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偶然と必然の出会い。。。そして今

偶然と必然ってテーマですが、移住の話とは少しそれるけどつながりもあるので書こうと思います。

よく言われる事だけど全ての物事は必然なんだよって言われることありますよね、多分そうなんだと思う。じゃ何故必然が起こる?それは自分が求めているから、必要としている事だから生じることなんだろうと思います。

自分を振り返ると、今の自分があるのは過去の自分があるから、あの時そうだった、あの時の経験が今なら理解できるとか、あの時今みたいな考えだったら進む道も違ったんじゃないだろうか?

私は18歳のとき高校卒業して直ぐに大阪の音楽スクールへ通うという大義名分で広島を出ました。バンドで食っていきたいミュージシャンになりたいという気持ちでいたんですが、その時は高校生活の中でバンドでベースを弾いててヘタクソなりになんだか存在感あるような気になっていて、俺ってミュージシャンになれんじゃないの?って思う気持ちと、当時陸上の選手で調子良かった時に怪我して色々伸び悩み、矛先が音楽へ頭が行っていたのと、早く町から出たい、一人暮らしで都会で成功してやるみたいなわけわからない覚悟でまずは大阪へ、入学金を出してもらう代わりに生活費や仕送りは自分で稼いでいく事が条件で家を出ました。

今思えば、ここにはしっかりとした音楽に対してビジョンがなかったんですよね、だから全てにおいて中途半端だったですよね、音楽も生活。

でもここで培ったのは音楽では無く、夜の世界だった

直ぐにバイト始めたのが水商売で、スナックのボーイで色々と勉強しましたね。その当時は大阪の北新地で働きながら、昼間はバンド活動なり学校なりで活動していたが、次第と音楽から水商売へシフトしていった。特に20歳から21歳のときは酷かった笑 ズッポシ夜の世界にいたからね、深夜働いて、朝方10時ぐらいまで飲んで、家へ帰って夕方から動き出す。金も無いから借りたり、色々と各方面の方々にお世話になったりしていた。一番荒れていたよ、もう自由だったよ。酒、タバコは普通、タトゥーも入れたしなぁー、女性関係も酷かった。もちろん人生終わったなっていくぐらい修羅場にもなったこともあった。

そして、「大阪にいたってミュージシャンは難しいよ、東京へ行きな、その方が良いよ」って言ってくれた方がいて。今の生活ではダメだということ、自分が本気でやりたかったことを再確認した時に、水商売の先輩方から東京行くならこの子たちもう直ぐデビューするから訪ねていきな!電話番号とハルイチって名前が書いてあるメモ紙をもらった、同じ広島出身だし、話しておくからって、紹介していただいた。

デビュー前のポルノグラフィティーのハルイチサンでした。

この出会いは偶然か必然か?今思えばターニングポイントだったかもしれない

東京についてからは知り合いもいなかったから、どうしようかなぁーって考えながら生活してたけど、大阪の生活経験もあり都会の生活には直ぐに馴染めて、浅草の3畳一間の風呂なし共同トイレ家賃3万5千円と現金10万円からスタートした。バンドやるにも知り合いいないから楽器屋行ってメンバー募集の張り紙みて電話してスタジオ入ったりして色々動いていた。バイトもやりつつ(夜の世界からは足を洗った)なんだか音楽だけに集中していた時期だった。

そして、楽器屋のメンバー募集から出会って活動をはじめたのが

当時大学生のなおとだった

今はナオトインティライミで活動している

そう、神様は色々とチャンスを与えてくれていた。

この出会いは偶然か?必然か?

いろんな意味で出会った人は何かを与えてくれてたと思う。

活動の中で僕は音楽が好きのはマストだけど、ベーシストとしての技術やミュージシャンとして足りないものばかりだった。

ポルノグラフィティーのハルイチさんはメールでやりとりしていて、スタジオ見学まで行ったがリアルな現場で自分に自信がなかったので、何もできず、自分から行動できなかった。本来なら俺ベース弾けます!いやローディーやります!って言えれば違っただろう。当時の私はそんな技量もない、ただただちっぽけだった。

そうです、ここでの出会いは現実に気づきなさいという意味で出会ったんだと。

そしてなおととは1年間一緒に活動してアルバムを1枚作った(インディーズ)レコーディングでもなおとが一からこうゆう弾き方できる?テンポがあってないとか言ってくれた、自分の下手さに苦労した。そしてバンドは解散して、なおとはソロで活動、1回だけソロのときバックバンドのベーシストとして参加した。それまでも一緒に大阪へ路上ライブ行ったり、色々と一緒に動いていた。でもそのまま一緒には活動にはならなかった。「もっとレベルが高いベーシストとやりたいから」って言葉で離れた。悔しかった。まだまだ技術がないんだってね、

そう、それから色々活動したが、結果26歳の時に音楽から身を引いた

僕はベーシストになりたかったじゃないかったんだ、バンドの中のベーシストと立ち位置があっただけのミュージシャンになれればと思っただけだったんだってね

気が付かせてもらったんだ。この出会いは偶然じゃ無く、必然と思うしかないってね

そんな26歳の時に同じく音楽活動していて、同じ境遇にいた嫁と出会う

これこそ偶然では無く必然だったんだって、お互い無いものを持っている2人だが、感覚が似ているなど共通する事が多い。私は当時色々とあり彼女なんていらないって時期でした。だけど、あ、この人かも。。。。ってね

本来の自分が「目指す」ものを再確認し、本当に自分が目指すもの、好きであるもの、覚悟が持てるもの、そしてその道を極めるものは音楽じゃなかっただけ。

気が付かずに、そのままだらだら続けていてもダメだから、音楽への未練はなくなった。この出会いは今思えば気づかせてもらうための4年間だった。

もし今の気持ちで覚悟決めて本気でミュージシャンを目指すのであれば、バイトもせずに黙々とベース弾いていただろう、ギターを弾いていただろう、曲を作ったりしていただろう、そう、素質とかじゃ無く情熱が足りなかっただけなんだ

だからチャンスを神様が与えてくれた。

なおととは実は一緒にポルノグラフィティーのデビュー直前のライブ一緒に行っていて、帰りの電車で「まー、こんな曲作ったんだけどどう?」ってやりとした記憶があり、その後デビューして(インティライミの前ね)その曲を聞いた時、やっぱりすげーなこいつは、俺では無理だって思ったね。その後も実は少し疎遠になっていたんだけど、音楽やめて渋谷の店で店長している時にインティライミでデビューする直前に店で飛び込みでライブしてくれたな!そこでまた再開して、群馬に移住するまではちょくちょく店にきてた。群馬に移住した後もさいたまスーパーアリーナに招待してくれて嬉しかった。今は売れたし、群馬だし、簡単には会えないけど心から嬉しいと思う。

それぞれが違う道に進んでも、今の私はあの時の気持ちになると感謝しかない

「もっとレベルが高いベーシストとやりたいから」

この言葉に感謝しかない

出会いは偶然じゃ無く、自分が思い描く世界と突き進む覚悟があれば小さなチャンスを与えてくれる。それはチャンス=気づきなのだ。

気が付くことは自分の内面を理解し、受け入れることとなる

そこから動きが変わる

その動きは誰にも負けないパワーになる。

そして本気で進むべき道を照らしてくれる。

偶然なんてない、必然だからこそ、今の自分があるんだってと思う。

群馬に移住したのも必然なんだ

この地域と出会ったのは意味がある

この地域に必要とされる為に出会った

この地で子供を授かった

私としては。。。必然しかない

そう思いたい。

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