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精神科は怖くて恥ずかしい所か?


はじめに

 一般の社会人にとって精神科は怖くて恥ずかしい所のように感じられるかもしれない。内科や耳鼻科や歯科や眼科とは全く異質な感じがする。身体を診るのと精神を診るのでは全く重みが違う感じがする。これは
誤解であると同時に、文化的に考えれば割と当たり前のこと
なので、説明する。精神とはそもそも何なのか、根本的に精神病・精神科をどう捉えるべきなのか明確に示したいと思う。
家族や同僚や知人に精神病患者がいるという人に読んでもらいたい。

精神と身体(日本文化での捉え方)


日本人が考える精神と身体

 大多数は、精神が永遠の実体で、身体は単なる入れ物くらいに考えていると思う。この際、精神は魂、霊魂と結びついて考えられている。
 いや私はそう考えていませんけどね、
という人でも、無意識にうっすらこの霊魂の考え方に支配されている人は多いはずである。割れた鏡を捨てずに放置するのは邪悪な霊が入って来る迷信があるから無理とか、神はいないと思っていても自分で御札やお守りを破ったり燃やしたりするのは無理とか、墓石や地蔵を蹴り飛ばせないとか、案外そういうものである。
 実際、お盆にはご先祖様がキュウリ(精霊馬)に乗ってやってきて、ナス(精霊牛)に乗って帰っていくという話は日本人なら誰でも知っていると思う。文化的に精神(霊魂)は永遠で、こちらが人間の本体のようなものだと考えられているのだ。
 だから、医者が身体に手を加えるのはまだしも、精神に手を加えるのは人間の実体を改造してしまう行為のような感じがしてしまう。
 精神科に行くような人間は、人間の実体が壊れてしまっているということになるから、劣ったような、恥ずかしいような感じがする。

精神と身体(医学での捉え方)

医学での精神の考え方

 精神は脳(など)が作り出すものであって、身体の機能である。
文化的な捉え方と根本的に違うのは、
身体が主体であって、それの制御下に精神があるということである。つまり人間は2つに分かれているのではなく、1つのものだということである。
 ちなみに、甲状腺に異常があって甲状腺ホルモンの分泌が異常な場合にもうつ症状を呈することがあるし、自律神経に異常がある場合にもしばしば精神症状が出る。正確にいうと神経系や内分泌系をはじめ身体全体で精神を作っているのであって、やはり実際に、精神は身体の機能であるということが分かる。
 胃や眼や耳が身体の器官であるように、脳や自律神経や甲状腺も身体の器官である。腹痛がすれば内科に行く、老眼が強くなれば眼科に行く、耳が遠くなれば耳鼻科に行く。それと同じで、精神に不調があれば、つまり脳などに異常があれば精神科に行くのである。
 当たり前のことだ。何ら恥じることはない。怖いのは怖いが、それは他の病気と同じである。

文化はしばしばフィクションであるがしかし

 結局、日本の文化的な精神の考え方は間違っている。精神科や精神病患者について考える限り、日本文化的な精神の捉え方ではいけない。
 (やや面白い余談)
ただ突然お盆をやめたり地獄先生ぬ〜べ〜を焼き払ったりする必要はない。無論 BLEACH も燃やさないで欲しい。私の好きな作品なので。
 重要なのはフィクションをフィクションと知った上で楽しむことである。ハリーポッターは当然フィクションなので、事実だと思って信じてはいけない。9と4分の3番線に突撃したら頭がカチ割れるし、中学生時代友人にアバダケダブラ!と死の呪文を叫ばれた私はこの通り21歳になっても生きて文章を書いている。ただハリーポッターはメチャクチャ面白いので、フィクションだと分かった上で読み、観る価値がある。(余談終わり)
 
日本文化的な精神の捉え方にしても、フィクションだと分かった上で楽しむ必要がある。

終わりに

 以上で、日本文化特有の考え方を無理に現実世界に拡張してしまうことが精神科・精神病に対する偏見の原因(の一端)になっているのではないか、という指摘をしてきた。多様性とか平等とかいうことを理解しているつもりの人間ほど
「なぜ偏見があるのだろう?偏見を持っている人間はどう考えているのだろう?」
ということを深追いしない傾向にあると思う。
多様性や平等の思想は根拠の分からない建前だがこれを信じる潮流に従うのは善に違いない
という骨抜きのハリボテを甘受するようではいけないし、こうした批判精神に欠ける淡い思索を開陳・流布するようではなおいけない。
この記事で詳らかにしてきた偏見の背景は完全に間違っているものであって、それこそ信条の違いだとか多様性だとかで片付けて良い問題では断じてないのである。
 最後に正常性バイアスについても触れておきたい。他の記事で書くつもりであるが、人間の脳は誰しも案外バグるものである。精神が病んだ人間(弱者)とそうでない人間(強者)という二元論はまるで成り立たない。案外、強靭で有能な人間ほど唐突に精神を病むもので、また誰しも病人と健常者を行き来するものである。汽水域に生きる人間もいる。この記事を読み終えて
 なるほどな、(自分は違うけど)精神の病んだ人間というのはこういうものなのだな。扱いを考え直さないといけないな。
と俯瞰して見ているような気分になっている人間は要注意である。得てしてこうしたバイアスに無意識に流される人間ほど思索に厳密生・統一性がないから、ここぞという場面で脆弱なものであると思う。

更新日時:
2023/09/30 11:22; 投稿
2023/09/30 11:32; 「終わりに」そうでない側→そうでない人間 と訂正


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