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③わが子がダウン症だった(妻の退院編)

病院へ向かう道中、嫌な緊張感をおぼえた。
胃の奥がキュッと締め付けられ、心臓の音が体内に反響するように大きく鼓動した。
ハンドルを握る手は冷たいのに汗ばんでいる。

妻が帰ってくることが嬉しかった。
けれど、妻の本心に触れるのが少し怖かった。
宣告からの二日間をどんな気持ちで過ごしたのだろう。

もしかしたら、悩んでいたのは自分だけかもしれない。妻ならあっさりと全て受け入れているかもしれない。
私たち二人の齟齬はどれ程のものなのだろう。

そうこうしているうちに病院に着いた。
足早に妻のいる病棟を目指した。
途中、今日退院らしき新生児を抱えた夫婦とすれ違った。和やかな幸せをまとっている。
上の子のときは自分もこんな風だったなと思い返す。

病棟のロビーに着き、しばらく待つと妻が支度をして出てきた。

「お待たせ!あー、こんな顔で外出れない!」

妻の顔を見ると、まぶたが腫れに腫れていた。
泣き明かしたのであろうことがすぐに分かった。

聞くと、看護師さん達に優しい声をかけてもらう度に泣いていたらしい。
涙の乾かぬうちに次々と看護師が来るものだから、結果的に土偶みたいな目になったとのことだった。

「同室の人はいた?心配してくれたんじゃない?」
気になって聞いた。

「同室の人はいたけど、喋らなかった。いつも泣いてて、そばに赤子も連れてないワケあり土偶女と話したいと思う?」
妻は自虐的に笑った。
私もつられて笑った。

私はこの二日間で悩み抜いたことを大まかに話した。
一時は最低な考えに至ったことも、子どもを受け入れる覚悟ができたことも。

すると妻は言った。
「私だけが悩んでるんだと思ってた。あなたは子どものことだから、当たり前に受け入れてると思ってた。一人で考えるのが辛かった。」

私たちは、同じだった。
それぞれ違うリングで同じ相手と戦っていた。
「ダウン症宣告」という強大な相手だ。

ゴングがなるや否やの滅多打ち。
強烈なストレート、ジャブジャブ!フック!
何度も顔面とボディに炸裂するパンチ。
ほとばしる血と汗。

耐えども耐えども、止まらないラッシュ。
精魂尽きて膝をついた。

古舘伊知郎が叫ぶ。
「ダウーン!この理不尽なマッチメイクに予想を裏切る結末はないのかーっ!?」

視界はかすみ、歓声は遠のいていく。
ああ、俺はここで終わる。

けれど、負けたら...息子はどうなる?
あの子の親は、俺たちしかいないじゃないか...

「セブン!」
-まだ立てる。

「エイト!」
-命をかけて...

「ナイン!」
-諦めない!

「立ち上がったーっ!10カウントギリギリのファイティングポーズ!腫れ上がったまぶたの奥にはまだ闘志がたぎっているー!さぁ反撃の狼煙をあげろー!」

古舘の実況とシンクロするように、湧き上がるオーディエンス。

まだ終わっちゃいねぇぜ。
カウント10だけは自分の諦めが数えるものだ。だから絶対にカウント10を数えない---

みたいな感じの熱い死闘を、それぞれで繰り広げてきた。(ふざけた例えにしたことを後悔しているが、訂正はしない)

とにかく、妻の泣き腫らした顔はリングに上がった勲章である。
決して土偶などではない。
いや、やはり少し似ていたかもしれない。

今後のことはまた落ち着いて話すことにして、病院を後にする前に子どもの元へ。

NICUに入ると、赤ちゃんは保育器から別室のベッドに移されていた。
保育器での温度管理が必要なくなったらしい。
呼吸器も軽度のものに切り替わっており、点滴も外れていた。経過良好とのことだった。

「お父さん抱っこしてくださいねー」

看護師から息子を受け取った。
2300グラムの小さな体。
弱々しくも確かに暖かい。

顔つきは長男に似ている。
口元は私っぽいだろうか。
目は妻の感じ。
眉毛も薄くて、妻の遺伝だろう。
アゴがシャープで小顔だ。
頭の形も丸っこい。
細いけどぷにぷにしたほっぺた。
手のひらに指をあてると、わずかな力で握り返してくる。

自分の腕の中にいる存在が、とてつもなく愛おしくて可愛かった。

考え続けた不安が吹き飛んだ。
「ダウン症宣告」という強大な相手に一発逆転のカウンターを放った。

ようやく大丈夫なんだと心から思えた。

受け入れる覚悟は決めていた。
けれど、もしも、もしも、可愛いと思えなかったらどうしよう...。
実はそんなことが頭の片隅に棲みついていた。

だから、心底愛おしく思えたことで安堵した。覚悟はもう揺るがない。

「大丈夫。家族みんなで絶対幸せになれる。将来を考えると不安になるけど、先よりも今喜べることを積み上げていこう。」

そんな意味のことを小さな声で妻と交わし合った。

NICUに子どもを残して、私たちは自宅に帰った。
どうせなら妻と二人っきりのランチでも楽しみたかったが、私の身体がまだ食べ物を受け付ける状態になっていなかった。

安堵したものの、それまでの経過で自律神経がおかしくなっていた。
ここから数日は、私の身体に不調が現れることになる。

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次回は、ダウン症を人に伝えていくフェーズに入ります。
少しずつ反響をいただき、書いて良かったなと思っています。
書くことで心の整理ができています。
ただ、ちょっと内容が重すぎるという意見もありましたので、少しふざけた描写も入れてみました。
苦情はコメントまで。

読んでいただきありがとうございました。

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