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Urban Retreat

最近、自然の中に分け入って深呼吸していないなあ思いつつ、なかなか遠出する機会がない日々。

休日の午前中に渋谷で用事があったとき、思い切って朝一番で原宿で下車して明治神宮に行ってきました。

朝7時の明治神宮。

明治神宮の開門、閉門は毎月、日の出と日の入りに合わせています。
この日の開門時間は6時40分でした。

朝日が差し込む森の中は、人はまばら。

本殿に近づくにつれ山手線の電車の音も遠のき、鳥の声が良く聞こえてきます。

大鳥居前で朝日に映る自分

都心にあることを忘れるくらいの大きな森。
1時間くらい散策してリフレッシュしてきました。

ちょっとした側道に入れば、もう完全に森の中。
東京のど真ん中とは思えない鳥のさえずりと緑のにおい。
ちょうど朝日が差し込んできました。

やはりこのような自然の中でぶらぶらして深呼吸するのは忙中閑有りでいいなあと実感しました。

とは言え、都心ではなく、遠出して海や山でリトリートしたいなあという思いも。(明治神宮様、申し訳ありません。。汗)

さて、Retreat(リトリート)とは、本来は「宗教上の理由で、忙しい日常の生活から離れて、ひとり或いはグループで深く内省する活動を意味し、数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方のこと」とのこと。(wikipedia)

しかし、最近では「宗教上の理由」ではなく、仕事や生活から離れた非日常的な場所で自分と向き合い、心と身体をリラックスさせるためにゆったりと時間を過ごす新しい旅のスタイルとも言われているようです。

一方で、ローマ帝国の五賢帝のひとり、マルクス・アウレリウスはこのリトリートには一家言持っていて、次のように語っています。

人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでもすきなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。
実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。この場合、それをじいっとながめているとたちまち心が完全にやすらかになっていくようなものを自分の内に持っていればなおさらのことである。

自省録(マルクス・アウレリウス)第四巻三(岩波文庫p49)

この自省録はマルクス・アウレリウス自身の内省を綴ったものであり、公表をするつもりではなく自己との対話の書。

思索をしつつ、自分宛に綴った短い散文集

文中の「君」はマルクス・アウレリウス自身かと思いますが、なんだか自分に言われているみたいでドキッとしてしまいました。

ストア派の哲学者でもあったマルクス・アウレリウス。

一方で、ローマ帝国のトップとして周辺諸国の征圧のため遠征につぐ遠征が続いた慌ただしい人生。その中でしたためた「自省録」の言葉には重みがあります。 

このストア派の「自分の心の中に自由を求める思想」を突き詰めれば、「場所」や「時間」は関係なくなる。

そうであれば、例えば、信号待ちのほんの数分間であっても、そこに“Urban Retreat”のような世界を作ることができるかもしれない。都心、人混みの中で意図的に作り出すちょっとしたRetreatのようなもの。

こう思ったのも、数年前にとある先達とのお話し会に参加させて頂く機会があり、その中でのお言葉がとても印象的だったこともあります。

「『都会には自然がない』とよく言われるが、そんなことはない。そんな時は「空」を見上げれば良い。雲の変化などそこには自然があるのだ。」
「たとえビルの谷間から見える空だとしても、そこには刻々と変化する雲の流れもあり、意識すれば一瞬でも自然に触れることができる。それを君は意識して過ごしているか。」

そして、自分自身の「体」も自然であるということも。

などと、とりとめもないことを思いつつ、明治神宮をぶらぶら。

でもでも、やはり山の中に行って、温泉入って美味しい食事、お酒でのんびりしたいなあ、、というのも本音でありますが。。

#リトリート #retreat #urban retreat #明治神宮 #自省録 #マルクス・アウレリウス


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