思考に焦点をあてる
アイディア具体化のプロセスを言語化してみる。備忘録的に。
先日、学生と企画立案について雑談をしていた時のことです。
どうやら彼から見ると僕がポンポンポンポンとアイディアを出しているように見えるらしく、「アイディア出しをする時ってどうやっているんですか?」という質問がありました。
そんなにポンポン出るはずもなく、かなり苦戦をしながら出しているのですが、イベントのアクティビティやワークショップのプログラムなど、完成形を見ることしかないので、アイディアマンの様に見えたんでしょうねー。
アイディアにも色々あって「キタコレ!」という”神がかったアイディア”もあれば、期限ギリギリで強制的に形にする、いわゆる”間に合わせのアイディア”もありますよね。
どういう時にアイディアって降りてくる、湧いてくるのかなーと、その雑談の中で整理をしてみると、やっぱり大まかに分けて2パターン。
①ふとした時に思いつく
②強制的に生み出す
この2つに行き着くと思います。
では、この2つの思考プロセスを追って考えてみます。
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「ふとした時」って、そもそもそういう時か。
何か、他のことをやっていたり全然違うことを考えていたりする時。
いろんなパターンやシチュエーションが思いつきますが、僕の場合はトイレにいる時とかシャワーを浴びている時、あと、最近なんとなく多いのは夜の帰り道を歩いている時が多い気がする。
これ、皆さんも経験あると思いますが、神がかりなアイディアが降りてくる時ってメモができない状況にいる時ですよね。
でもこういうタイミング、本当に意図していないかというと、そんなことはないのかなと感じます(感覚だけど)。他のことを考えている時も、そのメインの思考(主流)が流れる横で、アイディア出しのことを考えている部分、言うなれば支流とでも言える思考部分があって、この支流の部分に何かのきっかけ(このきっかけに関してはまだ言語化することができません……)で、思考の焦点があった時(=主流に置き換わった時)に、ピンポイントでクリティカルなアイディアが見つかることが多い気がします。
つまり、何も考えていない様でいて、実はその裏でアイディア出しのことを考えている部分があることが必要なのではないかと思うわけです。
これは「考えている」とまで言えない意識レベル、「頭のどこかに引っかかっている」程度でも良いと思います。
これは「何も考えていない」のとは違います。「アイディアを出そう」と心に止めておくことが大事なんじゃないでしょうか。
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では、次に「強制的」に出す際の思考パターンを追ってみたいと思います。
これはまさしく、他の思考を全てシャットアウトしてアイディアを出すことだけを考える様にします。そのためにアイディア出しをするという思考を遮る可能性があるものは全て事前に防御壁を貼ります。
例えば、今もまさしくそうですが、この文章を書くことに集中するため、メールやSNSのプッシュ通知が届かない様(目に見えない様)にする、ブラウザの他のページのタブを全部消す、などをやったりしています。あと5感を遮られると他の部分が活性化する(っぽい)ので、周囲の雑音を遮るためにイヤホンをするとか。何か音楽を流してもいいと思いますが、思考が歌詞を追えない曲にする方が良いですね。またPCを前にすると集中できない人は、紙とペンだけを準備してそれ以外を隠すとかも良いと思います。
続いて具体的にアイディアを出すフェーズ。
こういうシチュエーションに自分を置いた上で、考えるべき対象について、「論理的」また「具体的」に流れを追います。
例えば、ワークショップのプログラムを考える場合などは、導入から始まり、参加者がどういう感情に置かれているのか、その場合どんなセリフを言えば、場に対してポジティブなモチベーションになるのか。また、そこで参加者はどんなことを考えているだろうか、そのタイミングで行うワークはどんなものが良いか。と言う風に考えていくと、やるべきことが見えて来やすい様に感じます。
この様にして、ある意味断食的な状況に追い込み、思考を活性化させていくと、雑念や周囲の雑音が気にならなくなる様な感覚に陥ることがあります。スポーツで言えば「ゾーン」、心理学的にはチクセントミハイの「フロー状態」に近いものだと思います。この状況に入れるとアイディア出しには最適の心理状態だと言えます。
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これまで2パターンの思考プロセスを追って考えて来ましたが、アイディアを出す際には、やはりその基礎となる知識や経験は必須です。何もない所に家は建てられませんし、人は自分の知識からしか思考を広げることはできません。知らないことからは何も生み出せないものです。そのために現場を見たり、経験をしたり学んで知識を得ることが大事になってくるのです。
あと、これは感覚的なので何の根拠もありませんが、ふとした時に湧き出るアイディアと強制的に生み出すアイディア、なぜか、現場へのフィット感は直感的に生み出されたものの方が高い様な気がします。
そして、この様に生み出されたアイディアもそれだけで完璧なものは作れません。何度も見返し、色々な人の色々な視点から揉んで昇華していくことが必須です。
その上で、現場の状況や参加者の心境を鑑みて、臨機応変に変える勇気を持つことが大切。それもまた現場を受けて、現場から出たアイディアです。苦労して作り出したアイディアだ、と言う風に固執しすぎてはいけません。
大切なのはアイディアそのものではなく、その現場を生きる人たちです。
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