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古本とラブレター

久しぶりに何か面白い本はないかなと古本屋さんをぶらぶら。

そんな中で見つけたのが、「西洋思想の要諦周覧」

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年代別、人物別ではなく「テーマ別」の編集。「認識」とか「存在」とか、「価値」とかそれぞれのテーマで古代から現代での系譜が分かるもの。

こういうテーマ別の構成もあるんだなあと思い、また値段も手ごろで買おうかなと本をパラパラめくっていたら、ピンクの封筒がはらりと出てきた。

何気なく封筒を開いてみたら、それは「ラブレター」でした。

文面は

 〇〇さんへ 突然の手紙でごめんね。でも直接だと上手く伝えられないと思ったので手紙を書きました。

から始まり、「好き」という気持ちを伝える言葉と付き合って欲しいとう告白が、初々しい文面で綴られいました。

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そして、書き損じのものや、宛先だけ書いてちょっとひと呼吸したかったのか、そこでペンを置いた手紙も含め9枚の書きかけの便箋も入っていました。

ほんの数文字、数行の文書を書くために緊張し、悪戦苦闘している書き手の姿が浮かんできました。

送り主の名前は書かれていない。

どんな想いでこのラブレターを書いたていたのだろうか。
なぜ、この本に挟まれたまま古本屋に売られたのだろうか。
これらは書きかけの練習で、本当はちゃんと女性に渡せたのだろうか。  結果はさておき、想いをちゃんと伝えられたのだろうか。

なぜ、この哲学書に挟んだのだろうか。

もしかしたら、この本は哲学科の彼女のもので、本を借りた彼が返す時にそっとラブレターを本に挟んで返したのだろうか?

あるいは、やはりこの本は彼のもので、想いを遂げられず、でも自分はその時、確かにそんな想いを真剣にしていたことを、誰かに伝えたくて、自分の「ラブレター」を本に挟んで古本屋に旅立たせたのだろうか。。。

この書きかけのラブレター、古本屋の棚のとなりの本に挟んで置いてこようかなとも思いましたが、なんとなくこの本とセットになっているような、引き離してはいけないような気がし、また自分がその想いを受け取ってしまったような気もして、そのまま本に挟んで家に持ち帰ってきてしまいました。

メールではない「手書き」の手紙は、彼の彼女への想い、ひたむきさ、逡巡する感情、焦燥感などが伝わってきて読みながらなんだかドキドキしてきました。

このラブレター、そのままの「想い」がこの先ずっと本に押し留めらていていいものなのか。。
かと言ってポイと処分するべき物でもなく、丁寧に扱ってあげた方がいいのかなとも思いつつ、、

久しぶりに「せつない」という感情を抱いた春の午後でした。

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