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不登校息子よ、そこに存在しているだけでいいんだよ。(35/90)

元気になったから、行動したから嬉しいだと、何もしてないと褒められないのか。ちがう。だから、何もなくても存在が嬉しいと思っているとも伝えた。

今日のネタが思いつかなかったので、メモ帳を見ていたら、残っていた文章。わかりづらいのは、メモだから。

多分、SNSに投稿しようとした時の一部だと思う。なんでここだけ残っていたのか、不思議だけど。

息子に対して、日頃から何か成し遂げた時とかに褒めていることが多いような気がする。褒める時の基準が私の中に知らないうちにあって、そこを超えた時に「すごいね」と言っている。

じゃあ、なんでもない時はすごくないのか。そもそも、褒める時に「すごい」って言葉が間違っているのではないか。

息子は、私に褒められたい人である。それは、今もそうで、こんなことしたんだと報告した後に、私のリアクションが薄いと、褒めてもらえると思ったのに、と言われてしまう。

そして冒頭の文章に戻る。
何かを成し遂げたからではなくて、何もしなくたって、私にとっては息子がそこにいるだけで、「いいね」なのだ。

当たり前のことかもしれないけど、息子のことで悩んだり、不登校になってから、やっと実感できた。先輩ママが言っていた言葉。

「他の子と比べて、こうであって欲しいとか、ないものねだりになっていたけど。究極は、生きていてくれさえすればって思うよ。」

その時は、大げさだなと思って聞いていたけど。まだ、本当の意味がわかっていなかった。

今は心からそう思う。
さらに、「すごい」じゃなくて「いいね」

これって、自分自身に対しても、そうだなと思う。
どんな自分に対しても「いいね」をしてあげたいし、ここに存在しているだけでいいんだ。私の中の、意味のない基準を手放していきたいなと思う。少しずつね。

今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

ひとりごと

息子を通して、自分を知ることが本当に多い。
自分のこと、知っているようでいて、何にも知らなかったんだ。
気づいていても、深く考えることもなかったし。
そこにいてくれて、ありがとう。

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