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教育の現状 ~非常事態に考えたこと~

子どもの担任の先生から電話がかかってきた。
体調確認と学習確認だった。
「何か学習面で不安なことはありますか?」と聞かれたので質問してみた。
「休校中の学習の習熟度の確認はされますか?」
回答は「うー…ん」だった。検討中なのか、考えていないのか、学校単位で決められないのか、否定なのか。
追加で質問した。
「休校分の学習を、学校再開時にされますか?」
回答は明確だった。
「時間が限られた状態ですので、復習よりも先へ進むことになるかと思います。休校中の学習はご家庭でということになるかと思います」
つまり休校中の教育を、学校側は放棄するということだった。
実質的な教育崩壊。学校の存在意義とは何か考えさせられた。

小学校は約2年間、中学校は2年半、高校は3年という期間、学校へ通っていなかった。
理由は体調。学習は家庭で通信教育と家庭教師で補っていた。
おかげでテストの点数だけはとれていて、小学生の不登校時の成績は3段階中の2、中学生の頃は5段階中の2~3だった。
褒められた成績ではない。が、1度も出席していないのに「真ん中」評価に、私は混乱した。
学校とは何なのだろう。漠然とした疑問がずっとあった。

中学3年生の担任が家庭訪問した際、質問した。
「学校に行く意味って何ですか?」
いま思えば黒歴史。自分の体調不良で勝手に休んでるくせに生意気すぎる。
答えは実に不明瞭だった。
「友人関係とか、集団行動とか、学力だけじゃなくてそういうものを学ぶため」
当時友人はいたし、いまも友人でいてくれている。新しく習い事をしたり何らかの集団に所属していた私にとって、モヤモヤした感覚だけを残した言葉だった。
そして大学時になんとなく、学びたいことを提供してくれる教育機関は大切だけど、学ぶ場や材料は他の場所にもあふれている思ったのは覚えている。

つまり、教育を受ける立場だった頃の私は、教育機関の存在意義がわからなかった。
自分の周りにある当たり前のことが、当たり前ではないことに気づいていなかった。

しかし時がたち、子どもを産み育て、シンママになって教育機関に感謝するようになった。
シンママであることを理由にしたくないし、立派にこなしてる人もいると思うけど、家庭での学習は時間的にも体力的にも心理的にも負担でしかなかった。
誰にでも、どんな環境にいても最低限同程度の教育をしていただける機関に感謝しかなかった。
それは再婚して共働きになっても、ニート主婦になっても変わらない。
教育機関が存在することで親には手が回りきらない学びを子どもが経験できるから。学びたいことを学べる、学ばなければならないことを学ぶ場は存在してほしい。
だから子どもの教育が放置され、最悪の場合は休校期間の教育が放棄されかねない現状に危機感が強い。
これは「親」というものにならなければ思わなかったこと。教育機関は必要で大切で、そこで働いて現場をまわしている人たちに感謝と敬意をもちたい。
もちろん、人間だから多少過不足なところもあるわけだけどね。そこまで完璧を求めるのは欲張りだと思う。

あんなに存在意義がわからなかった私が、こんなに頼っていたこと。立場が変われば考え方も変わることを痛感している。手のひら返し。どれだけ厚顔無恥なのかとも思う。

1人の親として思うこと。
親も知恵をしぼって子を守り育み乗り越えるから、教育機関の方々も知恵をしぼって教育崩壊の現状を打破しましょう。
願いは、それだけ。

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