【鎌倉殿の13人】りくの"柔軟"な宗教観の意義と限界
『鎌倉殿の13人』の中で、権謀術数を巡らせながら北条氏のかじ取りをしてきたのは、時政の後妻のりく(史実では「牧の方」)に他ならない。物語はこの後、りくと、りくに焚きつけられた時政が実朝を鎌倉殿の座から排除するという大きな局面を迎えるが、ここでりくの価値観や行動原理を「宗教」というものからとらえなおしてみたい。
ドラマのナレーションでいつぞや語られたように、宗教というものはこの時代、現代以上に大きな権威があり、人々の行動を決定づけるものであった。その宗教の力に、りくはどのように頼った(あるいは頼らなかった)のだろうか。ここまでの放送回を振り返りながら考察すると同時に、りくがこれまで北条家に果たした役割の積極的な評価を部分的ながら試みる。
1. 挙兵の後押しとしての御籤
物語の初期、頼朝の挙兵以前から彼女のユニークさは窺うことができる。
挙兵(伊豆の目代への襲撃)の期日を決定するために、りくの差配の下で御籤(みくじ)が行われ、頼朝は8月17日を引き当てる。その日は三島明神の祭日で、敵方の守備が手薄になることが予測されるため、他の豪族たちも積極的に賛同し17日の挙兵が確定した。しかしその後りくは、時政にのみ御籤のからくりを明かす。頼朝が慎重な性格で、御籤で選んだ日によっては及び腰になってしまうことを想定し、確実に挙兵させるために全ての御籤に「拾七」と書いたのだという(第4話)。
御籤はそもそも「神の意思」を知るために行われる、ある種の儀式性を帯びたものである。それをりくは、敬虔な人物である頼朝の行動を操作するために用いているのである。その行動は言うなれば、信仰の意義を認めつつ、他者の信仰を恣意的に活用しているのだとでもいえるだろうか。
ただし、ここでのりくが「夫の出世による自らの栄達」という自身の欲求によってのみ御籤を操作したと考えるのは早計である。この1話前の第3話では、義時の見立てにより、頼朝の挙兵に多くの武士が賛同することが予見され、じゅうぶん勝機があることが確認されている。それを踏まえれば、北条一家や豪族、何より頼朝本人にとってのかねてからの既定路線であった挙兵を、御籤の権威を借りることによって動機づけたのだと評価できる。
2. 源平合戦の中で
源氏と平家の戦いが本格化する中で、政子は頼朝の勝利を仏に祈るために読経をするようになるが、りくはそれを止める。「敵の身内も祈っています。神仏はどちらの味方をすればよいのですか」と諭し、頼朝が政子に言ったという「何もするな」という言葉を支持しながら、戦いの後の将来を考えるように促す(第4話)。
この場面では「戦いでの勝利を祈る」という行動に全く意義を見出していないりくだが、一方でりくはこのような行動もとっている。伊豆山権現に匿われている際に石橋山での頼朝らの大敗を知らされた政子は動揺し、頼朝に合流しようと思いたつがりくがそれを制止する。「行ったところで足手まといになるだけです。あなたにはやるべきことがあるでしょう」と説き伏せられた政子は一心に読経に励む。りくはそこに「私の夫も戦っているのです」と言いながら加わる(第5話)。
更に第7話では、伊豆山権現で頼朝や時政、義時の生存を知らされる。うれし涙にくれる政子にりくがかけた言葉は「お祈りした甲斐がありましたね」というものだった(第7話)。
石橋山の戦いの前後のこうしたりくの言動からは、信仰そのものに対する一貫した思考を読み取ることはできない。むしろ、信仰する/しないを取捨することで、政子の実生活を方向付けているといえる。頼朝やその周辺が比較的穏やかだったときには、実生活の中ですべきこと(=将来の構想)に政子の目を振り向け、頼朝の安否が心配される際には、無闇に政子の身を危険に晒さないためにその場に留めると同時に、政子の意識を不安の元から信仰への専念へと振り向けている。さらに、頼朝が無事と分かった際には「読経に意味があった」と語ることで、頼朝の安否に気が気でなかった政子を積極的に労っている。りくの信仰の活用には、ときに困難な現実との折り合いをつけながら政子を支えている姿勢が通底しているのではないだろうか。
3. 政範の死と、信心の破綻
頼朝の死後、りくは鎌倉殿となった頼家を呪詛するように、実衣の夫・全成に依頼している。目的は比企一族の息がかかった頼家に鎌倉殿の座から退かせ、北条家が実権を握ることにある(第29話)。呪詛に効力があると考えていることから、りくが神仏と無縁な考え方をしているとは言い難い。
そうしたりくが最大の困難に直面するのは、上洛した愛息の政範を亡くしたときであろう。義理の娘たちの心のよりどころともいえた源平合戦の頃の落ち着いたりくと比べ、このときの彼女は悲嘆のあまり動揺している(第34話)。後日、京から戻った女婿の平賀朝雅には「いずれ東山にお参りに行こうと思っております」と語るりくだが、朝雅から聞かされた畠山重保が殺害したという、朝雅自身がでっち上げた疑いを鵜吞みにしてしまう。悲嘆にくれたりくは畠山に対する憤りにかられ、りくは時政に畠山氏を討つよう焚きつける。一方でりくの事情を知った政子には、「急なことすぎて身にしみないのです。政範は私の中で生きています」と語り、時政と自分による畠山氏討伐の噂を否定する。それも、仏壇の前でである(第35話)。
ここに及んで、愛息の死という状況に追い込まれたりくにとって、信仰が何の機能も果たしていないことが確認できる。政範の暗殺の噂を耳にした瞬間から、りくの意識は政範を弔うことではなく、政範を殺したと疑われる畠山氏の討伐に向けられているのである。余談だが第37話ではりくが部屋で独り政範の遺髪を大事そうに眺めている場面があり、政範の死を畠山氏の排除に利用しているわけでは決してなく、政範の死に触れた悲嘆に偽りはない。その悲嘆を乗り越えるためにりくが選んだのは、信仰ではなく戦いだったのだ。
ここまでで、りくが信仰を時に用い、時に退ける生き方の持つ価値と、その生き方に限界があることが確認できた。宗教観を通じて、りくの強さと弱さを測ることができたのではないだろうか。牧氏事件という戻れない道を歩むりくが、今後どのような生き様を見せきるのかに期待したい。
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