「渇いたkiss」を通じて伝えたい、Mr.Children桜井さんの天才さ
Mr.Childrenのボーカル、桜井和寿さん。
その歌唱力もさることながら、作詞作曲でも才能を遺憾無く発揮されている。
今回は、楽曲「渇いたkiss」の歌詞を国語的に考察して、桜井さんの凄さを紐解きたい。
Mr.Childrenに興味がない方でも分かるように解説していく。
「渇いたkiss」の趣旨を一言で表すと、「オレを振ったことを後悔してしまえ!」ということになる。
それを踏まえて、一番の歌詞から順に見ていきたい。
一番のAメロで、「冷えてきた男女関係」を示している。ここの「生温い」が秀逸すぎる。「少し前までは温かさがあったんだけど(仲良かったんだけど)、今はその時から比べると少し冷えてきた」という意味を含んでいる。
男女関係に「生温い」という言葉が使われることがあるか?既にこの時点で天才である。
一行目をよく分析すると、主語が「生温い空気」、術語は「連れてくる」である。そう、「擬人法」が使われているのである。一行目から国語の技術がふんだんに使われている。
続いて一番のサビのフレーズ。ここを国語的に見ると、「形容詞+名詞」が二つ使われている。
ここをあえて長々と説明するなら、「相手(女)は、僕(男)と別れるという揺るぎのない決心をした。僕はそれを察して、つい顔が凍りついてしまった」ということになろうかと思う。
しかしそんな長ったらしい文章を歌詞にする訳にはいかない。ということで、「揺るぎのない決心に 凍りつく顔」という短いフレーズを使ったのではないかと考えられる。それでいて、意味が過不足なくきちんと伝わっている。ううむ、天才すぎる。
二番のAメロ。出ました、再び擬人法。「くたびれた」という修飾語までついていて、頭に情景が浮かんできそうな表現だ。
ここで考えてみたいのが、「くたびれていて、雨に打たれているのは本当にスニーカーだけなのか?」ということである。
もっと言うと、「スニーカーというのは僕のことを表しているのではないか?」ということだ。そう考えるとここは擬人法だけでなく隠喩も含まれていそう。国語的な技法のオンパレードである。
続いて二番のサビ。ここは冒頭で述べた「オレを振ったことを後悔してしまえ!」という主張が強くされている。
女から別れを切り出されて、憤りを感じている場面である。
しかし「僕」には未練があるようで、続くCメロに繋がっている。
相手との思い出を忘れようにも忘れられない、忘れようとするその行いが辛い。そういった感情だと推測する。
ここで「度」という言葉に着目したい。「度」と言っているからには、「総ての想いを絶ち切ろうとしたことが複数回あって、その時は毎回」というニュアンスがあるように思える。
もっと言うと「総ての想いを絶ち切ろうと何回もしているのだけど、それがうまくいっていない」ようにも読み取れる。
「僕」の苦悩する心情を吐露しているのである。
ラスサビのフレーズ。「誰かの腕に抱かれてる」シーンを想像しているため、「僕」は相手のことをある程度は諦めたようである。
しかし、「オレも別の相手を見つけるぞ」ではない。未だ未練があるのである。
「胸のどこかに僕の傷が残っていて、それが疼けばいい。僕の爪痕が残っていて、それが君に悪さをしてくれないかなぁ。」そんな言い草である。
ケロイドとは傷が治りかけのときの状態を指す。よく考えてみると、ここでも微妙に擬人法である。つまり、「ケロイド=僕」であり、瘡蓋に埋もれてでもいいから僕の何かが体に残っていて欲しい。そう言いたいのではないかと考える。
そしてそして、見逃せないのが「生乾き」という言葉である。そう、一番に出てきた「生温い」という言葉と雰囲気がよく似ている。
しかし意味は少し異なる。「生温い」は仲が冷えてきた様子を表していた。
一方「生乾き」ということは、乾きつつあるけれども、まだ完全に乾いていないのである。その「微妙に残った感じ」を、ケロイドという擬人法も使いながら表現したかったのではないか。
奥が深すぎて、カラオケで歌っても周りの人が理解し切れなそうなところがMr.Childrenっぽい。
ライブでこの曲が演奏されることを願っている。
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