「来年無理なら東京五輪中止」なぜ?

今日の言いたいことはタイトルが全てです。分かりやすいね!

五輪(オリンピック・パラリンピックをまとめて五輪と書く。以下同じ)の開催地というのは、「その都市が五輪開催にふさわしいかどうか」という会議を開いて、投票で決定されます。

来年無理ならそれ以降ではなく中止?なぜ限定されるのでしょうか?
4年後のパリは最多タイ3回目ですよ?譲ってもらって4年後ではどうでしょうか?
8年後のロサンゼルスも最多タイ3回目ですよ?譲ってもらって8年後ではどうでしょうか?
せめてまだ未定の12年後にしてもらえないでしょうか?
パリにせよロサンゼルスにせよ、もう準備が始まっているとは思いますが、もう止められないほど進んでいるとも思えません。パリやロサンゼルスが東京よりも優れているという点があるのでしょうか。
東京の何が駄目なのでしょうか。何か理由があるなら、堂々と説明すればいいのです。なぜ説明がないのでしょうか。不思議です。

そもそも、東京は「五輪にふさわしい都市である」ということで選出されたのであって、2020年や2021年ならよいが2024年や2028年ではふさわしくない、ということではないはずです。パリやロサンゼルスが東京より優れている、という合理的な理由などないのです。

「合理的」といえば、東京五輪について小池都知事が「合理的にする」という発言もありましたが、これもちょっと分かりかねます。合理的という言葉の意味は「むだなく能率的であるさま」です。同じところをぐるぐる走る400m走のような競技を例示するまでもなく、農業、工業のような物理的な指標では「五輪の競技は全て合理的ではない」し、人々の健全な精神を育むという意味合いでは「五輪の競技に合理的でないものはない」し、「五輪の合理化」なんてできるはずもないのです。

結局のところ「商業的」「イメージ」「大人の事情」こういったところなのでしょうか。そんな理屈で行われる五輪に「健全な肉体を育み、健全な精神を育む」そんなことができるのでしょうか。

この「東京五輪問題」を、分かりやすく、納得のいくように説明するのは、
私には難しい。

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