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女子麻雀の王子様(咲の話の続き)

 本記事には「ここ半月ばかりで読み始めた、一通り資料が揃った状態で一気に摂取した個人の視点」が含まれます。あと本編に加え『阿知賀編』『シノハユ』の内容に思い切り踏み込んでいってるのでそのへんご注意。

 承前。

 本編感想文と統合すると内容的に重くなりすぎた、というかこっちは完全にキャラへの入れあげとカップリング談義の話に化けるのであの調子の感想に混ぜ込むのが憚られた内容です。

 何が言いたいかというと、最終的な結論はかなりに単純で、

 末原恭子、お前なんで宮永咲以外に轢き潰されて死んでるんだ――!

 これに尽きます。ということで、小鍛治健夜の話をします

十年前、インターハイ準決勝 -魔王

 本編で解説のなんか弱そうな人として登場し、その風貌(というか表情)とあまりに不釣り合いな実力を示唆されつつ、阿知賀編で 高校生にして有望な選手ひとりを再起不能に追い込みかけた という事実が提示されるのを以て怪物として謳い上げられた感がある 小鍛治健夜

 本編中で語られた事実関係を繋ぎ合わせると、十年前のインターハイで彼女がやらかしたことは、以下のような塩梅になるはずである。

 高校3年から麻雀を打ち始めた 小鍛冶健夜は、牌に触れてから3ヶ月も経たないうちに インターハイの個人戦ならびに団体戦で優勝 した。大会中全期間を通じて 跳満以上の振込は一度だけ。その跳満放銃にしても、直撃させた選手に対して心がへし折れる猛烈な反撃を行い、以降の全日程を欠席させた

 どこからどう見ても大魔王の所業である。鬼畜外道という他ない。

 だが、ここに私は ヒロイン性の萌芽 を見るのである。

神様の国の子供 -最初に立ったもの

 冒頭に掲げた記事で、「牌に愛された子」とは何か、という話に触れた。そこで私が"たぶんこのようなものとして描かれているだろう"とアタリをつけたのは、 強力な能力を備え、能力にコントロールされ、そこから逸脱しない限り絶対に負けない 雀士の姿だった。

 十年前の小鍛治健夜も、おそらくこの範疇であった疑いが濃い。何しろ競技を始めてわずか3ヶ月。 そして、『シノハユ』で描かれる限り、その世代における麻雀技能の水準は(選手において)かなり高い。実際に麻雀を打ったことがある人ならわかるだろうが、上手い相手と打ってまったく振り込まないというのは、相当に難しい。圧倒的なキャリア不足の小鍛治健夜女子高生が、純粋な技能勝負でそんなものを達成できるとは(同時代を描いている『シノハユ』が普通にテクニカルな話をしている以上)考えがたい。もちろん、たとえば 危険牌が透けて見える とか、 そもそも他の同卓者が聴牌できない などの凶悪な能力を前提にしたなら、話は別だ。それこそ現在の「愛された子」たちに匹敵するほどのデタラメな支配能力があるのなら、不可能は容易く覆る。

 妥当なストーリーは、やはり 小鍛治健夜女子高生は、作中の歴史で最初に現れた「牌に愛された子」であった というものではないかと思われるのだ。

 しかし「最初の子供」は、最初の戦いで生涯唯一の傷を負う

 彼女に傷を刻んだのは、 一切の奇跡を持たないただの子供 であった。

 さて、赤土晴絵の話をしよう。

阿知賀のレジェンド

 赤土晴絵とはどういった人物か。

 阿知賀編で登場した際の彼女は、まず 本編ヒロインである原村和にとっての先生 であり、阿知賀編の主役たちの師 でもあり、そして、小鍛治健夜に傷を負わせ、その反撃により破壊された人間 であった。

 基本的には理詰めの、言ってみたらごく普通に強い雀士。主役としての【センス○】があるとはいえ、競技にブランクがあったりもと二軍級だった阿知賀編の主役たちを、半年ほどで全国区の一軍の腕まで鍛え上げたトレーナーとしての手腕も確かなようである。

 そして何より、 対戦相手の対策を行なうもの として秀でている。現役世代の船久保浩子や末原恭子といった「参謀役の無能力者」がやっていることを、おそらく作中で最初に(現実に対応した時間でも、また作中の歴史でも)実行した登場人物である。

 能力の解析と対策。赤土晴絵の特異性(新規性)はここにある。

 作中の歴史を追っていくと、赤土晴絵は全国小学生麻雀大会で、はじめて頭角をあらわす。地区予選で圧倒的な戦績を残して全国へ上がってきた彼女が「勝つ」方法として採用していたのは、 対戦相手の徹底的な研究 だった。

 打ち筋どころか、細かなクセまで含めて対戦相手を微に入り細を穿ち分析する。対策を立て、必勝の仕込みから勝ちを得る。口の悪い小学生ばかり出てくるシノハユの小学生編でも相当エグいビッグマウスキャラの赤土晴絵小学生だが、その実力はとにかく確かである。何しろその解析力をバックボーンに、全国大会の準決勝まで駆け上ってくるのだから。しかもどうやら、同卓者のクセについてはほぼ全て把握していたようである。そして、卓の状況を把握したうえで、勝つべくして勝とうと動く。負けるはずのない状況にたどり着く。

 だが、赤土晴絵はこの結果、敗北する。『シノハユ』主人公たる白築慕が 合理的ではないが彼女の信念に準じた選択 を行い、また彼女が 常識的な確率を超えたオカルトを行使した ために、計算を大幅に狂わされて。そしてこのとき赤土晴絵は、能力の存在を前提とした相手の研究 を行なう着想を得る。

 彼女の作中での足跡は、ここから十年前のインターハイ団体準決勝、小鍛治健夜との一戦まで途切れることになるが、その間にあったことを想像するのは比較的容易である。小鍛治健夜高校生が「最初の子供」であったという憶測と重ね合わせれば。

竜殺し

 十年前のインターハイで、おそらく赤土晴絵は、小鍛治健夜を徹底的に研究していた はずである。

 小学生時代に、全国区の相手を分析してたようなタマである。『阿知賀編』の時系列では、突出した選手の試合映像を仔細に観察し、能力の発動条件をほぼ突き止めたり、教え子たちのもつ能力の性質を(異常に内容がわかりにくい高鴨穏乃のそれも含めて)把握するに至っている。仮に小鍛治健夜女子高生が現代の「愛された子」たちのような意味不明な戦績を残して勝ち上がってきたとしたなら、それを研究・対策していないわけがない。

 だからおそらく、 準決勝で起こった赤土晴絵による小鍛治健夜への跳満直撃は、まったく偶然ではなかった。小鍛治健夜女子高生の能力発動メカニズムを徹底的に分析し、その間隙を縫うようにして撃ち込まれた、普通人による竜殺しの一撃であったはずである。

 だが、悪いことには その先があった。誰もそこまで追い詰められなかったから、決して表に出てこなかった何かが、まだ小鍛治健夜女子高生には残されていたのだ。急所にして発火点、文字通りの逆鱗に触れた結果、赤土晴絵の竜殺しは失敗し、以降十年、彼女の心には消えない傷が刻まれることになる。

 ここまではかなり濃いラインで示唆される内容である。問題はその先だ。
 小鍛治健夜による赤土晴絵の破壊は、どのような動機で行われたのか?

魔王と王子の邂逅 -帰れなかった最初の王子さま

 以降十年のトラウマが残るほどの決定的な大敗。これはもう、ただの負け方ではないだろう。とにかく残虐非道な拷問ファイトが実行され、徹底的に廃人へ追い込まれたものだと想像される。

 小鍛治健夜はなぜ、ここまでやらなくてはならなかったのか?

 能力に衝き動かされて、というのが一つの答えとして想定される。単純に、「勝つために第二の能力に従って打ったら、相手が死んだ」というやつだ。

 これはありえないわけではない。しかしあまりにドラマがない。ついでに小鍛治健夜は、十年を経ても赤土晴絵の打ち筋をはっきりと記憶していたほど、強力な印象を受けていた。そこで、 小鍛治健夜女子高生による赤土晴絵の破壊は、何らかの感情に衝き動かされて行われたものだ と考えたい。

 となると、方向性はふたつだ。
 小鍛治健夜は、遊ぼうとしたのか? 恐怖に衝き動かされたのか?

繰り返される物語 -十年後のインターハイ

 小鍛治健夜が最初の「牌に愛された子」だとするなら、その圧倒的な支配を打ち破られたとき、彼女は未体験の感情を得たはずである。十年後(現在)の天江衣は、宮永咲に打倒された結果、今までなかった喜びを得た。

 ただ、これは天江衣が、十数年に渡って「他の誰かと遊べない」という苦境に閉じ込められてきたからである。天江衣はある意味で 敗北することを希求していた。

 翻って、小鍛治健夜女子高生はどうであったろうか。
 彼女は 全国高校麻雀がどんなものかもよくわからないまま 大会に参戦し(このことは、当時の自分が青春を理解できてなかったから、というような述懐で幾度も触れられている)、当然のこととして勝ち上がってきた

 当たり前のようにできていた「勝つこと」が脅かされる。これは恐怖ではなかったろうか。

 ところで、「咲」世界の能力者は、プレッシャーによって 他の能力者の存在を感知する ことができる。よくあるニュータイプのアレだと思えばいい。

 赤土晴絵は無能力者である。小鍛治健夜女子高生にもそれは理解できる。だが、その無能力者が 絶対の存在であるはずの小鍛治健夜 に、「想定外の手順からの一撃」を加え、軽くない傷を負わせた。

 実はこの、 無能力者が能力者に一撃を加える 状況に近いものが、 十年後のインターハイ(咲本編)でも描写されている。

 Bブロック2回戦での、宮永咲と末原恭子にまつわるやりとりである。

末原恭子の誤解

 Bブロック2回戦、宮永咲と末原恭子の加わっていた卓は、文字通りの人外魔境であった。「牌に愛された子」でこそないものの、それに準ずる強度の能力者が3人と、無能力者である末原恭子、という構成である。

 末原恭子は、宮永咲を含む能力者3人に見るも無残に打ちのめされた挙句、 宮永咲の支配能力に助けられる格好で勝ち上がる ことになる。試合後、宮永咲に助けられたことに思い至った末原恭子は、そのことについて激情を露わにした。侮られている。舐められている。無能力者である自分は、歯牙にもかけられていなかったのか。

 だが、 宮永咲が吐露した心情は、それと完全に相反するもの であった。

 「末原さんが一番怖い」。「次にやったら勝てないかもしれない」。末原恭子を大将とする姫松をどうにか落とそうとしたが果たせず、勝ち上がらせてしまったと、宮永咲は言ったのである。

 これ自体も、末原恭子が感じたように、いわゆる舐めた言動なのだろうか。宮永咲の不器用すぎる人柄を知ると、とてもそうとは思えない。
 宮永咲は本気で、末原恭子を恐れていた のだと、そう考える他にない。

 この食い違いはなぜ生まれたのか。答えはおそらく、宮永咲と末原恭子の次の戦い、準決勝卓での一幕にある

届かなかった一矢 -末原恭子の失敗

 準決勝卓。大将戦はやはり、最強クラスの能力者3人と末原恭子という面子で行われた。ここで末原恭子は「ある方法」で、宮永咲の能力を封じることに成功している。かつ、宮永咲のクセの分析により、別の参加者によるほぼ必死の「振り込み強要」を凌ぎきってさえいる。そのうえで、ここまで一切正体を見せずにいた相手に 卓参加者丸ごと轢き潰されて敗退する憂き目にあっている のがいただけないが、宮永咲も抵抗すらできずに敗着しているため、これをどうこうしろというのはあんまりというものだろう。

 とにかく、末原恭子は無能力者にして、相手の研究・分析・対策により、最強クラスの能力者を向こうに回して、相手に一矢報いて見せた。

 どこかで見たような構図である。

 打ち筋の分析に加えて能力者のクセの解析、発動条件や特性に基づいた対策の立案というのは、赤土晴絵が得意としていたはずの戦略 ではないか。

 能力者は能力者を知る。無能力者であることももちろん知れる。そこで相手が 一切の能力を持たない にもかかわらず、 強大な能力を持つ自分の首元に刃を突きつけてきた という事実は、宮永咲にとって拭い難い恐怖だったのではないか。

 物語の最序盤で語られていたこと、「宮永咲が一切慾目を出さずに打つと、はたから見ると舐められているとしか思えない結果に落ち着く」という内容を知っているなら、末原恭子に対して取った対応が実は、舐めるどころか死力で抗った(まともに勝ちに行く余裕すら失った)結果であるのは明らかである。

 そしてそれはまた、小鍛治健夜女子高生にも同じではなかったか。

語られない物語の主人公

 つまりこうだ。十年前のインターハイ準決勝と、十年後のインターハイ準決勝は、重なり合う構図で描かれている疑いがある。能力者を追い詰めた無能力者と、その後に来る圧倒的な未知による敗着、という形で。

 十年前、赤土晴絵が果たせなかった「竜殺し」は、赤土晴絵の生み出した潮流の先にいるといえる打ち手、末原恭子によってもやはり果たされなかった。せめてここで宮永咲が自覚的に末原恭子を討ち果たしていたならばまだ救われたが、よりにもよって横から何もかも吹き飛ばされて有耶無耶になるという形での決着に終わってしまった。

 無能力者による打倒、あるいは無能力者であってもまともな勝負が成立するという事実が証明されたら、それこそ絶好の「宮永咲を鳥かごから出す」機会であったはずなのに!

魔王=お姫様 -高い塔の上に

 私が見るに、「咲」シリーズの一つのテーマは、絶対的な存在を「皆と遊べるところ」まで引きずり下ろすところにある。だから、やたら人口に膾炙した魔王という表現を使うなら、 打倒されるべき魔王は、実は救い出されるお姫様と等号で結ばれている のだ。文字通りの意味で。

 「牌に愛された子」は能力者の頂点に君臨し、能力者は無能力者に対して絶対的なアドバンテージを持つ。「牌に愛された子」たちが「牌に愛された子」ならぬ能力者・宮永咲によって救い出されるなら、宮永咲を救い出すのは無能力者であってしかるべきである

 全国大会団体戦で、宮永咲に残された試合はあとひとつ。そしてその卓には、 赤土晴絵の弟子にして 能力を無効化する(すなわち、それ以外の点では無能力者とほぼ等しい)能力者 である高鴨穏乃が待っている。そして、(もしあるなら)個人戦、同じ長野から勝ち上がってきたチームメイトにして個人戦でしか戦えない無能力者・原村和がそこにいる。繰り返すが、 原村和もまた、赤土晴絵の弟子筋 である。

 そして。実は物語の「現在」で、十年ぶりの対局において 赤土晴絵は小鍛治健夜に勝ち越した という。

 長い時を経て、竜殺しは果たされた。高い塔の鳥かごは放たれたのだ。
 物語のエンドロールのどこかには、タイトル戦で同卓する小鍛治健夜プロと赤土晴絵プロの姿が、きっとある。

 同じ構図の反復が、今の世代の女子高生たちにも訪れることを祈りたい。

どういう話かというと

 カップリングはレジェすこと末咲に転びましたよというご報告でした。

 『シノハユ』の赤土さんとてもいいですね。

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