リモートワークで見えてきたコミュニケーションの在り方
私が現在所属をしている会社は、緊急事態宣言の2週間程度前から在宅勤務だったためリモートで仕事をしています。
その中で結構なんだかなーと感じる場面も出てきており、どんなことが起きたか、なぜそういったことがうまれちゃっているのかということを、私なりの解釈を含めシェアをしたく筆をとらせてもらいました。
(前回投稿の記事で「組織における合意形成の難しさ」を書きたいという話をしましたが、一度こちらを優先させてください)
現在所属している会社はスタートアップで、そもそもそんなに終業時間や終業場所にがちがちに厳しいわけではないので、元々カフェで仕事をしたりフレックスを活用したりと日によって働き方の選択が出来る状態でした。
なので、何割の人間とは合わないで協働をするみたいなことは日常茶飯事だったんですが、"全ての社員"がリモートワークになったのが初めてだったので、いろいろと気づきが出てきたって感じになります。
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まず感想ですが、いやー全然違いますね!
コミュニケーションがいかに「忖度」や、空気を読んだ「あ・うん」で成り立っていたのかがわかるなあと、しみじみ感じています。
実際に起きた事象を共有させていただきます。
オフィスで働く・会うということが前提にある仕事の進め方の場合、以下の様なマトリックスが共通認識としてある中で協働がうまれているのではないかなと。
・直接話をする事で出来ること、できないこと
・直接話をした方が良いこと、しなくても良いこと
このマトリックスです。
"オフィス"という共通の場所(空間軸)を持っていると、
「取り急ぎ用件だけ伝えておきます」
「詳細は直接話をします」
「内容とりあえず見たのであとでやりとりしましょう」
みたいな、時間軸をずらしたコミュニケーションが取り易いと思います。
ただ、在宅勤務となると、その共通の場所がなくなります。そうすることによって、人毎にWill/Will not/Can/Can notの境界線が曖昧になり、ちょっとしたことでのコミュニケーションロスや違和感が生じやすくなってしまうんだと思うんです。
あとは、やっぱりこれですよね。
目的と目標を空間軸・時間軸で合意形成をしていく事。
やーっぱり、ここに関して常日頃から意識をして、コミュニケーションを図っていけるかどうかが重要なんだろうなあと。
オフィスをハード面での共通の場所とするならば、
目的・目標に関しての合意形成はソフト面での共通の場所なんですよね。
ハード面での共通の場所を設けられない今、ソフト面の共通の場所は担保していきたい!そんな状況になってきているかと思います。
もう1つ!ここは別途私なりの考察を交えた記事を書きたいなと思っているんですが、 "心理的安全性"ですね。
「1対1、1対多においての心理的安全性が確保できてさえいれば、チームや組織の生産性は落ちない」というデータも出ています。
この言葉って近年特にエンジニア界隈でバズワードになっていると思いますが、単に「言いたい事いえる環境で働きたいよね」「自分の価値観に即した環境で働きたいよね」みたいな表層的な部分で捉えられがちですが、そうではないですよね。
「言いたい事いえる環境で働きたいよね」
→ じゃあ僕も言いたいこと言っていいよね
「自分の価値観に即した環境で働きたいよね」
→ 君の価値観に適した環境を用意するのは会社の責任ではないよね
みたいな話なので、単純に自分が自分らしくあれる状態って訳ではないです。そこに大いなる責任が生じ、そこのリスクを背負いあった上で健全なリターンをチーム・組織の中で得られる様にしましょうっていうのが、心理的安全性が生産性に寄与する本質的な意味だと思っています。
リモートワークが大企業含めてどんどん浸透していくことになる中で、この心理的安全を表層的な部分だけで捉えた人たちでチームが溢れると、間違いなく共通の場所がハード面/ソフト面両方ともなくなるので崩壊します。
そんな危険性もリモートワークの浸透によって感じました。
権利には大いなる責任が伴う
そんなことを、在宅勤務をしている中で感じた次第です。
上述の通り、次は私の考える心理的安全性について少し筆を取らせていただこうと思います。
では、みなさんStay Home!!
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