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疾中日記、プラスα(秋田にて)

<疾中日記、二冊目からの抜粋。>
(warrning!!1万文字以上あり!)

令和5年 9/17
昨日(今日?)で変な日記は終わった。ノート一冊、全部書ききった。我乍ら、変な日記になった。独白、短歌、ショートショート、エッセイ、評論。縦横どころか上下も無尽であった。変態日記である。(詩もあったな、そういや…。)なんか、肩の荷が下りた。変なの、日記なのに。無事、でかすことができた。自分の今の力量、ありったけ注いだ。これが精一杯。将来、小説書くんだろうか?短編小説は書けたけど、中長となると、ちょっと頑張らねばなるまい。少しずつ長くしていこう。しかし!!マスが狭い!!前のノートはもう少し広かった…。ちと書きづらいが、只の日記だ、どうでもいいや。もう10日で転院。沼津、静岡とも左様ならである。熱海に、先生には迷惑掛けてしまった。アホ、バカ。

9/18
朝。敬老の日。もし子供が出来たら、「夢民」という名前にしたらどうだろう?と考えた。(ムーミン)のTシャツ着てたから、思い付きで。子供に恨まれるだろうなあ、とか妄想して一人で笑っている。架空の子供、ごめん。今日も良い日にしよう。
(PM)
く、くだらない、くだらなすぎる…。素晴らしいな、オレ…。
もう二時間で消灯。今日は昼寝し過ぎてダルかった。
多分、雑記はお蔵入りかなーという気がする。
ちと、色んな人に刺激が強すぎる内容である。天の神様、メンゴ。

9/23
後四日。昨夜は夜の沼津を大分長いこと眺めてた。狩野川の反射、沼津の光。来し方と行く末をやっぱり思った。
一体全体、僕は何をしに静岡に来たのか。原因と結果を思った。やはり、結果が全て物語る。自暴自棄の理由に霊的真理を使うとは、良い根性をしている…。愚か、愚か。
そして、迷惑を掛けて帰る。
どうやって自活しよう?なしのまま生きるさ、自分に許された行為は、あまり多くないことに気付いた。それは、自分の愛(受けているもの)を知れば知る程。委ね、生きる。しかし、大切に、自己を慈しみ。
「皆の幸せ」の中に自分がいなかった。それは欠陥だ。正しい自己愛を学ぶ。正しく恋もする。未知の人?既知?分からないが、精一杯愛し、愛されよう。(秋田のCさんは、でもやっぱりイヤだな…。)
自己を大切に、愛す。他人を愛しているように。

9/30
9月の終わりの日。まるで生活から色彩が消えたようだ。静岡が恋しい。
モノクロの花一房を真夜中の孤独な胸の曼荼羅に投ぐ
こんな短歌が、今、最もふさわしい。孤独。
だが、薬を飲まなかった自分が悪い。服薬。
寂しさが酷い。悲しい。淋しい。
だが自業自得である。この悲しみを、運命の処方として、僕は受け入れる。
悟った。自分自身、僕の家族への愛の無さが、僕をこの病院に引き寄せた。「愛の無い同士」として。自分を恥ず。

10/3
10:30~ 床屋。五分刈りにする。(した。)

朝のニュースをコーヒーを淹れ乍ら、チラッと聞いた。
世界の悲しみが流れ込んでくる。
ニュースはネットで充分。TVは「マスゴミ」やな。
世界の悲しみが。

「食レポ」なるものは「お笑い」と同義だと思う。今にアニメのように空でも飛ぶのではないか…。と、歩き乍ら思っていると、可笑しくてニヤニヤが止まらなかった。それを真面目に観る視聴者もお笑いである。
もし、僕が料理人で食リポされる側なら、絶対、吹き出すのをこらえてニヤニヤしてしまうか、恐い顔になるだろう。「おいしくて空でも飛ばないんですか?」と失礼な事を言いそうである。世も末である。
(ちょっと「この世界の片隅に」のワンシーンを連想。退院したら観たいな…。)

院長の初診はどうも、スピリチュアリストとしての僕の誕生に欠かせないものであったが、どう書いたものか…。職員、皆(というか大抵の人は)良い人である。
ロコツに害意をむき出しされたのは27日だけだった。本当の孤独が必要だった。沼津の温熱がなければ自暴自棄になっていたはずである。
許すことにしたが、どうも書かないではいられない仕様である。よって、仕方なしに、手心を加えて書く。

OT(作業療法)で絵画教室へ。キチンとした絵の先生のおられる、かなり本格的なものであった。「院長にも良い所がある」と思わず云いそうになったがこらえた(笑)
いやしかし、実際院長にも良い所がある。院内には絵画だらけだし、美大生への支援的な購入もあるに違いない。絵への愛情だけなら共感できる。(でも握手はムリ。)(コロナだしね!!笑)(ゴッホの画集に感動。しかし、小林秀雄の文章って上手な。実感。タイム誌の比じゃない。)

沼津は愛してる。けど、地元秋田への愛も、少しずつ、少しずつ戻ってきた。それは「人」による所大きい。当然だ、当然。
院長は好かん。でもここで働く人達は好きだ。

10/6
今、16:15。楽しかった!!一日がアッという間だった。
本も面白い(「本居宣長」)、OTも楽しい(バイクの雑誌。カバーの女の子が超可愛かったが、バイクもカッコ良し。)まんまと雑誌の術中にハマった感じだが、なんであんな女子とバイクの相性っていいんだろう?
バイクが男性的な乗り物だから、かな?かなりセクシャルな表現だが、実際に、バイク女子のカッコよさ、魅力は異常である。(そういや、北海道時代、(21の時)、性格が男前のバイク女子いたなー。元気かな?)
母の面会も楽しかった!!相変わらず、ひょうきんでカワイイ(らしい)母である。ジャンクフード(インスタント焼きそば)も久しぶりに食べた。中毒性あるね(笑)まあ、実際色々入ってるんだろうけど。マックと同じやな。

メモ(Motorcyclist 極上キャンプツーリング 2023/11月号)(表紙:竹川由華)
HONDA「GB 350S」
スズキ「KATANA」
やっぱりスズキ、素晴らしい!!車はスウィフト乗ってる。バイクも良い!!スズ菌、かなり感染しちゃったな(笑)デザイン最好。(最高に好き。)

沼津にいた時も、こんなアッという間の日は珍しかったと思う。順応性高いな、オレ(笑)
・・・(笑)の多い日記である…。
そういや、院長の診察もスンナリ受診できた。相変わらず「フランケンシュタイン」とか差別的な言葉は出たが、スンナリ聞けた。
聞き流せはしなかったが…笑
善し!!良し!!全て、全て善し!!
唐突だが、沼津のNさんを思い出した。ニャコ様とか呼ばれてた、とってもオデコがチャーミングで、可愛い女の子。「ニャコ様」の名付け親のHさんには告白されたが、この人も元気かな?きっと皆元気になって又会える日は来る!!(来世かもしれんが…笑)
ほんと、「笑」が多い!!久っさしぶりに楽しい日!!
沼津も、秋田も好き。大好き。

普段はTVなぞ視聴せんが、チラッと素敵女子が見えたので、NHK、「日本百低山」の秋田、田代岳を見た。鳥居みゆきだった(笑)
いや、実際素敵で面白いよ、この女性ヒトは。彼女のGAOはYoutubeでほぼ全部見た。
吉田類さんもジェントルマン!!優しい人柄が窺えた。
俳句も素敵だった。田代岳、素敵なお山だ…。

今日は最初から最後、朝から夜までステキづくしであった。感謝!!
おやすみ!!

10/10
10月10日は目の日?眼鏡の日?どっちでもいいけど、何の日か気になる。今かけている眼鏡はフランス製(トラクションプロダクションズ)。かなり、かーなーり気に入っている眼鏡で、大好き。風呂に入る時も、つけて入る。(持ってかれないか不安で…。)かなりオシャンティ(?)だ。かなりオシャレだ。大好き。その眼鏡をかけて(当たり前だ、ド近眼である…。)朝から読書。万葉集。すばらしい、スバラシイ、素晴らしい!!小林秀雄の「本居宣長」と並行して再読してるから、「代匠記」とか註で書かれているとニヤッとする。自殺した思想家で、西部邁という人がいたが、「教養があると、少しだけ人生が楽しくなる」と云っていた。「少し」だから自殺したんだ、と思う。文の心まで、魂まで推参していれば、自死も救える。彼は本、読めなかった。文字が読めなかったんだと実感。東大の教授までした人だが、文盲だったんだね…。残念。彼がかなり好きで、一時期、彼の本をかなり読んだ。「友情」、「妻と僕」は心底感動した。小林よしのり氏からは離れたが、未だ西部氏は好きだ。この哀れな老害が好きだ。自殺なんかしやがって。思想の当然の帰結だろうが、善人巻き添えにすんじゃねー。バーカ。
僕の目も、心もド近眼だった。だが、自死は捨てられた。これは、スピリチュアリズムによって。心の眼鏡。有難し。
夏目漱石の「草枕」も読んだ。チラッと。流石、と思った。沼津で、中国人の患者さん(Rさん)に「漱石枕流」の説明してあげたっけ…。(日本語教える流れで…。)あべこべだが、良い思い出。「中日友好」とか云ってくれた。良い人だった。(良い人だから、病気になる例はかなり多いと思う。皆優しい。)中国の逆宣伝してるニュース(放射能の汚染水。マスゴミやな。)が流れてると、僕はTVを消したりしてたから、そのことも分かってたかもしれない。同年代であった。彼女の幸せを祈る。沼津、大好き。

10/12
(小さいメモ帳へのメモ)
TVショッピング・・・秋鮭のイクラ。
販売員の方(女性)が、熱を入れて、鮭の説明をしていた。
鮭のお腹がふくれているのを、自分のお腹のジェスチャーで説明しているのが非常に好感度が高く、買えたら買いたいと思うた…笑
現代の日本人は、TVショッピング程にも「ことたま」の力を信じていない。言葉には力がある。魂がある。僕はTVショッピング以上に、この力を信じている。言霊は尊い。あるべき姿で用いたい。

バカなこと、真面目なことを、交互に書いている気がする…。
昔、大阪出身の人に、「大阪の人って面白いんでしょ?」といささかケンカ腰で云ったことがあった…。その人は「そんなことない」と、少し低いトーンで云ってたっけ…。彼女、元気かな?
申し訳ないと、今思っている。ゴメン。届かなくても、ゴメン。
(マッサージ時代。)

10/13
13日の金曜日。ジェイソンさんの記念日。チェーンソーは危ない。ホラー映画とは、罪深いものである。(しかし、草刈り機も危ない。)

朝のTVで、いきものがかりが出ている。大好き。秋田のLIVEにも行った。「コマネチ」吉岡さんしてたのが、印象に残っている。大盛り上がりだったなー。懐かしい。事情が許せば、又ライブ行きたい。
秋田のガラス作家さんの時計、差し入れで上げたなー。手紙(ファンレター)と一緒に…。それも懐かしい。最近の全然聴けてない。聴きたい。
しかし、ガラスはかえって迷惑だったやもしれぬ…。壊れ易いし…。
今更、反省…。恥ずかしいのがこみ上げてくるな…。

秋田のM病院、意外と良い病院で、好印象が勝ってきた。何より、職員の方々が親切で。院長の初診の時はどうなることやら、と我が身を案じたものだが、あっけない程、今は楽しい。今日は秋晴れで、院の周辺を散策して草花に挨拶してきた。隣の神社も遥拝させて頂いた。秋田で今後、どうなるか分からないが、今は楽しい。静岡は素敵な県だった。秋田もそうだと思う。結局、今、爰を決定するのは自分自身でしかなかった。晴れやかな心、今の天気のよう。この心を、導きの神様に謹みて捧げたい。感謝。静岡、秋田、日本中の県(あがた)、都、道、府、全てにも。
「皆が好き」と云える心境だ。

10/14
なんか、色々疲れてきた(笑)階段のウォーキングも一時間近く毎日やってるし、疲労が蓄積してきたみたい。激動(心理的)の二週間だったし、心理面でも色々表面に現れてくるころだ。
日記もペース落す。
昨日のことは書いとく。100円拾った、散歩で!!書くの忘れてた。
今日、お菓子購入。チョコ、うまし。ありがとう、神様。ありがとう、100円落した人。(100万円ならキチンと届けます。)

夏目漱石、「草枕」読了。面白かった!!同時並行して「万葉集」、「本居宣長」、あと「自省録」読んでたから、おならの数を数える云々の記述は大分品下った観があり、参った。だが、面白かった!!再読だが、昔より大分面白い。江藤淳の解説も素晴らしい。
いやあ、実に良い読書だった。

ぬり絵、褒めて下さる人が多い。うれしい。「人柄そのまま」らしい。
だよね、絵って人が出るもんね。ぬり絵もそうかも。

ある時刻、階段を昇り降りし乍らの自問自答。
「耐えなさい」
「はい、分かりました」
「喜びに耐えなさい」
「はい、分かりました」
「悲しみに耐えなさい」
「はい、分かりました」
「喜怒哀楽に耐えなさい」
「はい、分かりました」
喜びは、悲しむ為にあるでない。落す為、上げるのではない。
神は無慈悲か?己の良心はどうであるか?
喜ぼう、又痛みに耐えよう。
命懸けで、文を草す。
皆の命を、愛している。

10/17
久しぶり、といっても三日ぶりの日記。
OTで映画観た。横浜流星くん主演の、「線は僕を描く」。イケメンって画になるなー。ヒマツブシ(ヒツマブシに似ている…。)のつもりが、思いがけず良い映画。思わず落涙、とまではいかないが、涙してしまった。江口洋介氏も、相変わらず良い仕事してる。この人って、主役より目立つこと多い(笑)円熟ってこういうことなんだろな。とっても良い余韻である。良かった、とても。(清原さんも素敵な女優さんだった!!)日本の映画って、素敵なの多いんだけどな。黒沢明は云うに及ばず、ちょっと昔の「100万円と苦虫女」とか。(蒼井優さん、昔から好き。)日本映画は不当に評価低いと思うんは僕だけか…。低予算で、良く作ってるよ、全く。アニメもそう。文化度低いよね、この国のお偉いさんは。フランスがおたくだらけなのは文化度の高さの証明だと思う。インボイスで、あらかたアニメ産業も潰れるんかと思うと、ヤルセナイ。小賢しい。ゆっくり、ゆっくり。気付いた時は終わってる、というね。アメリカのやっこだもん、そら人相も卑しくなるわ。

最近、文章書くと、怒ること多いな…。まあ、いいか…。
そんなことだらけだ、怒ることだらけだ。もう少し、省エネ。

日本の無い世界、地球は物足りない筈である。
それは、亡き国としようとしている米国、中国にとってすら…。
悲しい話だ、自国の滅びが明々白々であるということは。
だが、僕は僕の分限でしか何もできない。
僕の力の及ぶことではない。自国民が、国を棄てるのだ、無関心によって。「愛の反対は無関心」とは良く言ったものだ。だが、精一杯僕は抗う、抵抗する。それは僕の来世に影響する。少しでも善なる果を来世には手渡して上げたい。自分と自分の来世は同じ。だが、全く同じ、という訳にはいかない。分霊、分け御霊である。だからこそ、自分であって、自分ではない。次の自分には、少しでも良い環境を用意して上げたい。頑張る。少しでも、少しでも。沢山悪いカルマも自殺願望によって生んでしまった。申し訳ない。後、何年の人生だろうか?分からない。
だからこそ、明日終わっても良いよう、毎日を人生最期の日として生きたい。
(だが、日本の無い星は、滅ぶだろう。これも明白。)

10/18
今、小林秀雄が熱い!!超面白い!!なんなんだ、これは!!美しい人物(本居宣長)がいて、その分かりにくさ、感動を伝えようとする。これは、かなりな不可能事である。それが「最高の知性」(あえて云う)でなされる。(だが、知とは情であり意だ。どちらも心だ。)
神のごとき人物がいて、それが心に近づこうとするのは、神的な仕事とならざるを得ないのは自明なことだ。美しいなあ。いとど美しい。
母親に書く手紙も、勢い、擬古文(候文)なっちゃう(笑)
人生って面白いなあ。本の、読書の醍醐味を知る、41才の秋である。

10/19
変な夢を見た。中華系の美少女になって、一緒に遊んでいる女の子に恋する夢。夢の中では、僕は男だが美少女(外見)ということになっていて中々切ない恋の夢だった。
思春期、僕はひょんなことで美少女のような外貌になることがたまにあった。女の子より女の子っぽい外見になることが、ごくたまにあった。
今思うと、それは死んだ妹の憑依だったと思う。
心霊研究では、変貌現象と云われるが、そんなことが当てはまる、というか、それ以外では説明がつかない。
妹は堕胎されて死んでいた。きっと、可愛かったに違いない。共に生きていたんだと、近年実感したっけ…。
昨晩の夢は、「忘れないで」という意味かも知れない。実はひそかに名前も僕は付けていた。「香織」ちゃんである。兄が名付け親とは変だが、仕方ない。
ついでに云うと、心霊的には命は受精した時から始まる。故、数え年の方が正確である。お腹の中でも、既に人生は始まっているんだ。故、酷な事実ではあるが、中絶は殺人である。

病院の隣の神社で読書した。石段に座って。少し、しんどい事があった為だが、怪我の功名、といった感じ。
良い場所を見つけた。日拝して、場所をできる時はお借りしようと思う。
しかし、我乍ら、人の悪意に滅法弱いな!!先が思いやられる…。
まあ、良し、なんとかなるだろ。

10/21
本ばかり読んでいる。他にすることがない。
有益ではある。だが、疲れる。休み休み、読む。
年末年始は家に帰る。「メンドクサイ」と母に云ってしまった。
親不孝な発言…。頭に血が上っていた。怒りに負けていた。
冷静に、冷静に。家に帰る。父母を大事に、大切にする。
先ず、自分の非を悟ることだ。でなければ、何も改善できない。
愚昧なのは、自分。だから、怒る。賢くなる。親を、家族を大事に、大切にする。
確かに、院長は酷い。仁医とは云えぬ。だが、その人非人と引き合ったのは、冷酷な己である。不可忘。
このM病院はその意味で、優しいアウシュビッツの様だ。
我々は医療費を搾る家畜な訳だ…。
職員が優しくても、頭が腐ってる。そう云わざるを得ない。
「廃人」「フランケンシュタイン」、共に医療従事者の口から、患者を指す言葉として初めて聞いた。びっくりした。しかも、それが院長、というね…。
世も末である。
正直、疲れることが多い、すごく。でも、頑張る。
頑張らねばならぬ。もう、自分の自覚が足らないでは済まない。
愚かな自分に、愚かな境遇がある、只、それだけである。
小林秀雄の「本居宣長」は下巻に移った。癒し。だが、休み休み読む。

10/22
朝の院外散歩で、院長と会った。車の窓を開けて、「おはよう」と云った。僕も「おはようございます」と返した。
ほんの些細な言辞に、「まこと」は顕れる。悪く思い過ぎなのかも知れない。確かに、初診は酷かったし、差別的な言葉を話す人だが、それだけで院長になれる筈もなし。きっと政治力だけ、という訳ではないだろう。絵の好きな優しい心もあるわけだから。申し訳ない。

母が訪のうてくださった。有難し。いつも母上の幸せを祈っている。祈りの力、とでもいうべきものは在ると思う。今回も、なんとなくではあるが、それと感じた。有難い。父母の、両親の幸せを祈り、願う。

10/23
午後、院外散歩。隣の公園のブランコで読書。右足にしばらくトンボが止まっていた。いなくなったな、と思ったら、左足にいた。かわいかった。
想いは、その時々で刻まれる。時々刻々である。その時を思うと、その時の感情になる。なるたけ、良い想いでいつもいよう。宰領させよう。難しい?当たり前である。そんな時こそ、神に祈ろう。我々も神。
良い想い、良い世界としよう。

10/25
午後、公園のブランコで読書してたら、母が来てくれた。車で来たので、窓を開けて声をかけてくれ、その後降りてきて、ブランコに隣同士二人座って、しばらく話をした。相変わらず、楽しい人だ。孫から「ちゃん」付けで云われるだけある。偶々だが、この世に偶々などない。神様に感謝。とても楽しい午後であった。母の幸せを願って止まない。
沢山、沢山の物と、愛を持ってきてくれた。母に感謝。

「本居宣長」、47まで読み了った所で、唐突に最後の小林氏と江藤淳氏の対談を読み始めてしまった。迂闊だった。ショックのような、感動のような…。(両方だ…。)
50までと補記で終わるので、子供が楽しみを最後に取っておくのと似たような事であったが、ヤラレた。やはり、言葉は話し言葉、と云う。僕は前の日記で、江原先生(江原啓之氏)を「話し言葉と歌の人」であって、「書き言葉」ではない、と書いた。なんてこった、漢才(からごころ)は自分であった。成程、書き言葉とて、声なき声の模写に過ぎない。自分の至らなさ、江原先生の立派さ。それも再確認させられ、ショックだった。笑
いや、この(笑)はいらない。
再読して、感動がでかい。先に読んだ時は、理解、否、理会できず、訳の分からぬ「美」に感動したが、理会すると尚感動が酷い。思想、哲学、学問とは、面白いものだ。学校教育はこの道にない。分かり切ったこと。それもなんだか、しみじみ悲しいことではある。まあ、良し。
この感動は大事、大切だ。本にチューすると嫌がるだろうから、拝ませていただく。おろがむ。まだ、残りの文章がある。嬉しい。上、下と文庫は分かれているが、上巻の有無を言わさず感動に巻き込んでゆく書き様と比べ、下巻はやや冷静な分析を感じる。これは、昼の太陽と、夜の星座のごときもので、優劣の問題でなく、好みの問題だ。
だが、通して読まないのは勿体ない。そんなことを、下巻も終わりの方に差し掛かって感じている。

10/26
母の幸せを願うのは、いつものことだが、久しぶりに姉のも祈った。なんだかんだ、優しい姉である。申し訳ない。

今日は公園で逆上がりした。足をばたつかせて、なんとか成功して、勢い余って後ろ向きに仰向けで倒れた。可笑しくて、一人で笑った。通りかかる人もいたから、見られていたかもしれない。まあ、良し。
楽しかった。

不図した思い付きの考え。人間とは恐ろしいものだ。亡くなった政治家で、I氏という方がいた。都知事にもなったが、霊の世界を知ってなお善にならず、却ってそれらを悪用したような人である。まっこと恐ろしい。その愚かさが恐ろしい。死の間近には、悪夢ばかり見ていた人である。自分の行く先を見ていたのだ。人間とはそこまで愚かな生き物だと、その見本を見せてくれた意味では善である。だが、霊を知ったら普通は死後の行く末を考える筈である。よっぽど馬鹿でなければ、善であろうと努める筈なのだ。このI氏は悪い例であるが、江原氏のように、途方もない額を寄付して、しかも驕らない人もいる。普通は江原氏のようになる筈だ。霊の世界を面白おかしく取り上げる人達の罪は深い。江原氏のような善人がTVに出れない。世も末であり、終わっている。罪科重畳せり。「マスゴミ」とは良く云ったもので、TVを見るのも聞くのも苦である。早く退院したい。

10/27
朝、院長の診察。嫌いではなくなってきている自分がいるが、スピリチュアリズムを貶されたのだ、嫌いである、と頑張っている自分もいる。可笑しい。まあ、色んな立場の人がいるよね、と諦めてもいる。当然だ。外泊の許可が出て、11/1~3に家に帰る。夏以来、久しぶりの実家である。母の作ったカレー、だまこもちが食べたい。稲刈りも終わったので、新米。絶対に美味しい。待ち遠しい。キリンにはならないが、首長族二人分くらい、首は長くなりそうだ。

内館牧子女史の秋田の本を読んでたら、動物園に行きたく成った。11/1に、開園していたら行きたいと母に伝えた。「キリン」が思わぬ所につながった。自分が行きたいのと、親子で行きたいのと、両方ある。一石二鳥である。親だけでは何処へも気軽に行けまいと思う。紅葉の時期になったら、(というか、その時期だ)、山でもどこでも行きたい。一緒に行きたい。母を、父を、もっと笑顔にしたい。

己の穢さ、醜さを知らで、いかに己を浄くせん。是、難きこと也。
先ず、己が穢れいみじく知らでは、仕事、神のお役に立つは叶はぬこと也。されば、苦難とは己の穢れを知る上で、真に有難き、神のわざ也。
お役に立つことがすなはち喜び也。あやまつこと勿れ。苦しみを厭うこと勿れ。誠のうちに、喜び自ずから生ずるもの也。
現世にあれるは、穢れある故なれど、穢れ祓いもてゆくそのうちに、真宿るもの也。
理、混じこり易きものなれど、しかと見よ。直知、さかしら、混じこり易し。

10/28
小林秀雄「本居宣長」、再読、読了。自然、手を合わせた。後、拍手した。先は本居氏に、後は小林氏に。
文章は煮え切らない形で終わっている。が、それは予期されたものであったろう。今は、はっきり分かる。終わっていないことが、終わっているのを提示している。不思議な本。この本の昧読は、日本語を母国語としなければ、不可能だろう。そういう性質の本だ。世界的であり乍ら、世界的であることから、断絶している。日本語とは面白いものだと思った。成立からして不思議。漢字すら自家薬籠中のものとしてしまった。
よく、ハングルも漢字残せばよかった、と議論される。馬鹿を云う。こんな不可能事、日本人にしかできまい。太古の日本人は偉かった。今の体たらくを詫びる。

10/29
万葉集も読んでいる。恋の歌も、挽歌も、悲しいものが多い。というか、読んでいると自然、同化してしまう。昔の本って、面白い。源氏物語も読んでいる。これはばっちり「本居宣長」の影響である。入院生活は沼津と異なり、孤独だ。だが、その分、読書がはかどる。本の内に対話を求める、という感じ。格好つけだが、その通りだから、仕様がない。
今日も、公園でブランコに乗り乍ら読書した。トンボが右手に止まったり、開いているページに止まったり。その都度、「どいてよ」と云ったり、飛び立つのを待ったり、中々楽しかった。
何かが無ければ、何かで代わりはきくもの。
淋しいけど、それも善し。

10/30
今日もトンボと読書。秋。

母親がスズキのスマイルが欲しいと思ったけど、200万もするから無理だったと云ってたのを思い、切なくなった。買って上げたいが、僕には今はムリ過ぎる。某ファーストフードで、「スマイル0円」とか云ってたが、こっちのスマイルは200万円…。逆ならいいのに。ファストフードの店は大変になるだろうが…。

神頼みしかない!!ということで、真山神社に絵馬を奉納して、祈願することにした。(割と、否、かなり本気。)

文面(ひがごとなかりせば、吾が母に、スズキのスマイル(200万円)を授け給え。 垂乳根の母に笑みをば給へかし真の山の神に乞い宣る)

今回、11/1~3と帰る。その期間にお参りし、帰秋の報告と祈願をさせて頂こう。(多少厚かましいやも…。でも、誠の心である。)

10/31
朝、納豆。そこで一首。
納豆のネバネバ味のキスをして この秋晴れの大空の下

昼。公園で例の如く万葉集。ブランコでお尻が痛くなった。
秋晴れの良い天気である。外で読書も一興。
秋だが、春の梅の短歌を読むと気分が春になる。文章とは不思議。千五百秋ちいほあきを越えてくる。昔の春は花粉症も無かったろうが、その分他の苦労も多かったろうと、山上憶良の病気の文を読んで実感。イコール同じ、てことかなあ。変わるのは風俗だけかもしれない。(やらしい意味ではない、念のため…笑)

夕。(といってもおやつの15:00。)テニスコーツの音楽を聴いてた。この空気感、好きだ。テニスコーツの音みたいな文章が書きたい。
おやつは50円以内に収まった。Youtube、好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。要するに、愛ではない。愛はない。
けれど、愛の無い中に、愛を入れることは出来る。容れ物。だから、意図の通りであって、そうではない。これは確信してる。

やっぱり、ワゴンR(スマイル)の祈願は止める。神様に失礼である。只今のお礼参りに留める。フト、思い付いた。この「フト」が肝腎。たかが車である。もっと母にすべきことは沢山ある筈である。
危ない、危ない。
明日、久っさしぶりに家に帰る。迷惑かけっぱなし。申し訳なし。
けれど、嬉しいのが勝っている。早く朝になれ。

11/4
11/1~11/3まで、外泊。楽しかったが、濁流に吞まれたようでもあり。一泊二日で良い。
母に申し訳ないことをした。今迄もずっとしてきた。これからは、少しでも安心してもらえるような生き方をしたいが、ムリならムリなりに頑張る。考え方、哲学が、家族で一人、異質なのは理解できた。だから、ムリはムリなりに。
「愛」が必要である。どんな思想・信条も、愛の無いものはクズだ。僕に欠けていたのは、家族への愛。世界への愛を叫んだとて、空しい。しかし、家族と一緒に住むのはかなりストレスフルだ。考える。

宮沢賢治の詩を、公園のブランコで読んだ。「春と修羅」一集、全部。この人が好きだ。煩悩にまみれた自分を思った。
本来、もっと清くなれたはず。もう40代。
心を洗われたのだ、責任をもって、世界を清める。
世界は昏い。暗い。その世界を選んだ。この世界にしたのは、私自身だ。自分への愛があるなら、清める。できる筈だ。
少なくとも、自分自身を汚さない。自分を清める。
自分と世界は、誇張なくイコールなんだ。
自分を愛せずして、世界への愛も平和もない。
世界を、自分を、救う。
少なくとも、来世の自分を、救う。
来世はもっと、ましな人生を自身に贈りたい。ましな世界を。

11/5
姉妹に転院時別れた時から、一度きりも電話していない。
申し訳ない。気が怒っていた。怒りも収まった。10円玉が足りたら、一度それぞれ電話しよう。詫びる必要もなし。只、声を届ける。退院が決まったら電話しようと思っていた。それではダメだ。絶望的な関係を修復した、母の顰に倣う。
なんだかんだ、迷惑をかけているのは僕の方なのは事実である。
素直に、謙虚に。
今日も秋晴れ。ウカラヤカラの幸いを隣の神社で祈っている。祈りに違うことなく行動しよう。自分に素直に、良心に正直に。

世界は終わったとしても、自分の魂は続く。魂は、次に続いていく。これを知っていることは幸せなことだ。世界の終わりも、粛々と、焦ることなく行動できる。恐らく、この国は終わって、それ故に、この世界も終わるのだろう。だとしても、気長にいこう。少なくとも、その滅びの直接の原因となることはなく、それに抗いつつ僕は去ることになるのだから。
これが幸せでなくて、何が幸せだろう?心の視力が、僕らにはある。

どうもイケない。家族とどうやって縁を切るか、そればかり考えてしまう。家族は僕にとってストレスだろうが、家族にとって僕はストレスに違いない。取り敢えず、距離を取る。丁度良い距離を見つける。くっつくか、切れるかの二択は幼稚過ぎる。今迄が幼稚過ぎたのだ。ちゃんとする。

詩を久しぶりに書いた。詩と短歌のノートを作った。
分けた方がやっぱりやりやすい。

11/6
やっぱり、電話はしない。ムリクリ気持ちに嘘を付いてかけたって、それは伝わる。退院が決まったらで良い。メンドイのもあるし、申し訳ないのもある。どっちでも良い。歩み寄るっても、ムリは祟る。ムリしない。今迄の反省は活かしつつ、ムリせず行動する。

家族とは距離を取りつつ、不即不離の関係が心地良い。そのことにやっと最近気付いた。今、41才。数えでは42才。厄年。厄年のメカニズムは分からない。運気とか何とか、どーでも良い。バイオリズムはある。家族云々が厄災の遠因であるのは間違いないが、それとて、自分自身の問題だ。先ず反省し、気を付けるべきは自分の行為、言葉、思考。それを改めるための鏡が家族であるが、正直、辛い目にあわせ自分自身も辛い目に会っている。反省しきり。
これを活かせずんば、全くもって、終わっている。人生が終わっている。
活かす。正しく活かす。人生を、正しく生きる。
そうすれば、少しは喜びのある人生となる。
グループホーム等、ある程度距離を保てる場所が望ましい。
それがお互いのためである。
(生活保護も薦められた。下の下策である。さすが院長だけある。)
(非道い病院、非道い医者だ。それを引き寄せた自分の因果、波長を悔いる。)
ケータイもauのものを新しく契約する。新しい番号で。きちんと移行できるようになったら、家族にも教える。切らない。

11/7
風の凄まじい日である。僕は過去の出来事や、したこと、したかったこと等を思い、又、思いに捉われ、風の荒む日を過ごしている。
オーガニックのインスタントコーヒーを飲み終わった。後味の良いコーヒー。さすがオーガニック、というコーヒーだった。インスタントでも違いは如実に出る。インスタント人間だとしても、心はオーガニックで生きたい。
なんじゃそら。書くと心が休まる。鬱屈した心が少し晴れる。早く退院したい。が、焦っても良いことは一つもない。じっくり、じっくり。気が付いたら、もう、午後4時近い。なんだか、入院疲れの日々である。たまの外泊も、入院が長いと疲れる。
もう、入院は最後にしたい。可能なら。薬を服薬しても入院するなら、仕方ない、僕の場合は。服薬しなかった。もうする。副作用がなんだ。イヤな人と鼻突き合わせて暮らすのは、酷く、酷く疲れる。

随分と、入院生活で嫌な想いをしていると思う。
けれども、心の声は云う。
「それがあなたのした事だよ」と。
自分のことを知る。
カルマとはありがたい。
自分の酷いところを知らないなんて、悲しいこと。
きっと、まだまだあるに相違ない。
だが、自分のこと。僕は頑張る。

11/2、真山神社にお参りし、帰ったご報告をさせて頂いた。
やっぱり、この男鹿の神社が、男鹿が好き。
序でに絵馬を奉納させて頂いた。それに書いた短歌。
「垂乳根の母に恵みを給えかし真の山の神に乞いのる」
車は願わなかった。母の幸せを願った。
母の幸せは、僕達きょうだいみんなの幸せだと思う。
手段が出来たら、姉妹に電話する。
正直、三日間で相当ストレスもあった為か、お腹まで下してしまった。
先が思いやられる…。
グループホームが最善かもしれない。お互いにとって良いと思う。
距離が今、必要だ。

11/8
グループホームが最善と思うが、実家からデイケアに通うのも頑張ればなくはない。母に相談して決める。

今日は、沢山ゴミ拾いした。なんと、秋田市のゴミ袋が捨ててあった。それで拾ってくれよ…。二枚分、拾って、ゴミ捨て場に捨てた。(プラスαも。)手が汚くなるので、病院のトイレで洗ってから帰った。
ちょっとは罪障も消えてくれる筈…。気持ち良い午前であった。

万葉集、大部であって、中々読み了らない。短歌も多く、内容も濃い。印象に残る歌は、矢張り人麻呂だったりする。神だ…。
「本居宣長」で鍛錬されたためか、古文が以前より読める(笑)
良かった、読んで。良い読書、楽しい読書は身になる。嬉しい。

そういえば、昨夜はきょうだいゲンカした夢を見た。姉妹vsオレ。そのまんまやん。やっぱり電話しなきゃ。これは警告と受け取る。危ない、危ない。

夕食時、職員に無作法されて怒りが中々収まらない。困った人だ、自分も、彼も。ケツの穴が小っちぇえなあ。けれども、食事中の食事の上ごしに薬をやって平然とする神経が分からん。人間扱いして欲しい。食事は美味しいことが多い。しかし、食器をポリバケツで回収したり、今迄の病院では無かったことも多い。「食」こそ、人間の人間たる所以ではないか?そこに人間の尊厳が無いのは、一事が万事として間違いではない。この病院、やっぱり嫌い。院長も、職員も、今迄になかった行為をし、言葉を吐く。人間として扱って欲しい。田舎の病院の、山がつが心の看護師のしたことだ、許す。
無知と、親が悪い。

11/14
日記欲、というものがあるとすれば(ねーよ)その欲も薄れてきた。左肩が四十肩だし、灰色の生活がさらに曇りそう…。まあ、いい。なるようになる。大丈夫。(右肩じゃないし…。)
小林秀雄の対談集を読んでる。折口信夫氏の所を読んだら、編集者が割って入って、うるさいのなんの…。何だこの人?と思った。素人が素人を自覚せず、文人気取ってやんの。他の人のとこにも出てくるのかなあ…。出てきたら飛ばす。

誰も彼も、偽善者に会う機会が多い。本で迄偽善に会う…。情けないな、僕が引き寄せてんだ。勿論、その中でキラリ光る人にも出会う。それは心底嬉しいことだ。

11/18
日記欲が乏しい。ドラキュラみたいに日記欲が欲しい。ドラキュラは日記書くか知らないけど…。

退院が決まった。良かった。自分で色々調べなければ、来年も入院している所だった。酷い医者。自分を守るのは自分。シャンとせねば。

で、結局、姉に電話し、つながったので少し話をした。色々書いたのが申し訳なくなる。良い姉である。ちゃんと恩返しする。弟の恩返し。妹には夜また電話する。

11/19
昨晩は妹とも電話つながった。良かった。姉妹とは思想・信条は本当に違う、かけ離れている。
けれど、それでも仲良くやっていけると思う。それで良いのだ。風の強い日である。今日は外に行かないで部屋で茶でも飲んで過ごす。このノートもあと5ページ。最後のページは書いてもらえるか不安だろう。けど、多分書く。白いままにはしておかない。安心していいよ、白いページ。ちゃんと書くよ。
白いページが安心した所で、無農薬の茶でも飲むか…。本当に美味しい。濃くて苦い時でも、ほんのり甘い。贅沢である。ペットボトルのお茶が飲めなくなるよ、ホント。

変な日記…。きっと書く人が変に違いない。
母上が釣りがしたいのを思い出した。釣れなかったが、糸を垂らしには行ったみたいだ。魚、一匹でも釣らせて上げたい。退院したら、釣りの勉強もしようと思う。
(やっぱ、やめ。ムリに付き合って良いことは一個もない。)

11/20
やろうとして、やめて。やめたのに、やろうとして。
そんなこんなが多過ぎる。
優柔不断、というヤツか…。これがそうなのか…。

片淵須直監督が新作作ってるの、今日知った。
アリーテ姫はDVD買った…。楽しみしかない。
清少納言の映画っぽい。枕草子は酒井順子訳で読んだ。笑
超面白かったけど、映画はどうだろうな…。才女って苦手なイメージ。けど、イメージだけで、実際はお話とかしたら面白いんだろな。
(片淵映画は信頼してるけど、才女はどうだろう、実際?)
人は生きてきた。これからも生き続ける、かもしれない。
よい世界、少しでも良い世界を、後の世に渡したい。
そんな思いを改めて感じた予告編でした…。
今回も素晴らしい映画の予感…。

デイケアの案内の人が来た。テケトーにやる。適当に。
本当に悲しいものが、人生には沢山ある。ありすぎる位ある。
それらをこなすので精一杯である。頑張る余力などない。
テケトーにやる。

母が来て、又ブランコでお話しした。途中で雨が降ってきたので、病院迄公園から車で送ってくれた。
良い母である。良い思いをさせて上げたい。
善良である。祖母も優しかったが、祖母程ではなくても、とても優しい。祖母はちょっといない位素敵な人だったので、較べるのは酷だが、母上も中々優しい。
僕も優しくなりたいが、ムリである。僕は僕で別のことを頑張る…。ちょっと思い付かないが、まあいいや。

11/25
23、24日と、家に帰ってきた。一泊二日。楽しかった。少し疲れ、少し食べ過ぎたが、良い、楽しい疲れだった。昨日帰ったが、病院はやっぱりシンドイな…。これを最後の入院にする。薬ちゃんと服薬する。

母は少し話し過ぎだが、聞いていると楽しい。いっぱい聞いても疲れないようになりたいが、ムリっぽいので、程々にブレーキかける。

さっき見た光景。トイレで、ズボンから何から全部下げて、下半身後ろから丸見えでおしっこしてる人がいた。当然のように、手も洗わないで出ていった。素晴らしい教師であると思った。僕は耄碌してもキチンとできるように、正気の今から、キチンとしよう。(しかし、彼は耄碌していないようであったが…。)こんなこと書くと汚いが、小便も大便も、手を洗わない人達である。中には洗う人もいるが、逆だろう、と思う。それで食事の時アルコール消毒しても効果あるんか…。否、そんな人達の為の消毒である。いづれにしても、汚い病院だ。

11/26
パラペンフリーの化粧水なくなった。容れ物も感謝して捨てた。今履いてるオニツカタイガーのシューズもそろそろお別れの感じだ。スリッポンは23日にお別れした。全て過去になる。沼津も、熱海も。

いやしかし、新しく買ったハンドクリームと化粧水、どうしよう。おもいっきり「メチルパラベン」て書いてる。使いたくない。
使わないでしまっておく。どうしても仕方ない時に使う。そんな物だらけで、悲しくなる。世をはかなむ。食品添加物、化粧品、果ては赤ちゃんの粉ミルクに至るまで、日本は毒の掃き溜めである。夢の島かよ。ヨーロッパなんかで規制が厳しくなると、日本にいっぱい来る。マーガリンなんて、食べてる国、どこもないのに…。トランス脂肪酸(食べるプラスチック)さえ流通させる、米国の属国である。

そういや、風車もそうだ。公害でヨーロッパでは訴訟が多いと聞く。今更日本だよ。いや、日本はそういう国なのだ。地元の男鹿市でも、実家の近くにバカデカイ風車が立つ。説明会は二回きり、市長も「知らなかった」と云うタヌキぶり。バカにしてる。ヨーロッパやアメリカなら一揆だらけだよ。みんな寝てる。いい加減、目を覚ませ。

11/27
やっぱりハンドクリームも化粧水も、捨てない。使うことにした。頼んで買ってくれた母に申し訳ないし、ハンドクリームも化粧水もかわいそう。中身が入ったまま燃やされるなんて、悲しすぎる。
けど、ハンドクリームも化粧水も、使い切ったらもう止め。
(やっぱすてた…。ゴメン…。)

もうすこしで退院である。色んな人がいた。沼津の病院も、M病院にも、感謝。M病院は色々書いた。サイアクな人もいた。けど、色んな人が居て当然じゃないか、当たり前じゃないか。色んな病院、色んな人がいる。ひとくくりにして、否定したくない。その意味で、M病院にも感謝である。
ゴメンね。僕のことも許して。僕も皆許す。
もう三日寝たら退院。11/30に。気を抜かないで過ごす。

11/28
今、18:00近く。夕食の時間少し前。
今日もブジ終わりそうである。明後日で退院かと思うと、辛かったこのM病院も名残惜しい気がしてきた…。多分、気のせいだ…(笑)早く退院したい。もう二回寝たら退院である。嬉しい。

11/29
退院までラス1。コーヒーがオーガニックなのに、美味しくない。いや、うまいけど、ちょっと酸が強い…。なんなの?と思っていたら、元のビンのコーヒーの味だと気付いた。混ぜなきゃ良かった。袋のままで、ビンに入れなきゃ良かった。や、おいしい、おいしいけどさ。
ほんのちょっと、絶妙に気になるラインの味…。残念至極である。

だが、分かった瞬間、快感だった。「謎は全て解けた!!」なんて云っちゃったりして…。「全て」といっても一個だけの謎なんだけどさ。

沼津の病院で一緒だったHさんのことが妙に思われる日である。連絡先教えて上げなかったのは、やっぱ正解かもね。面白い女の子だった。「女の子」といったってアラサーなんだが、一回り違ってれば「女の子」だよね…。
もう僕も40代前半。良い10年間にするぜ。充実した50代のために!!(ツッコミが欲しい…。)
だが、正直、病気同士、フィーリングが合う、合ってしまうのはある意味で当然すぎるくらい当然なことなんだ。
僕は病的な状態で他の女の子(Fさん)に告白した。(それはナシだ。)そしてHさんからは告白された。(それもナシだ。)
病院は近い。近すぎる。距離感が測れなくなる。多分、両方の告白はそれ故だ。(だからナシ。)
病気から回復して、異常が正常になって、それでも告白したろうか?(或いはされたろうか?)しかし、社会生活の中にいると感覚が鈍麻するのもある必然だ。我々(メンヘラ)は感覚の鋭敏さ故に病む。病んでしまう場合がすごく多いと思う。それは沢山のメンヘラ同士と話しても分かる。センシティブ。すごくセンシティブ。Hさんもそうだった。彼女はきちんと社会生活できたらモテるタイプだ。それができないから、僕なんかに告白して、オマケにフラれるのだ。面白いもの。モテないハズない。頑張れ、と思う。恋愛云々じゃなく、人生を。それはお互いそうだ。誰だってそうだが、我々は特にそうかもしれない。メンヘラに愛を…。笑
Hさんの幸せを少しだけ祈る…。(ツッコミが欲しいな…。)

明日、11/30には目出度く退院。日記も続くかは分からない。
だが、このノートは最後のページ。自分で自分に拍手。こんな書くのは人生初めて。二冊もノートが埋まる!!エライな…。
もっと書こうと思うよ。今まで書き落したこともいっぱいあったかもしれない。兎に角、これからは、ナルダケ書こう。ナルタケ続けよう。
心象スケッチ、と宮沢賢治は云う。けれども、心象スケッチじゃない文章なんか、ありえない。沢山の心象が僕に訪なう。沢山の心象が。なるべくの心遣りと、精一杯の愛で、一生懸命書き留めよう。描こう、心象のスケッチを。幸い、短歌なんかも作れる。短歌もキチンと勉強したいな…。

なんか、ダラダラしてきた、文章が。それもその筈、白いページを埋めるタメに書いている。白い余白がカワイソウだから。
「イヤ、それ位だったら、書く方がカワイソウだ。書かないでくれ。」
と云われた気がする。余白、ゴメン。気を使って、気を利かせられなくてゴメン、余白。
余白、なんか良いペンネームの予感…。シュガー恭介、ごめん。

自分が余白になったところで、止める。サヨナラ、ノート。左様なら。

by 余白

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