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農村計画学とは 地域実践科学である 研究者は理論に基づく貢献を

農村計画学は「農山漁村の問題の解決を目指す実践的な問題解決学」とされてきました。しかし、VUCAの時代といわれるなかで、何が「問題」であるかを定めること自体が難しくなってきています。あらためて、現代に求められる農村計画学と研究者のあり方とはいかなるものか、摸索していかなければなりません。そのためにも、これまで農村計画学を築き上げてこられた研究者の方々から学ぶことは多いです。

今回は私の恩師が20年前に農村計画学会へ寄稿された総説を紹介します。

千賀裕太郎(2002):地域実践科学としての農村計画学の課題,農村計画学会誌,21(2),117-120.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp1982/21/2/21_2_117/_pdf/-char/en

問い

農村計画学を地域実践科学に近づけるには?

  • 農村計画学研究者の研究は、“研究のための研究”に片寄っていて、農村地域に十分な貢献をなし得ていない、という批判がある

  • 農村計画学は、農村地域という生きた社会を研究対象とし、地域の将来の姿を描き、その実現の道筋を考察しなけ ればならない計画学である

  • 研究者は、社会の未来像とその実現方策を「計画」し、かつ研究の価値がその計画の実現性によっても評価されざるを得ない、地域実践科学としての側面をもっている


目的

筆者の地域実践における経験をのべ、その上で、農村計画学を地域実践科学という側面から考察する


筆者の実践経験

1988年に農業水利施設高度利用事業が創設され、その実施地区である滋賀県甲良町での指導助言を農水省から依頼された。

甲良町の公共事業において、水辺空間の計画 ・設計を住民の主体的参加で行うという方針の採用にあたっては「4つの懸念」があった。

1.住民は参加してくるか  
住民の参加の成否は、自治体行政が行政姿勢をいわゆるトップダウン方式からポトムアップ方式へどれだけ徹底して転換させるかにかかっている。

2.参加住民の合意形成は可能か
安易な妥協や拙速の多数決が合意形成 なのではなく、十分な時間をかけて学習を行いながら、よりよい解決案を見いだして行く 「プロセス」が重要である。
住民間で意見が対立する場面では、研究者はその専門性に基づいて“第3の案”を提示することもある。

3.良い成果が得られるか
潅漑水路の多面的機能を発現させるためには、利水 ・治水上の観点に加えて、自然生態、伝統文化、生活など多くの観点からの検討が統合されたデザインが望まれる。

4.できた空間は良く利用 ・管理されるか
住民の濃密な参加のもとにつくることで、公共が所有する空間であっても強い愛着や当事者意識が生まれ、工事完了後も住民が互いに論議しながら改善を加え、時を経るごとに空間が美しく魅力的になるというケースが多くみられた。


研究者と地域との関係

1.信頼関係の構築と共同実践
データの移譲や取得には地域との信頼関係が欠かせない。デ ータ取得とその分析結果の公表が地域づくりの実践になんらかの影響を与えることから、研究者は地域づくりの共同実践者とならざるを得ない。

地域内に何らかの対立がある場合に、研究者がいずれか一方の立場に立つことが求められることもあり、“何のための研究か”“誰のための研究か”という根源的な質問に答える必要に迫られる。

2.地域づくりの支援者としての研究者
研究者としての本質的な貢献は、理論に基づく貢献である。

「理論」とは”個々の事実や認識を統一的に説明することのできる普遍性をもつ体系的知識(広辞林)”である。

ある農村での成功事例を他の農村地域が学ぶには、一定の理論化が必要であり、農村それぞれが個性的な対象であるからこそ、研究者に理論的貢献が強く期待される。

農村計画に関する個々の事実や認識を、どこまで統一的に説明できるのかまたそれはどこまで普遍性をもつのか、さらにはどれだけ体系化された知識として整理されているのかが、問われる。


農村計画学の課題

1.地域実践事例の集成
全国各地で農村計画学研究者による農村計画実践が試みられているが,その情報が学会員の共有財産になっていない。

2.教育体系の整備
地域実践を基礎とした研究論文が極めて少ない 地域実践科学としての農村計画学教育体系がいまだに定まっていない

3.研究業績評価のありかた
農村計画学は、生きた人間社会を対象にする学問である。データを短期間に取れるものではなく、研究者の仮説を再現性のある手法で実証することも困難であり、地域には同じものはないため一般性のある原理を見出すことも容易ではない。研究者はこうした制約条件のもと研究を続けている。農村計画の地域実践に関する調査報告を、研究業績としてもっと高く評価することが必要ではないか。


編集後記

千賀先生と甲良町へ行かせていただいた時のことを思い出します。集落のなかを縫うように開水路が張り巡らされていて、ゴミひとつない清らかな水の流れと、いたるところに植えられているお花の明るさから、人の手が加えられていることが伝わってきました。夏場には子どもたちが水遊びをしていて、水のせせらぎと田んぼの青さが涼しさを感じさせてくれます。

こうした暮らしの風景はひょっとしたら失われていたかもしれません。先生方が甲良町に入られる前、実は滋賀県として農業基盤整備事業(圃場整備事業及び灌漑排水事業)の計画が策定されており、道路拡幅によって用水路はパイプライン化され、家の生垣はブロック塀になる予定だったそうです。
どうしても生産性や効率に目が向いてしまう住民の方々に対して、いかに今ある風景がかけがえのないものであるか、また、このまま計画を実行した後の損失がどれだけ大きいかを理論に基づき丁寧に伝え、代替案もあわせて提示していく研究者としての姿勢にとても感銘を受けました。

これらの具体的なお話はこちらの論文にまとめられています。
千賀裕太郎(2016):美しい地域づくり支援の教訓ー滋賀県甲良町の事例ー,総合人間学,10,29-35.
http://synthetic-anthropology.org/blog/wp-content/uploads/2016/08/Synthetic-Anthropology-vol102016-p029-senga.pdf

地域づくりの共同実践者として研究を行うというのは容易ではありません。わかりやすい研究成果も出てきづらいし、客観性という点で突っ込まれるし、現地との距離感をうまく保ちつつ関わることに責任を持たなければならないし…千賀先生が20年前に指摘していても地域実践に関する研究はなかなか評価されないのが現状です。それでも、私は千賀先生の背中をみて研究の道に迷い込んでしまって、その意思を継ぎたいと勝手に思ってしまっている。研究のためだけの研究っておもしろくないなと思うのです。地域の人たちと、あーでもないこーでもないと学び合いながら農村の暮らしの風景を未来につないでいきたい。それができるのが農村計画学の醍醐味だと感じています。

まだまだ農村計画学とはなにか?という問いに対して答えられるほどの思想と実践の蓄積が足りていないので、これからも考えつづけていきたいと思います。


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