同じ場所に留まってたってやりたいことはわかりません
「やりたいことがわからないんです」
最近、このフレーズをよく聞きます。学生たちの相談にも乗ったりします。
なんだろう、時期的なものなのかな。就活始まるタイミングだし。
でも何も就活時期に限ったものでもなく、普段の会話でもよく出てきますよね。モラトリアムな時期を過ごす学生たちはいつもこの漠然とした不安に苛まれているような気がしてなりません。
そんな彼らの声をよくよく聞いてみると、”何がやりたいのか”わからないのではなく、やりたいことは大なり小なりあるんだけど、”何を選んだら良いのか”がわからない状態だと気付きました。
これ、結構根深い問題だと思うんです。
小中高と割と目の前に「やるべきこと」っていうもの(テストとか部活の試合とか受験とか)が短期スパンで出現していて、それをこなし続けてここまできたけど、いざ大学生になると一気に世界が広がって、1年かけて大学の仕組みに慣れたと思ったら、2年生の途中からインターンとか、いわゆる「将来」という数年とか、下手したら数十年先のことを考えさせられる選択肢が姿を表す。しかもたくさん。思考する余裕もなく、なんとなく「選ばなきゃいけない」っていう強迫観念に駆られて選ぶものの、それを振り返る暇もなく本番の就活が始まっちゃう。こういうなし崩しな流れの中では、自分の選択が果たしてよかったのか、と考える暇もない。そして立ち止まって考えようものなら、周りの人たちから遅れをとるんじゃないかという、これまた恐怖心がある。
しかも(最近では探求の要素が出てきたりと変わってきましたが)、これまでやってきた勉強には正しい答えが用意されていて、それを見つけ出すというプロセスが多かったため、答えがない問いを考えることにも慣れていない。
こういう心理状態では、「何を選んだら良いかわからない」し、色々と考えてしまって動き出せなくなることもわかります。
本来なら少し立ち止まって「道」を探索する時間を作れたらいいのですが……。少し前に話題になった「LIFE SHIFT」でリンダ・グラットンさんらも(特に100年ライフを生きる世代は)20代〜30代は、その後のキャリアの指針を見つける、エクスプローラー(探索者)の時期を経る必要性を説いていました。予備校で勤務していた経験則でもありますが、1年浪人することで、余裕を持って進路を選択した子たちは(受験がどんな結果だろうとも)納得感を持って、その先を歩っているような気がします。
しかし、どうやらまだ社会はそのような余白を与えてはくれないようです。
では、どうしたらいいのか。
そのような、何を選んだら良いかわからない状況にある子たちに伝えられることは「やりたいと思うことは全部やりなよ」です。僕の周りにいる、時代や社会の流れをうまく掴んで泳いでいるような人たちは(僕はそんなに器用ではないけど)、不思議なもので、みんな同じようなことを口にします。
どれを選んだらいいかわからないと言ってずっと立ち止まっている限りは、そこから何も進歩や変化はありません。とりあえずやりたいと思った興味あることはやってみて、その先に何があるかをみてみることが大事。何もなかったら他のことやればいいし、やってみたらその先につながるやりたいことが見つかるかもしれないし。しかも時間に一番余裕があって体力も豊富なのは今この時期がピークと言っても過言ではありません。
マインドフルネスでも、不安に苛まれたときは「今」に集中することが大切と言われますよね。後先考えず、まず目の前にあることに最大限の力で取り組むことって実はとても大事なことだと思います(自戒を込めて)。
まーこんな風にまとめてみたものの僕も常に何やりたいのか、どこに行こうか自問自答な日々に迷い込んでいるわけですけど笑
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動き出せた人は中原淳先生の以下の記事も読んでみると良いと思います。
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