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不登校中、大丈夫と思っていても、時には心がざわつくこともある。(39/90)

例えば、登校の時間帯。
我が家はメインの通学路に面しているので、うちの前を制服を着た中学生が歩いている姿を見かけますが、私自身の気持ちが落ち着いてからも、その日の気分でざわざわする時もありました。

やっぱり思いますよね。
本当はうちの子も制服着て学校行ってるはずだったな。
のんきに朝ごはんを食べている息子を見て、なんとも言えない気持ちになる。

でも、ちゃんと朝も起きてるし、学校行っていないだけで、自分で勉強したり、走りに行ったり、エレクトーン練習したり(不登校中も唯一続けていた習い事)自分なりの時間割の中で、息子は生活していたわけで、最悪だった時期に比べたら、言動も落ち着いているし、今はこれがベストなんだと納得しているのに。

もちろん、毎日ざわついていたわけではなく、私自身の気持ちが落ちている時や、ホントふとした瞬間にそう思う時があったのです。自分でも不思議なんですが。

あとは、通知表。
最低これをやって提出したら、評価をつけられるからと家庭科や美術の課題、教科のプリントなど、もらっていましたが、何一つやることがなかった息子。

あれだけ、内申にこだわって休まずになんとか遅刻しても頑張って登校していたのに、もはや、学校に行かなくなってしまった息子には通知表の評価なんてどうでもいいものですよね、はっきり言って。

それでも、通知表は配布されます。いつものようにプリントをもらいに行った時に、先生から手渡されました。噂には聞いていましたが、全て斜線でした。初めて見ました。

この時はもうざわつくどころか、覚悟していたけど、涙が止まりませんでした。何の涙なのか、現実を突きつけられた感じと、これが息子の評価なんだなと言う悲しいとも違うし、ショックというか。とにかく涙が止まりませんでした。

私が一番言いたいのは。
気持ちがざわついたり、泣いてもいいんです。人間だから、喜怒哀楽あって当たり前だし、そんな日だってありますよ。

問題なのは、そんな風に思う自分をダメだと思うことです。
私の場合も、息子が学校へ行っていない事実をしっかり受け止めて、気持ちが落ち着いてからの事だったので、何で今さらそんな風に思うのか、自分の気持ちを信じられていないようで苦しかったし、完全に自分責めをしていたと思います。

どんな自分だっていいと自分自身を丸ごと受け止めることが大事ですよね。その時出てきた感情をなかったことにするのではなく、今の自分そう思っているんだ、そうかそうなんだね、わかるわかる、ともう一人の自分が聞いてあげるようなイメージで、その感情を受け止めてあげる。

これができていれば、だいぶ楽だと思います。
そんな私も今でもまだまだ練習中の身分ですが。笑

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


ひとりごと
今日は午前中、公園に歩きに行ってきました。
40分、歩くと幸せホルモンが出るらしく、頑張りました。
こちらはお天気も良く、それだけで気分最高です。
もやもやする時、歩くのもおすすめです。



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