がありません。しかし、それでもこの事は時折思い出します。最初は「目が見えづらいのはハンデかもしれない」と思いましたし、それならもしかしたら「自分 はハンデを持っているから仕方ない」と甘えた事を考える事が時折あります。しかしそんな時、このやり取りを思い出して「同じ土俵に立っている以上言い訳は出来ない、出来ないのは努力不足の自分のせいだ」とも思うようにもなりました。そういう意味では、彼との会話は貴重だったかもしれません。
無駄話
ゲームで遊んでいる時、たまに「左眼悪いんだよねぇ」という話をしますが、大体適当に流されるのがオチです。変な話、皆も「そんな事言われても知らんし」って感じなんだろうなと思います。ただ、時々それを度外視したような「画面見えてないのか」とか「見てたら分かる」とかって言われると、何とも言えなくなります。ハンデだとは思わないようにしてますし向こうにも思われないようにはした方が、とは思うものの、こういう時は本当に困りますね。私って健常者なのか?障害者なのか?
難しいです。
後書き
今回は少しめんどくさい内容の記事になってしまいました。前回との温度差で風邪引きそうですね。しかし、いつか形にしたいと思っていた内容の記事なので概ね目的は達成出来ました、個人的には満足です。
あと決して勘違いしないで欲しいのが、「こういう昔話があったんだよー」くらいの気持ちの記事なので、気を使って欲しいとかそういうアレでは一切無いです。「そういうヤツもいるんだな」くらいの気持ちで、心の片隅にでも置いて覚えておいて貰えたら充分です。
では。次はもっと楽しい記事でお会いしましょう。
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